第398話 令和4年5月8日(日)「ゴールデンウィークの終わりに」日々木陽稲

 ……見に来て欲しかった。


 そうわたしが言えば、可恋はきっと「ごめん」と謝るだろう。

 ファッションショーが終わって3日が経つ。

 この土日は久しぶりにゆっくりと過ごすことができた。

 可恋も家にいて、ふたりきりの穏やかな時間が心地いい。

 これが永遠に続けばいいのにと願わずにはいられないが、明日からは慌ただしい日常が戻って来る。


「言いたいことは口にした方がすっきりするんじゃない?」


 午後から雲が出て来て陽差しはすっかり陰っている。

 このリビングはいついかなる時も快適な環境を保っているが、ベランダのガラス戸から見える空はわたしの気持ちを表しているように思えた。


 わたしの目の前ではお姉ちゃんがお昼に持って来てくれたシフォンケーキを可恋が口に運んでいた。

 退院した頃に比べると肌つやは良くなり、食欲も出て来たようだ。

 むしろわたしの方が――もともと少食ではあったものの――食が進まずに可恋に心配を掛けている。

 いまもわたしの分のシフォンケーキには手がつけられていない。


「ずっと考えていたんだけど、わたしより藤井さんの方が生徒会長に相応しいんじゃないかな」


 過去のことを言ったところで得られるものはない。

 それよりも未来の話をした方が有意義だろう。


「藤井さんが可恋のやって来たことを全否定するというのなら全力で闘うつもりだけど、部活の件以外は可恋のやり方を継承するって話しているし……」


 可恋がわたしに生徒会長を引き継ぐように命じたのは彼女が就任した直後だ。

 その時は生徒会や臨玲の改革に時間が掛かると思い受け入れた。

 生徒会長選挙であまり可恋の力になれなかったという悔いもあった。

 だが、可恋は瞬く間に改革を進め、半年で事を成し遂げた。

 藤井さんが裏で芳場前会長や高階さんと繋がっているという可能性も低いと思う。

 だったら……。


「ひぃなは生徒会の仕事よりもファッション関連の仕事に時間を割きたい?」


 可恋がわたしの考えを代弁するように問い掛けた。

 ファッションショーの開催間近になってからは生徒会の仕事は岡本先輩に、ショーの雑事は原田さんに任せていた。

 そしてわたしは東京の”工房”で服作りに取り組んだのだ。

 単にデザインを考えるだけでなく、素材や製法といったものづくりの根本から関わることができた。

 困難も数多くあった。

 それでもとても充実した時間だった。

 学校を辞めてそれに没頭したいと思うほどに……。


「その気持ちは分からなくもないけど、ひぃなに多額の投資をしている立場からは承諾できない」


「どうしてって聞いてもいい?」


「単なる職人――或いはアーティストと言い換えてもいい――ではなく、ひぃなにはブランドの創始者――経営面も含めて――として率先してアピールできるようになって欲しいというのがひとつ」


 可恋は人差し指を立てた。

 続けてVサインを作り、「もうひとつは、飯島さんのことでひぃなが行ったスピーチ。良くも悪くも多くの生徒の心を動かしたみたいだ。その行く末には責任を負わなきゃいけない」と言葉を続ける。


「でも、当選するとは限らないよ?」


「全力で闘って負けたのならみんな納得してくれるよ」


「……可恋は? 可恋はどう思っているの?」


 可恋ならわたしを当選させることくらい簡単にできても不思議ではない。

 圧倒的に劣勢と思われた状況からほぼ互角なところまで情勢を変化させたのも彼女の力に依るものだった。

 可恋は「私が入院していてひぃなが動けなかった不利を帳消しにしただけ」と話していたが……。


「私も同じ気持ちだよ。全力で闘ったなら結果は気にしない」


「闘うことに意味があるの?」


「人はね、面倒事をパパッと解決してくれるリーダーを常に求めている。うまくいかなくてもその人の責任にできるから」


 可恋こそまさにそういうリーダーだ。

 どんな難問でもアッサリと解決してしまうような。


「みんな楽がしたい。責任を取りたくない。良い目を見たい。それをしてくれる指導者にすべて委ねたい。ただ、それが行き着いた先はナチスだったりいまのロシアだったりする」


 最初は真っ当に国民が選挙で選んだ。

 だが、次第に反対派は弾圧されていき選挙は形骸化していく。

 そして国民を満足させるためには周辺国から収奪することが必要になる。

 戦争に至る道だ。


 そんな風に説明した可恋は「民主主義国家として伝統がある国でも強力なリーダーシップを望む人は少なくない。政治への関心の低さも問題で、その結果がいまの日本の停滞に繋がっている」と滔々と語った。

 口調とは裏腹にその瞳には熱が籠もっているように見える。


「臨玲の問題だって関わる人々――理事長や学園長だけでなく各理事、教職員、生徒たち――それぞれの無責任が招いたものだった。解決に向けて尽力しようとせず、目の前の不正から目を逸らしていた」


 解決から1年が経ち、あの頃のことはなかったような雰囲気がある。

 高階さんの学年の人たちが卒業したことは大きいが、彼女の被害に遭った生徒はいまも校内に残っているはずだ。

 話を蒸し返した方がいいかどうかは分からない。

 忘れてしまいたいという人も多いだろう。

 ただ、誰かに解決してもらってめでたしめでたしという捉え方で本当に良いのだろうか。


「部活強制加入を導入したことで私の支持率はあまり高くならなかった。制服導入にはひぃなを前面に出していたしね」


「つまり、可恋に頼って、あとは何も考えないで良いって形にしたくなかったのね?」


 可恋は答えなかったが、その目を見れば間違っていないと分かる。

 部活の改革は高階さんのような人が二度と現れないようにという狙いだと思っていた。

 それもあったのだろうが、あえて不人気な施策を実行したということか。


「民主主義において選挙はもっとも大切な行為だし、自分の1票で選挙の行方が決まるなんて体験ができれば大いに価値があるんじゃないかな」


「始めからそれを狙っていたの?」


「まさか。藤井さんがこうなるなんて全く予測していなかったよ。私も人間だからね、全知全能じゃない」


 微笑む可恋の顔は魔王のそれだ。

 予想外の出来事をすぐに利用して、自分の考え通りに事を成し遂げようなんて人間業ではない。


「それが可恋の望みなら頑張る。でも、当選したら生徒会の仕事は可恋にやってもらうからね」


「ひぃなには原田さんっていう優秀な信徒がいるじゃない。人の使い方を覚えるのもこれからの課題だよ」




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。ファッションデザイナーとして臨玲の新しい制服を担当した。5日に開催したファッションショーでも実質的な総責任者だった。


日野可恋・・・臨玲高校2年生。生徒会長。改革に辣腕を振るったが昨秋から入院していた。なお生徒会の権限は大幅に縮小していて、彼女が動けるのは臨玲理事の立場としてがほとんど。


高階円穂かずほ・・・1年前に退学処分を受けた生徒。クラブの活動費に関する不正のほか、外部の反社会的勢力と繋がり悪事を重ねていた。


原田朱雀・・・臨玲高校1年生。陽稲たちの中学の後輩で、陽稲を女神のように崇めている。可恋に鍛えられているので仕事もできる。

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