第136話 令和3年8月19日(木)「久しぶりに会うと……」湯崎あみ
「おはようございます」
元気溌剌といった顔でつかさが声を掛けてきた。
わたしは上ずった声で「お、おはよう」と応じる。
健康的な肌つや。
愛くるしい目元。
つかさは本当に可愛い。
こんな素敵な少女がわたしとつき合っているだなんて、夢を見ているかのようだ。
しかし、好きだと告白してから半月以上もリアルで顔を合わせることができなかった。
わたしは受験生で、つかさもこの夏は予備校に通い始めた。
また、吉田さんに借りを返すためにわたしは社交の場に顔を出す機会も多かった。
告白ができてホッとしたという気持ちもあった。
釣った魚に餌をやらないという訳ではないが、安堵感があっていままでのような会わなきゃいけないという焦燥感とは縁遠くなっていた。
もちろん毎日LINEではやり取りを重ねた。
理由がなければメッセージを送ることすら抵抗を感じていたのが払拭され、気軽に毎日の出来事を伝えることができるようになったのだ。
それで満足していたとまでは言わないが、気がつけば夏休みも終盤を迎えていた。
「じゃあ、行きましょうか」
同じ文芸部員のみるくちゃんと挨拶を交わしたつかさはわたしに微笑みかける。
ああ、もう地獄の底までついていくよと口走りかけたが、かろうじて先輩の威厳を保ち「行こうか」と頷く。
「先に行ってますから、もっとゆっくりしていていいですよ~」とみるくちゃんが気を利かしてくれるが、改まってそう言われると照れてしまう。
わたしが頬を赤らめてつかさの様子をうかがうと、彼女は普段通りの表情で「そんなに気を遣わなくていいからね」とみるくちゃんに答えていた。
そうだよね。
あまり後輩に気を遣わせちゃ悪いよね。
わたしは残念そうな顔を出さないように気をつけながら、ふたりのあとを追って部室を出た。
向かう先は生徒会室のある新館の建物だ。
部室棟からは結構遠いので直で行くことも考えたが、つかさとのラブラブな展開を想像して部室で集合することにした。
告白したとはいえイチャついたことなんてないのであくまでもそうなったらいいなという願望に過ぎない。
現実はみるくちゃんもいるし、こうして挨拶しただけで部室を出ることになった。
昨夜ベッドの上であんなことになったらどうしよう……とのたうち回っていた展開は夢で終わってしまうのか。
前を歩くふたりは会わなかった間の出来事について話している。
仲が良さそうで、ちょっと妬いてしまうくらいだ。
時折みるくちゃんが振り向いて会話に加わるように促してくるが、考えてみれば夏休み中の行動はすべてつかさに話してしまった。
元々部活中も本を読んでいる時間が長くてそんなに会話することはない。
読んだ本の話をしたくても最近は読書はご無沙汰だった。
夢の中なら「今日のつかさは可愛いね」みたいなセリフを口にできるが、リアルでは死んでも言える気がしない。
そうこうしているうちに新館に到着した。
会議室にはすでに映像研の部員が来ていた。
つかさは同学年の友人と久しぶりの再会を喜び合っている。
映像研からの参加は1、2年生だけなので、手持ち無沙汰なわたしは先に席に着いた。
この部屋は落ち着いた白を基調とした部屋だ。
飾り気がないので殺風景にも感じるが、機能美が優先されている。
換気や空調設備が整い、Wi-Fiなどの通信環境も充実している。
ペーパーレスを目論む生徒会長は会議室でのノートPCやタブレットの貸し出しもできるようにしていた。
続いて数人の女子生徒がキョロキョロしながら入室してきた。
その中のひとりはわたしと同じ3年生だった。
ここで会うのは初めてだ。
彼女はわたしに気づくと「こんなところで会うとはね」と片手を挙げて近づいてきた。
「演劇部も呼ばれたんだ」
「いや、こちらから売り込んだっていうのが近いかな」と演劇部部長の
臨玲には高校生ながら社会との繋がりを持つ生徒が多い。
社交のような形だったり、校外サークルやセミナー、ボランティアなど家柄に相応しい活動をしたりしていないと白い目で見られることがある。
家の仕事について学ばされるケースも少なくない。
だからか、学校内での評価――学力や運動能力、教室内のヒエラルキーといったもの――よりも学外で何をしたのかで認められるところがある。
3年生の中で知名度の高い首相の娘より吉田さんの方が敬意を集めているのはそういう面もあった。
演劇部は臨玲の中では変わった集団として知られている。
常にどういう家柄の人かが問われるこの学校で、それを一切考慮しないのが演劇部だ。
その部長を務める新田さんはわたしたちとは異なる形で社会との繋がりを築いている。
彼女は演劇を通して学校外で個人として信用を得ているのだ。
「演劇部が参加してくれるのなら心強いね」
臨玲祭で発表する生徒会の短編映画制作の協力要請を受け入れたものの、文芸部には荷が重いと感じていた。
映像研も協力することになったが、ここも実際にはたいした活動を行っていない。
どちらも文化系の部活らしく部室に集まってお喋りが大半というのでは映画制作にどれだけ役に立てるか分からなかった。
それに比べると演劇部は身体を鍛えたり発声練習をしたりと日々本番に備えているし、吹奏楽部と並んで文化系の中では実践的な部活と言える。
どんな協力を求められるのかはまだ不明だが、演劇部の存在は百人力と言えるかもしれない。
しばらく雑談を交わしていると、ドアが開き生徒会メンバーが現れた。
先頭は短編映画の監督を務める初瀬紫苑さん。
テレビに出演することはあまりないが、間もなく新作映画の公開ということで最近は露出が増えている。
そんな人が目の前にいると少しばかりドキドキする。
彼女のマネージャーがあとに続き、生徒会長補佐の岡本さん、部活動改革の会議でよく顔を合わせたクラブ連盟の人たちが入室してきた。
わたしは生徒会長と副会長の姿を探したが見当たらなかった。
「お集まりいただきありがとうございます」と口火を切ったのは岡本さんだ。
全員が着席し、静まりかえったところで初瀬さんが席を立つ。
彼女の仕草は常に映画の一シーンのように芝居がかっている。
いまも指先にまで神経を通わせているように繊細に、優美に立ち上がると、ゆっくりとこの場にいる全員の顔を見回した。
「臨玲で過去に行われていた……という事実は存在しませんが、プロム――卒業記念パーティーをメインに描き、ダンスシーンを軸に回想シーンを組み入れる形にします」
初瀬さんは監督なので映画には登場しないが、日々木さんや日野生徒会長のダンスシーンが見られるかと思うと興味が湧いた。
彼女はさらに旧館の工事が終了し、舞台設定の準備が調っていることを集まったメンバーに伝えた。
その上で挑発的な視線で問い掛けた。
「臨玲の生徒ならエキストラとしてダンスに参加できますよね?」と。
演劇部はともかく、文芸部や映像研の生徒は目を丸くしている。
撮影の手伝いとしか聞いていなかった。
まさかエキストラなんて……。
さらに彼女のマネージャーが前に進み出て補足する。
「短編映画なので小規模ですが、撮影等大部分をプロのプロダクションと契約して行うことになりました。エキストラまでプロにお願いすると学園祭に相応しくないという判断で皆様にご協力いただきます」
決定事項として語られたが、なんだか大ごとになっている気がする。
わたしはつかさに視線を送った。
案の定、彼女はワクワクした顔つきになっている。
社交の場に彼女を連れて行くことはできなかったが、これなら。
わたしにしては珍しく前向きな気持ちでエキストラに応じることを決めた。
††††† 登場人物紹介 †††††
湯崎あみ・・・臨玲高校3年生。文芸部部長。社交は苦手だが一通りのコミュニケーション技術は叩き込まれている。しかし好きという気持ちが絡むと上手くいかなくなってしまう。
新城つかさ・・・臨玲高校2年生。文芸部。好奇心が旺盛。友だちも多い。
嵯峨みるく・・・臨玲高校1年生。文芸部。中学時代からカップルを作るのが趣味。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。同年代に圧倒的支持をされている映画女優。臨玲祭に生徒会として出品する短編映画の監督を務める。撮りたい内容をマネージャーや事務所と相談しているうちにどんどんと大掛かりになってきた。
岡本真澄・・・臨玲高校2年生。生徒会長補佐。会長、副会長が欠席のため駆り出された。
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