第127話 令和3年8月10日(火)「運命の決断」網代漣
「お嬢様学校に入学したって言うから、縦ロールに金ピカのドレスで帰ってくるかと思ったよ」
「何よそれ」とわたしが笑うと真夏も無邪気な笑顔を見せた。
3月末、わたしが引っ越す時には手を取り合って泣いた仲だ。
あれから数ヶ月が経った。
久し振りに顔を合わせると、まるで昨日も会ったかのように自然な会話ができている。
手紙を書いたりSNSで頻繁にやり取りしたりしていたから当然のことかもしれない。
だが、親友の真夏とは心を通わし合える特別なものがあるように感じる。
「真夏はどうなの? 高校生になって……」
彼氏はできた? と軽口を言い掛けて言い淀む。
LINEではそんな素振りはなかったが、絶対にないとは言い切れない。
遠く離れたいま、自分の伝えたいことしか相手に教えないでいられる。
実は……と言われてしまったらどう返せばいいか分からなくて、わたしは言葉を続けることができなかった。
「まあ中高一貫だから、あんまり変わらないよね」
「そうなんだ」
幸いわたしの感情の揺れに真夏は気づかなかったようだ。
わたしはホッとしながら晴れ渡る空を見上げた。
浜松に帰ってきたのは昨日のことだ。
お父さんが運転する車で家族4人お祖母ちゃんが暮らす郊外の家にやって来た。
両親からは「夏休みに入ってすぐに浜松に連れて行けって言われるかと思っていた」と指摘されたが、わたしも妹もすっかり鎌倉に馴染んだのだろう。
それでも今日という日を心待ちにしていたことには変わりがない。
いつになくすっきりと朝は目覚め、鎌倉土産を手に待ち合わせ場所に飛んできた。
約束の時間よりかなり早く着いたのに、真夏はもう待っていた。
さすがに見違えるとまではいかないが、それでも高校生の雰囲気は出ている。
髪は伸び、後ろでひとつにまとめられている。
ポロシャツ姿で、服装は中学時代とそんなに変わっているように見えないが、どこかお姉さんめいたところがあった。
少しだけ身体のラインに凸凹が増え、化粧気はなくても目がパッチリしている。
そんな些細な変化の積み重ねが少女を大人にしていくのだろう。
「実はさ……」
会った時とは一転して真夏は顔を曇らせた。
いや、最初から悩みを抱えていたような目をしていたような気もする。
ふたりの時は彼女が聞き役に回ってくれることが多く、わたしはついそれに甘えてしまう。
こんな風に彼女から相談を持ちかけられたことはほとんどなかった。
わたしは身を固くして、言葉の続きを待った。
「学校が楽しくないんだよね」
「えー、意外。何かあったの?」とわたしは身を乗り出す。
真夏はわたしよりもクラスの人気者で、友だちも多く、学校ではいつも楽しそうだった。
わたしは彼女がいたから学校生活を楽しむことができた。
まさかわたしが居ないからなんてことはないだろう。
「うーん……、特に何かがあったって訳じゃないけど……」と歯切れの悪い感じでポツポツと語り出した。
真夏の話によると、彼女のクラスは外部進学組が多く、教室の雰囲気は中学時代とはかなり異なるそうだ。
自由でのんびりした学校だったのに、一部の生徒たちによってそんな空気は消え去った。
彼ら彼女らに非モテと判断されるとクラスでは人間扱いしてもらえず、どれだけ自分がモテるかモテたかの自慢話が延々と大声で語られている状況なんだとか。
「こちらが何を言っても相手にされないし、男子からは嫌らしい視線を向けられたり、いろいろ言われたり……。言うのは女子も多いけど」
まさかそんなことになっているとは思いもよらなかった。
LINEなんかではそんな悩みがあることさえ気づかなかった。
相談されてもわたしに何かできたとは思えないが、こちらから一方的に話してばかりだったことを反省する。
「そんなことがあったなんて……。中学の時の友だちは?」
「何人かは蔭で支えてくれているよ。ただ表立って味方についてくれる子は……」
数の上では優位に立つ内部進学組だが、わたしたちの周囲はおとなしい子が多かった。
それに真夏と敵対する集団につく子も少なくないらしい。
真夏はいじめと呼ぶほどではないと話すが、話を聞く限り立派なセクハラだし身の危険を感じることもあったようだ。
教師に相談することを勧めても、彼女は首を横に振った。
「ごめん。せっかく会えたのにこんな話をして」
「真夏が謝ることじゃないよ!」
たいして力になれないわたしに打ち明けるほど彼女は追い込まれている。
いままで見たことがないほど弱々しい親友にわたしは何ができるだろう。
キッカなら。
ひよりなら。
鎌倉で知り合った友人たちの顔が浮かぶ。
「中学の時の友だちを集めよう! わたしが会いたがっているって理由じゃ来ないかもしれないから、初瀬紫苑のサインをつけるとか何とか言って」
「大丈夫なの?」と心配する真夏に「大丈夫じゃないけど、何かしないと! わたしが何か言ったって誰も聞いてはくれないかもしれないけど、じっとしてなんていられないじゃない!」と人生最大クラスの大声を出す。
何なら真夏をいじめる人たちに直接文句を言ってやりたい気分だ。
そんな連中を前にしたら尻込みするかもしれないが、それでも「ダサい! 最低! 人間の屑!」くらいは言えるだろう。
「分かった。いますぐ声を掛けるよ」と真夏は吹っ切れた顔つきになった。
彼女はスマートフォンを高速で操作すると、「今日の午後でいいよね?」とわたしに確認する。
心臓がドクンと鳴る。
心の準備はできていないが、明日以降になればもっとドキドキしてしまうだろう。
いまのこの勢いがあるうちの方がいい。
わたしを良く知る親友の判断に唇を噛み締めて頷いた。
コンビニでパンをひとつずつ買ってそれを喉に押し込むと学校近くの公園に向かった。
よくここで学校帰りに真夏とお喋りをしたものだ。
虫除けスプレーは必需品で、それを使ってもよく刺された。
いまは蝉の声がけたたましく、わたしの声なんてかき消されるんじゃないかと心配する。
やがて、顔見知りの人たちが集まってくる。
仲が良かった子は気安く声を掛けてくれたが、ほとんど話したことのない子も顔を出していた。
男子も女子もいる。
臨玲と比べると垢抜けない感じの服装が多い。
真夏のクラスを仕切っている連中は自分たちは違うと見下して馬鹿にしているのだろう。
でも、上には上がいる。
モテるとかファッションセンスが良いとか、それ自体は否定することじゃないけどそれだけで人の価値が決まる訳じゃない。
「
本当に蝉の声がうるさい。
こんな人前で話したことなんてあっただろうか。
わたしは暑さにイカれた頭のまま叫ぶ。
「わたしは鎌倉に行って、友だちの大切さを知ったの。真夏はひとりで寂しかったわたしを慰めてくれた。だから、今度はわたしが真夏の力になりたい」
なんとか声を張り上げて耳には届いているようだが、心にまで届いているようには見えない。
クラスメイトの日野さんや日々木さんなら一発で人心掌握ができるのかもしれないがわたしには無理だ。
しかし、わたしなりに精一杯やるしかないんだ。
「モテることも大事だけど、それだけじゃないでしょ? 人それぞれ好きなことに打ち込めばいいじゃない。だいたい、真夏は最高に格好いいんだからモテないはずないよね。それをひけらかさない真夏が素敵なのであって、真夏をいじめている連中は妬いているだけなんじゃないの?」
頭の中を整理していなかったので、話しているうちに変な方向に進んだ気がした。
だが、途中で止めることはできない。
なぜか真夏讃歌が続いてしまった。
「漣」と真夏がわたしの名前を呼んだ。
「ん?」と横にいる彼女の方を向く。
「本当にそう思う?」と真剣な瞳で真夏が尋ねる。
どの言葉のことか分からなかったが、思ってもないことを言っている訳ではない。
だから「もちろん」と頷いた。
「だったら恋人としてつき合ってくれる?」
なぜかその瞬間だけ蝉の声が止んでいた。
しんと静まった公園に彼女の思いの籠もった声だけが流れる。
わたしは息を呑む。
驚きで頭の中は真っ白だ。
わたしの戸惑いをよそに周囲からは様々な声が上がった。
悲鳴、歓声、驚き、それに混じってなぜかスマホのシャッター音も……。
真夏はクラスの現状を語った時よりも不安に満ちた目をしている。
わたしの反応を待っていると分かっているのに、わたしは固まったまま動けないでいた。
……キッカ。
……どうしよう。
再び蝉が鳴く。
わたしたちを祝福するような大音量を背に、わたしは「うん」と顎を引いた。
††††† 登場人物紹介 †††††
田辺
飯島
岡崎ひより・・・臨玲高校1年生。淀野いろはと愛欲三昧の夏を過ごしている。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。同世代に圧倒的人気の映画女優。クラスメイトに頼まれてもサインはしない。
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