第32話 令和3年5月7日(金)「茶道部」日野可恋

 昨日は散々だった。

 1年生の教室に初瀬紫苑見たさの上級生が押しかけたのだ。


 ゴールデンウィークが明けた。

 新しい学校や新しいクラスに慣れる期間と言える4月が終わり、学生生活は平常運転が始まったところだ。

 いつまでも1年生の教室付近を上級生進入禁止にしておくことはできない。

 高階たかしな円穂かずほという脅威も去った。

 そこで昨日からその制限が撤廃された。


 1年生の間では、この露出がほとんどないカリスマ女優への接し方に慣れてきている。

 彼女が他者を寄せ付けない雰囲気を出している時――たいていそんな状態だが――は声を掛けず、遠巻きに眺めるだけ。

 ジロジロ見ることがなくなった訳ではないが、騒ぎは起きていなかった。


 だが、昨日は騒乱状態になった。

 廊下は鈴なりの人だかりで、教室に入れないように前後のドアを守らなければならなかった。

 私と純ちゃんが中心となって見張りを務め、気を抜く暇もないほどだ。

 休み時間にお手洗いに行けない生徒が続出し、授業に支障を生じることとなった。


 担任や主幹の北条さんと話し合った末、紫苑が午前中だけで早退することで事態は収まった。

 彼女を無事に帰すために私は昼食の時間がろくに取れなかった。

 そのうえ今後の対策を考える必要があり、それにも追われた。


 上級生にとっては新たな刺激が欲しいタイミングだったのかもしれない。

 ゴールデンウィークは例年のように遊べず、ストレスが溜まっていた可能性が高い。

 クラス替えといった春のイベントを消化し、次に盛り上がりそうな”何か”を求めていた。

 それが突然目の前にぶら下げられて我先にと飛びついた印象だ。

 女子高の情報伝達速度を甘く見ていたとも言える。


 そんな慌ただしさの残る放課後に3年生ふたりが教室を訪ねてきた。

 茶道部に所属するというふたりは時間を取って欲しいと私に頼んだ。

 しかし、理事長たちと緊急のミーティングをする予定が組まれていたので翌日にしてもらった。

 その際に先輩のひとりが新館に行きたいと熱望したのでお昼休みに招待することにしたのだ。


 ちなみに、紫苑見たさに上級生が集まる問題は休み時間のタイミングを1年と2年3年でずらすことで対応した。

 昼休みは時間がかぶるが紫苑は新館に行くことが多いのでその行き来だけ気をつければ平気だろう。

 ミス臨玲コンテストを通して改善できればいいのだが……。


「昨日は何度も足を運んでいただいたそうですね。なかなかお目にかかれなくて申し訳ありません」


 昼休みの開始時間が異なるので1年生と3年生は別々のテーブルで食事を摂り、食べ終わってからひとつのテーブルに合流した。

 空調やアクリル板の設置で感染対策は徹底しているが、それでも話す時はマスク着用を守ってもらう。

 3年生ふたりは文句を言わずに従ってくれた。


「お気になさらずに。混雑が起きたのはあなた方の責任ではありません」


 湯川と名乗った女性は先輩風を吹かせることなく丁寧な言葉遣いで話す。

 雰囲気も落ち着いている。

 いかにも淑女という感じだ。

 一方、もうひとりの3年生はこちらを値踏みするような視線を送っていた。

 茶道部というイメージからはほど遠いが、上級生の貫禄はあった。

 彼女は「ここに招待してくれたからチャラにしてやるよ」と発言し、湯川先輩から「あきら」と名前を呼ばれて窘められた。


「それで、どういったご用件でしょうか?」


 ひぃなが教室まで歩く所要時間を考えれば、それほどゆっくりしてはいられない。

 私は早速本題に入った。


「茶道部は毎月茶会を催します。その今月の茶会に次期生徒会長を招待することになりました」


 決定事項として話す湯川先輩を私は目を細めてジッと見つめる。

 彼女は怯むことなく私の視線を受け止めた。

 余裕の笑みすら浮かべている。


 制服の色に合わせた巾着袋から封筒を取り出すと私に差し出した。

 そこには達筆の文字で「招待状」と記されていた。

 受け取った私は封を開け中身を一瞥する。

 開催日時が記載されたシンプルな紙が一枚入っているだけだった。


「茶会は正装でお願いします」と彼女はつけ加える。


 茶道部の情報は当然つかんでいる。

 この高校において特別な位置づけにある集団だからだ。

 いまの茶道部は入部を希望したからといって誰もが入れるところではない。

 簡単に言えば、かなり格式のある家柄の出身でなければ入部が許されないのだ。


 単純に金持ちというだけでは無理らしい。

 結構名の知れたIT企業の会長の娘が断られたという話を聞いたばかりだ。

 基準は公表されていないので詳細は分からないが、ひぃなでも無理かもしれない。

 彼女の祖父はこの新館を建てるためにポンと高額を寄付できる富裕層だが、地方の名士止まりで家格は高くない。

 寄付金を積み上げればあるいはという気もするがどうだろう。


 それはともかく、そんな出自の娘たちが集まった部活動なのでその影響力はかなりのものだ。

 OG会とのパイプも太いと聞いている。

 教師や学校職員が便宜を図ることもしばしばだ。

 理事長と学園長との間の派閥争いでは中立を保ったようだが、両者からうまく利益を享受していたらしい。


「喜んで出席させていただきます」


 味方につけることができなくても敵に回したくはない。

 少なくともこちらから喧嘩を売る必要はない。


 湯川先輩は正しい判断をした子どもを褒めるような笑顔で「良かったです」と応じた。

 紫苑はそれを見て不機嫌な感情を表に出している。

 彼女が余計なひと言を口にする前に私は「ところで」と会話を続けた。


「招待状は私だけに届いていますが、出席はひとりに限られるのでしょうか?」


 私はそう言って左右に座るひぃなと紫苑をチラッと見た。

 ひぃなは会談の最初から完璧な笑顔で表情をコーティングしている。

 紫苑は私の発言に眉をピクリと動かした。


「1年生がひとりで参加するのは心細いことでしょう。ご学友と同席したいというご希望は部長に伝えます」


「初瀬紫苑が来るとなると、参加したいというOGが殺到しそうだな」と茶道部のもうひとり、榎本先輩がニヤリと笑う。


 紫苑はかなり嫌そうな顔をしているが黙ったままだ。

 茶会の経験はなさそうだが、彼女なら少し練習しただけで完璧にこなしてしまうだろう。


 私は湯川先輩と連絡先を交換し、最後に「茶道部部長はどのような方ですか?」と尋ねた。

 名前はもちろん知っているが、その人となりは情報不足だ。

 北条さんからはつかみどころのない人物だと聞いている。

 生徒会と茶道部の両方を押さえてしまえば楽になりそうだが、目の前のこのふたりや部長が卒業するまでは望み薄だろう。


「そうですね。思慮深い人だと思います」


「腹黒の間違いだろ」と榎本先輩が茶化し、またも「暁!」と叱られて会談は終了した。


 教室に戻るまでの道のりで、ひぃなと紫苑がどんな和服を着るか楽しげに話し合っている。

 紫苑もファッションには関心が高いようで、ひぃなの知識には一目置いている。

 私はふたりの様子を眺めつつ、周囲を警戒しながら歩く。


 コンテストの準備や新しい生徒会の役員集めをしなければならない中で、またも面倒事が増えた。

 高校生活は始まったばかりだが、予想以上に波瀾万丈の予感がする。


 ……まあ、いいか。


 折角だ。

 この刺激的な日々を楽しむのも悪くはない。




††††† 登場人物紹介 †††††


日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長選挙の結果、次期会長に就任することが決まっている。理事長の刺客として生徒会改革を行おうとしている。


湯川みなと・・・臨玲高校3年生。茶道部。部長を含め5人で行われる茶道部例会メンバーのひとり。副部長のようなポジションを務めている。


榎本あきら・・・臨玲高校3年生。茶道部。例会メンバーのひとり。ムードメーカー。湊の親友。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。新しい生徒会では副会長に就任する予定。日本人離れした美しさと幼い外見によって見た目ばかり注目されるが頭の良さもかなりのもの。ファッションデザイナー志望。


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。同世代から圧倒的に支持される映画女優。演技力の高さは多くの批評家からも絶賛された。


北条真純ますみ・・・臨玲高校主幹。学校職員としてこの高校を取り仕切っている。理事長の右腕。


くぬぎたえ子・・・臨玲高校理事長。人望がまったくないという欠点の持ち主。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る