第59話 令和3年6月3日(木)「雲」日々木陽稲
ミス臨玲コンテストで盛り上がっていた教室内の空気も落ち着いた。
細々とした学校行事はあるものの、6月は穏やかな日々が続きそうだ。
しかし、落ち着いたといっても女子高生の集団が静かなはずがない。
教室のあちこちに集団ができていて、そこでは甲高い笑い声が飛び交っていた。
とはいえそういうグループに属さずにひとりでいる生徒も中にはいる。
紫苑は大きくて目立つヘッドホンをつけて、話し掛けるなオーラを出している。
彼女ほどキッパリとそういう態度を取る女子は少ないが、窓から外を眺める人や席に座ってスマホをじっと見ている人など積極的にほかの人と関わろうとしないクラスメイトも見受けられた。
休み時間、わたしはそんな子に声を掛けて回っている。
コンテストのためという理由もあったが、中学時代の経験からクラスのまとまりの大切さを感じていたからだ。
それに生徒会長選挙が終わってから可恋が休み時間に様々な業務をするようになった。
生徒会長の仕事だけでなく、彼女が代表を務めるNPO法人の仕事なども空き時間にこなしている。
その集中力たるや、わたしですら声を掛けるのも憚られるほどだ。
構って欲しい気持ちもあるが2人でいる時にそういう時間を取ってくれるので、休み時間はこの時間にしかできないことをしようと思うようになったのだ。
「今日はあんまり天気が良くないね」
わたしは窓際に座り左手で頬杖をついていたひとりの少女に声を掛ける。
彼女とは最近ようやく雑談を交わせるようになった。
他人を拒絶しているというより、話すのが苦手という印象だ。
なかなか目を合わせようとしないが、わたしの話はちゃんと聞いてくれる。
「このくらいの天気の方が好きかも」
いまも彼女はこちらを見ずに答えた。
空は一面、白い雲に覆われている。
「わたしも紫外線が苦手だから、曇り空の方が好き」
わたしが微笑むと、彼女はチラリとこちらを見て再び視線を外に向けた。
彼女の前の席は主がいなかったので、わたしはそこに窓を背にして腰掛ける。
「わたしが好きなのは、雲が全部繋がって溶け合うようになっているところかな」
空を見上げながら少女はそう言った。
最近の若者は服装や髪型などで自分をアピールするよりも目立たずに周囲に溶け込むことを好むとよく指摘されている。
目の前の彼女、野中さんはまさにその典型だ。
周りに合わせて浮かないことがすべてという装いをしている。
悪く言えば無難でありきたり。
しかし、そこに彼女の意志が感じられた。
かなり意識的に目立たない容姿を維持している。
少し手を加えたら、可愛くなりそうな顔立ちだ。
本人もそれが分かっていて、それでもあえて自分を出さないような選択をしているとわたしには見えた。
「そうだね。吸い込まれるような大きな雲だね。その中にもいろんな濃淡があって見ていて飽きないよね」
わたしは振り向いて空を眺め、しばらくふたりは口を開かなかった。
そろそろ休み時間が終わりに近づき、腰を上げようと思った時に彼女がわたしを見た。
「コロナ……」と躊躇うように野中さんは呟く。
彼女は4月半ばに新型コロナウイルスに感染した。
無症状だったと聞いている。
クラスメイトの間に動揺がまったくなかったと言えば嘘になるだろう。
ただ委員長の西口さんを中心にホームルームで話し合い、非難したり差別したりしないように心掛けようと決まった。
感染した人に罪がある訳ではない。
心ない言動が起きないかわたしも注意して見守っていた。
幸い目の届く範囲では問題は起きていない。
しかし、彼女の口からこの言葉が出たということは何かあったのだろうか。
わたしはひと言も聞き漏らさないように身構えた。
「妹も同時に感染したの。彼女も無症状だったのだけど」
野中さんはポツリポツリと言葉を発する。
声が小さく聞き取りづらいが、感情の籠もっていない声音だった。
「連休明けに学校に行くと、ひとりの男子から『コロナ』と呼ばれて避けられたらしいの」
「……それは悲しいことだね」とわたしは眉をひそめる。
一方、野中さんはまったく表情を変えていない。
淡々と事実を述べていく。
「妹は、その日の終わりの会でその男子をクラス全員で吊し上げ、泣いて謝らせた。土下座させたって勝ち誇った顔でパパやママに告げたの」
わたしは絶句して言葉が出て来ない。
野中さんは「パパとママは褒めていた。それが当然だという顔で。でも、本当にそうなのかな?」と言葉を続ける。
「……土下座はやり過ぎなんじゃないかな」と答えるのが精一杯だった。
わたしが座っていた席の子が戻って来たので、わたしは「またね」と言って立ち上がった。
自分の座席に戻りながら可恋なら何と答えるだろうと想像する。
……やり返すなとは言わないだろうな。
あとあと問題にならないようにもっと上手く立ち回れなどとあまり参考にしちゃいけないアドバイスをしそうなので、このことを可恋に話すのは止めにした。
今日も可恋と純ちゃんとハイヤーで帰宅する。
先に純ちゃんを家に送り届け、可恋のマンションに戻るとエントランスに子連れの女性が立っていた。
「出雲さん、
わたしは驚きの声を上げる。
出雲さんはホッとした表情でこちらを見た。
彼女と最後に会ったのは1年以上前だ。
まだ二十歳前のはずなのに、なんだか老けた印象を受けた。
一方、彼女の足下にいる石見ちゃんは随分大きくなっているが、あまり元気がないようで呼び掛けたわたしの方をじっと見ていた。
出雲さんは自分の顔の前で両手を合わせると、「ごめん、一晩でいいから石見を預かって」と声を張り上げた。
娘を抱き抱えて、可恋に押しつけるように手渡す。
放り投げそうな勢いで横にいたわたしはハラハラした。
可恋が受け止めると、出雲さんは「明日迎えに来るから」と駆け出して行く。
だが、可恋は子どもを抱えたまま出雲さんの手首をがっしりつかんだ。
それを振り払おうとしてもビクともしない。
「離して!」の声がエントランスに響き渡る。
「警察を呼ばれて困るのは出雲さんだと思うのですが」と可恋は冷たい声で言った。
その言葉でがっくりと肩を落とした出雲さんは項垂れ抵抗を止めた。
可恋は「とりあえず部屋に」と彼女を促す。
わたしは石見ちゃんを抱えるのは危ない気がしたので、下に降ろしてもらい手を引くことにした。
「覚えている?」と幼女に声を掛けたが、残念ながら忘れてしまったようだ。
それでもおとなしくついて来てくれた。
去年はまだ赤ちゃんに近い感じだったのに子どもの成長の早さを感じる。
出雲さんは高校を中退して石見ちゃんを産んだ。
可恋の母の陽子先生は女性の問題を扱う研究者で、かつ支援を行う活動家でもある。
出雲さんは陽子先生が関西にいる頃に話を聞いた相手だった。
彼女はSNSで知り合った人を頼りに東京に出て来たが、同居していた男性が娘に暴力を振るいそうで怖くなって陽子先生に助けを求めた。
その結果数日間だけここでふたりは生活し、わたしたちと知り合ったのだ。
その後NPOなどの支援を受けながら部屋を借りて仕事をしていると聞いていたが、いったい何が起きたのだろう。
石見ちゃんが弱々しく握り返してくる手をわたしはギュッと握る。
社会の荒波の中でこんな儚い命を守ろうと願うなら戦うことも必要なのだろうと漠然と思いながら。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。日本人離れした容姿のみならず、極めて高いコミュニケーション能力を誇る。現在可恋と同居中。
野中夏純・・・臨玲高校1年生。ひとりで居ることの方が良いと思い込もうとしている少女。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。NPO法人の代表も務めている。8時間睡眠や2時間以上の運動の時間はきっちり確保している。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。カリスマ的若手女優。
大槻出雲・・・間もなく二十歳を迎える女性。シングルマザーで娘の石見を育てている。
大槻
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