第147話 令和3年8月30日(月)「打ち合わせ」日野可恋
「私は認めないぞ」
マスク越しのその声は力強さを欠いていた。
彼女は私の倍以上の年齢だが、まるで駄々をこねるように首を振る。
「理事長を解任されたら、ホストに見限られるんじゃないですか」
私は何の感情も籠めずに言い放った。
北条さんと違い、私は理事長が仕事を放り出しても別に構わないと思っている。
改革の妨げにさえならなければ。
解任するのは簡単だが、後任を誰にするかは難しい。
権力を手にした途端に豹変する人もいるので、現状より良くなるかどうかは賭けでもあった。
「しかし、OGは黙っていないぞ」
「ご心配なく。すでに手は打っています」
私が即座に切り返すと、理事長は顔を歪めた。
部下の北条さんが優秀なだけで理事長は無能だと見下す理事もいるが、決してそんなことはない。
偏執的なところもあるが、事務処理のような仕事に対しては他の追随を許さない働きぶりを見せる。
ただコミュニケーション能力が低く、人を動かすことにかけては経験不足が目立つ。
それを補う有能なアドバイザーの意見に耳を傾けられれば理事長としての評価も高まっていくと思われるが、それはそれで私が困るのでいまのままでいてもらいたい。
それはともかく、理事長にはOG会の意見を誘導したり主流の意見を切り崩したりすることはできそうにない。
どうアプローチしていいか分からないから北条さんがいてもこれまで手をこまねいていた。
だから九条山吹氏にOG会を牛耳られていてもそれを甘んじて受け入れるしかなかった。
だが、山吹氏のような癖の強い人物が我が物顔でOG会を仕切ることに不満を持っているOGは少なくない。
「『山吹様が反対しているんです』とひぃなが悲しげな顔でお願いすると『力になるわ』と言ってくれる有力OGが何人もいました。まだ少数派ではありますが、新しい制服に対する評判は上々です」
「この……撮影会というのは?」と理事長の背後に立つ北条さんが口を挟む。
その手にはこの面会のために私が用意した資料が握られている。
私は笑顔でセールストークを開始する。
「制服をご購入してくださったOGの皆様には初瀬紫苑が撮影した映画のセットがそのまま残る旧館で記念写真を撮る権利をおつけします。新しい制服はオプションパーツを組み合わせることで10代でもお歳を召されていても着こなすことができるようになっています」
ベースとなる制服は夏冬ともにセーラー服だが、私が呆れるほど多数のオプションをひぃなが考えて製品化に着手している。
統一感はあるものの同じ制服とは思えないくらいバリエーションに富むことになる。
生徒向けにはオンラインでオプションの購入ができるようにする予定だ。
OG向けには豪華なフルカラーのカタログを用意したが、かなりの厚さになった。
毎年オプションを入れ換えてカタログをOGに売りつけられれば結構いい収入になりそうだ。
「こちらのショールやストールは新制服変更記念の限定品になっています。来年4月までですのでご購入はお早めにお願いします。また一定金額以上をご購入くださったOGの方には生徒会と茶道部が共同で主催するお茶会への参加券もおつけします」
ふたりは呆然としていたが、先に気を取り直した北条さんが「このショールやストールのお値段って高すぎないですか」と指摘をした。
渡した資料にはカタログにある限定オプションのページのコピーもあった。
「臨玲の名を冠したものですから、その名に恥じない素材・作りとなっています」
「しかし、これでは生徒には手が出ないのでは?」
「学生割引はありますし、家庭の経済力に応じてクーポンを発行することや学業その他の活躍に応じてバウンティ(報奨金)を配布することを考えています」
北条さんは「もので釣るのはどうなの?」という視線を送ってくるが、私は笑顔でスルーした。
理事長は「まだ決定した訳ではないのに」と不満そうだが、「理事長はこのところお忙しそうだったのでご報告が遅れたことはお詫びします」と答えると、ちゃんと嫌味が通じたようで顔をしかめた。
せっかく国民的女優の初瀬紫苑が在学しているのだから臨玲ブランドの再建は急ピッチで行うべきだ。
それにはまずファッションからという建前と経済効果を武器にして理事会の多数派工作は終えている。
OGへの販売が成功すれば次は一般への販売も視野に入れる。
セキュリティ面は学生証をID化すれば問題ない。
建設中の新校舎は最新のICT(情報通信技術)が利用できるように設計されている。
「明日の理事会では緊急動議が発せられる可能性があります。不測の事態が起きないよう慎重な行動をお願いします」
私がそう告げると理事長はひとつ息を吐いた。
解任という刃を突きつけられることよりも別の思いが湧いているようだ。
すべてを投げ出してホストとの愛に生きたいという顔つきをしている。
彼女の資産だけを見ればそれも可能だろう。
よほど散財しない限り5年10年で尽きるような家ではない。
だが、臨玲理事長でなくなった彼女をホストが相手にするかどうかは分からない。
私が調べた限りではそのホストクラブは上客だけを相手にしていて、単にお金を積んだだけでは客になれないらしい。
普通のお店であればお金で解決できそうだが、そこは様々な勢力が複雑に絡み合っていてとても手が出せそうになかった。
「理事長を辞めることはいつでもできますが、一度きりです。信用している人を納得させてからその決断をしてもらいたいです」
私は北条さんの顔を一度見てからそう声を掛けた。
理事長は「言われなくても分かっているわよ」と言い返すが、私も北条さんも本当に分かっていると確信が持てないからこうして何度も口にしているのだ。
「高校生のくせに生意気なのよ」
「私としては言わずに済めばと思うのですが……」
不快さを隠そうとしない理事長は「誰の味方なのよ。私じゃなくて九条さんをやり込めてよ!」とわめき散らす。
私は「それを望むなら、それが可能となる機会を作ってください」と返す。
「……機会?」
「事実上OG会の主流派を形成しているとはいえ役職はたいしたことがないですからね。接点もありませんし、公の場で対峙することもありませんし」
しばらく腕組みをして考えた理事長は縋るような目で北条さんを見た。
自分では良い案が浮かばなかったようだ。
「どうすればいい?」
「そうですね……」と私をジッと見つめてから、北条さんは理事長に耳打ちする。
理事長室は冷房がよく効いている。
ほぼシナリオ通りに進む展開に気が緩みそうになるが、あと少しと気を引き締め直す。
それでいこうとニンマリする理事長の顔から辞めるという選択肢は消えたようだと判断する。
「よし、それじゃあ……」と口を開く理事長の後方にいる北条さんはホッとした表情だった。
††††† 登場人物紹介 †††††
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。臨玲の学園理事でもある。これまで臨玲の制服を制作販売していた会社や臨玲学園と彼女のプライベートカンパニーが共同出資で新会社を設立することも明日の理事会で諮られる。
椚たえ子・・・臨玲理事長。母のあとを継いだが人望に欠け運営に苦労している。特に地に落ちた臨玲のブランド力回復は急務。しかし、制服刷新には否定的だった。
北条真純・・・臨玲主幹。学園事務のトップ。理事長の右腕としてそれ以外の仕事でも辣腕を振るっている。理事長交代となっても学園にとどまって欲しいと評価されているが、椚の理事長存続を願っている。
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。ファッションデザイナーを目指していて、この新制服はすべて彼女がデザインした。「学校の制服」というシステムを嫌っているが、数多くのオプションを組み合わせることで自己表現できる制服を目指す。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。生徒会広報。有名な映画女優であり、ハリウッド進出を目指している。そのために可恋の協力を求めているが、実際のところ可恋にうまく利用されることが多い。
九条山吹・・・臨玲高校OG。母は臨玲理事でありOG会会長。その権威を利用してOG会では権勢を振るっている。椚とは高校時代のクラスメイトでもある。
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