第123話 令和3年8月6日(金)「女子高生として初めての夏」網代漣
夏休みに始めた鎌倉巡り。
いくつかの夏休みの課題をまとめてやっちゃおうというキッカの言葉に乗って、市内の寺社仏閣を自転車で回っている。
最初は参加者がそれなりにいたのに、まだ続けているのはわたしとキッカのふたりだけだ。
「キャー!」
今日は風が強い。
砂利道で突風が巻き上がり、手に持った日傘と頭にかぶった帽子、そして膝丈のスカートを襲った。
日傘をギュッと握り、飛んで行きそうな帽子を手で押さえる。
残念ながら腕は2本しかない。
スカートがまくれ上がるのを膝を閉じて防ごうとしたが、間に合わない。
その時、サッと伸びた手がスカートの前を押さえ、はしたない姿を見せずには済んだ。
この炎天下の中、観光地とはいえ市内の中心から外れた位置にあるお寺の境内には人影はまばらだった。
だから、スカートの中を見られること以上に服の上からとはいえ太ももを触られたことに恥ずかしさを感じる。
わたしは再び「キャー!」と悲鳴を上げ、それに気づいたキッカは苦笑いを浮かべて「悪ぃ」と手を離す。
そこに竹林を抜けた風がまたも吹き寄せ、今度は日傘も帽子も投げ打ってわたしはスカートを両手で押さえた。
「最近、可愛い服が多いよな」
強風を避けながら境内を抜け、このお寺の縁起などが書かれた案内板の前でひと休みする。
ここは建物の蔭で陽差しを避けられ、風も吹き込んでこない。
キッカは看板を写真に撮ると、そのままスマホをこちらに向ける。
「……そうかなあ」と呟きながらわたしは急いで服に乱れがないか確認した。
シャッター音が聞こえ、「可愛く撮れてる」とキッカは画像を見せてくれた。
見慣れた顔がそこに映っている。
精一杯めかし込んでいても、あまりパッとしない出で立ち。
フェミニンな服装なのに女の子っぽさが足りていない印象だ。
わたしも自分のスマートフォンで看板や周囲の光景を撮影する。
そして、キッカにレンズを向ける。
日焼けに神経質になっているわたしと比べ、彼女の肌は健康的に灼けている。
本人が日焼け止めをよく塗り忘れると言うようにそういうところはかなり無頓着だ。
プリントシャツだとセーラー服よりも胸元のボリュームが目立つ。
ハーフパンツから伸びた脚も無駄な贅肉がなくて羨ましい。
彼女は夏休みに入ってすぐに明るい栗色に髪を染めているので遊んでいる雰囲気が漂うが、実際は非常に真面目な性格の持ち主だ。
わたしは観光気分でつき合っているが、彼女はかなり本気で研究課題に取り組んでいる。
「凄いよなあ。千年近く前に建てられたものがこうして残っているんだから」
案内板の説明を熱心に読んでいたキッカが感心の声を上げる。
鎌倉時代に建てられいまも残っているものはごく一部だそうだが、それでも想像を超えるようなことではある。
教科書に書かれている歴史と現実との繋がりを感じて、この夏の寺社巡りでは何度も不思議な気分を味わった。
わたしが以前住んでいた浜松も歴史のある街だったけれど、鎌倉はそれよりも遥かに歴史を身近に感じさせた。
「こういうのに全然興味なかったけど、楽しいね」
「だな」と笑うキッカを見て、わたしは「キッカと一緒だから」と声に出さずに心の中だけで囁く。
彼女といると楽しい。
外見から伝わる印象とは違い凄く気を遣ってくれるし面倒見も良い。
頭が良いのにそれをひけらかしたりしない。
学校でも仲が良かったが、こうして学校の外で過ごすとまた違った一面を見ることができた。
「そろそろ行くか」とペットボトルを呑み干したキッカが告げる。
「待って。日焼け止め塗っておかないと」とわたしが鞄からクリームを取り出すと、キッカは顔をしかめてこちらを見た。
わたしは肌が露出する部分に丁寧に塗り込んだあと、「塗ろうか?」とキッカの顔を見た。
彼女は首を振り、「悪ーよ」と自分の日焼け止めスプレーを取り出し、かなり適当に自分に振りかけた。
「小遣いがコレに消えちまうな」
「すぐに無くなっちゃうよね。うちはお母さんが買ってきてくれるから……」
「いまからでもバイトするかなあ……」
わたしもキッカもお嬢様学校である臨玲の生徒ではあるが、決して一般人が思うようなお金持ちの家で育っている訳ではない。
そういう生徒が多いことは確かだが、普通の生徒も少なくはない。
「臨玲がアルバイトOKってビックリだよね」
高校生のアルバイトは学校によると思うが、臨玲は申請などしなくても問題がなかった。
クラス委員長である凛の説明によると、お嬢様は高校生のうちから社会人としての経験を積むようだ。
家と関わりの深い企業で研修を受ける生徒もいるらしい。
例えば、クラスメイトの三浦さんは実家の高級旅館でこの夏は仲居さんとして働いていると凛が教えてくれた。
「凛はお金より社会経験を求めてバイト決めたって言うけど、まずは金だよな」
キッカが話すように凛はアルバイトというよりボランティアに近い働き方をしているようだ。
実費と寸志だけで毎日小学生に勉強を教えたり、遊んであげたりしているらしい。
やり甲斐があると聞いてはいるが、わたしはとても真似できそうにない。
「キッカはどんなアルバイトをしてみたいの?」
能力的にはなんでもできそうだが、見てみたいのはオシャレなカフェの店員さんだろうか。
わたしの質問に頭を捻り、キッカは「引っ越し屋とか割が良いって聞くよな」と予想外の答えを返してくる。
慌てて「肉体労働は大変なんじゃない」と止めると、「身体を鍛えるところから始めないと無理かなあ」と惜しむ表情を見せた。
だいたい高校生が雇ってもらえるかどうかも分からない。
もっと別の……できれば一緒にできるようなアルバイトなら……。
「漣はどう? バイト」
「わたしは……」
可愛い制服を着てウエイトレスをする姿が頭を過ぎるが、キッカならいざ知らず自分が似合うようには思えない。
わたしが言い淀んだのを見て、「漣は可愛いじゃん。最近自信がないみたいだけど、今日だってみんな漣の方を見ていたよ」と彼女らしい率直な物言いをした。
「誰かに何か言われた?」とキッカがわたしの顔をのぞき込む。
わたしは強く首を横に振ると、「そうじゃないの」と弁解する。
単純にわたし自身の意識の問題だ。
「最近ひよりがもの凄く綺麗になったじゃない。彼女だけじゃなく、高校生になってみんな垢抜けていく中でわたしだけ取り残されたような気になって……」
夏休みの当初に私服で集まった時にそれを強く感じた。
わたしだけ中学生気分が抜けていない服装で来てしまい恥ずかしい思いをした。
さらにキッカの目を意識することが増え、ほかのクラスメイトと比べてしまうようになった。
臨玲は――特にうちのクラスはレベルが高く、美人が揃っている。
彼女たちに勝てないまでも少しはわたしらしさを出したい。
そんな風に思って最近空回り気味だった。
「焦んなくていいんじゃねえか」と言ったキッカは「自分も女子高生っぽいことができているとは思えねーし、一緒においおい身につけていこうぜ」と頭をかく。
「そう、だね」と頷いたわたしは、肩の力が抜けたように「一緒にってことは、抜け駆けは禁止たがらね」と微笑みかけた。
「抜け駆けって?」とキョトンとするキッカに「ひよりみたいにさ」と言うと「なるほど」と納得顔になる。
「つまり、初めてのエッチは漣としなきゃダメってことか」
周りにひと気がないとはいえ、こんな明るいところで言うセリフじゃないよね。
顔から火が出ているんじゃないかというくらいわたしは顔面が熱くなった。
それでも余裕のありそうなキッカに顔を近づけて「約束だからね」と耳打ちすると、彼女は驚いたように目を瞠った。
そして優しさをたたえた瞳をわたしに向け、「分かったよ」と頷く。
わたしは浜松に住む親友の真夏に鎌倉巡りの一部始終を手紙やSNSで伝えている。
しかし、今日のこの一幕だけは書き記すことができなかった。
親友に対して大きな秘密を作ったまま、間もなくわたしは浜松に向かう。
††††† 登場人物紹介 †††††
飯島
岡崎ひより・・・臨玲高校1年生。母の再婚で暮らし向きが一変した。さらに淀野いろはとつき合いだして本来の性格が表れるようになった。
西口凛・・・臨玲高校1年生。クラス委員長。市会議員の娘で社会問題への意識も強く抱いている。
田辺真夏・・・高校1年生。漣の中学時代の親友。
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