第399話 令和4年1月~「駆け落ち」湯川湊
「
令和の日本で、そんな話が自分の身に降りかかるとはさすがに考えていなかった。
「正月の挨拶回りで
分家の人たちはまるで蟻がたかるかのように本家の甘い汁を啜っている。
小狡いがほかを出し抜くほどの器量を持たない連中だ。
今回の計画はその一部が主導して進めているらしく、計画から外された分家の人間が密告してくれた。
「最低だな」と暁が吐き捨てる。
そして、「いくらなんでも家名に傷がつくだろ」と声を荒らげた。
茶道部の幹部専用の茶室には私たちしかいないが、外に声が漏れないか気になってしまう。
「名誉や誇りなんて気にする人たちじゃないわ。私が成人になったから反逆を恐れているのよ」
いままでは私が未成年で彼らの言いなりになるしかできなかった。
しかし、私が成人したいま大事な金づるに逃げられる恐れを感じているのだろう。
「私が産んだ子どもを引き取って本家で育てるつもりのようね。扱いやすい子どもが本家の当主である限り彼らはやりたい放題できるから」
しかも、鹿法院と繋がりができるのだ。
鹿法院は心ある人からは白い目で見られているが、敵に対して容赦ない態度を取ることから表立って批判する者は少ないそうだ。
どこまでが事実か分からないが、政治家や暴力団などに太いパイプを持つとされる。
女にだらしないという欠点があるため表舞台に出ることはないものの、フィクサーとして政権与党にも多大な影響力があると言われている。
「父のように分家に尻尾を振るしか能のない婿養子を取ると思っていたけど、向こうが一枚上手だったと言うしかないか……」
「どうする?」と暁に問われ、「鹿法院が相手じゃ、ゆかりは巻き込まない方が良いよね。国内じゃいつかは見つかりそうだから、国外に逃げ出したいけど……」と私の声は小さくなっていく。
コロナ禍なので海外に行くにも制約が多い。
出国前には検査を受けて陰性であることを証明する必要があるが、分家や鹿法院の目を盗んでとなると簡単ではないだろう。
このやり取りが1月初めのことだった。
間もなく3年生は自習ばかりとなり、大学受験とは無関係な私は家から出ることも許されなくなった。
家の中でも常に使用人が監視している状態だ。
ひとりになれるのはトイレの個室の中だけ。
当然スマートフォンの持ち込みは許されない。
暁やゆかりとの連絡は逐一チェックされ、助けを求めることもできないでいた。
「茶道部の引き継ぎがあります。4月から鹿法院の姫が入部しますから粗相のないようにしっかり後輩を指導しておかなければなりません」
そう言って登校の許可を得ることができたのは2月に入ってからだ。
次に制服に身を包むのは卒業式かと思いながら支度を済ますと、「15時半に迎えの車を寄越すので時間を厳守するように」と出掛け際に言われた。
1ヶ月振りに再会した暁にその指示を話し、「恐らく今日このあと鹿法院のところに連れて行く気だ」とつけ加える。
彼女は「自分の娘がこれから通う高校の制服を着た女を抱こうなんて良い趣味をしてるじゃねえか」と凄みのある表情を浮かべていた。
タイムリミットは15時半。
それまでに逃げ出したいところだが、多分すべての出入り口に見張りがいるはずだ。
それをかいくぐったところで、行く当てがない。
私ひとりならまだしもこんな無計画な逃避行に暁をつき合わせる訳にはいかない。
「もう諦めるしか……」と口にしかけた私に「ここで諦めちゃ仏様に会わせる顔がねえ」と暁はニヤリと微笑んだ。
彼女は鎌倉の名刹の娘だが、これまで仏様なんて言葉をその口から聞いた覚えがない。
驚く私に「これでも篤信家なんだぜ。だから得かどうかなんて関係ねえ。徳を積むことが最優先だ。最後までつき合うぜ」と啖呵を切った。
「……暁」
「とはいえ、どうしたらいいかはサッパリだ。そこは湊が考えてくれ」
これまで私なりに家から逃げ出す方法を考えて準備はしていた。
だが、ここまで現実が悪意を持って押し寄せると机上の空論では通用しないとよく分かる。
ゆかりが頼れないとなればあとは生徒会長くらいだが、彼女はいま入院中だ。
「そういえば日野会長が入院する時に、何かあったら会長代行を頼れと話していたよね」
私の発言に暁が「岡本真澄か」と呟いた。
茶道部入部を蹴った人物なのであまり良い印象は持っていない。
亜早子たちとは良好な関係を築いているようだが、私との関わりはこれまでほとんどなかった。
「一本の藁でも縋ってみようぜ」
躊躇う私に暁が背中を押す。
ほかに代案は浮かばず、私たちは2年生の教室へと向かった。
昼休みになって新館の生徒会室に招かれた。
さすがにほかの場所では事情を打ち明けられない。
一通り説明をすると、彼女はあっさり「分かりました」と頷いた。
会長代行は自分の席で軽食をつまみながらパソコンやスマートフォンをせわしげに操作している。
私と暁も久しぶりに新館の昼食を用意してもらった。
ただ食べ物はまったく喉を通らない。
暁は「体力をつけないと逃げられないぜ」と無理やり食事を自分の口に押し込んでいた。
しばらくして予想外の人物がやって来た。
演劇部部長の
変わり者として有名で、3年生の間で知らない人はいないだろう。
「臨玲に常設の劇場でも作ってくれるのかい?」
「新田先輩にお願いがあります。湯川さんを助けるのにご協力ください」
岡本さんの言葉を聞いて演劇部の部長がこちらに視線を向ける。
ベラベラと話したいことではないが、彼女の助力が必要なのだろう。
私は改めて事情を明かす。
「それで、何をさせたいの?」
「彼女たちをここでしばらく匿う予定です。しかし、校内に残っていると思われてはマズいので一芝居打って欲しいのです」
岡本さんに依るとこの新館には居住スペースがあるそうだ。
ベッドも置かれ、ふたりくらいなら快適に過ごせるらしい。
「……ふむ。面白い。どうせなら駆け落ち宣言をしてド派手にぶちかまそう」
「「駆け落ち宣言!?」」と私と暁の声がハモる。
「君たちが主役なんだから多少は協力してもらわないとね」
「……分かりました」と私は答え、暁の様子を窺う。
仏頂面だが、どこか照れているようにも見える。
私は新田さんに視線を戻し、「ほかの人を危険にさらすことになるのでは?」と聞いた。
「君の身の上話は一切出さないよ。あくまで愛を貫くための駆け落ちということにする。演劇部の子らに変装して逃走してもらうけど、話を聞く限り今日見張りをしているのは君の家の関係者だろうから臨玲の生徒に手は出せないはずだよ」
何組か用意して逃げてもらうというから本格的だ。
見返りもなしになぜ協力してくれるのかと問うと、「君たちのことを
それくらいならと思い承諾したが、「来年の臨玲祭は盛り上がるだろうね」と彼女は意味深に微笑む。
私が臨玲祭に行くことは二度とないだろうが、その理由に”恥ずかしくて行けない”というものがつけ加えられるかもしれない。
『私は暁のことが死ぬほど好きなの』
『オレもさ。二度と離れはしないよ』
そんなこっぱずかしいセリフをマイクの前で言わされたあと、私たちの隠遁生活が始まった。
部屋は説明にあった通り過ごしやすいところだった。
食事も下のカフェから運ばれてくるので文句のつけようがない。
もちろん外に出られないというストレスはある。
しかし、私は自宅での監禁に近い生活より遥かに自由を感じていた。
一方、暁はそういう訳にはいかないだろうと予測していた。
自由奔放で行動力のある彼女がいつまでジッとしていられるか。
私の何十倍もアンネ・フランクのような生活に苦痛を感じているに違いない。
「悟りを得るための修行だと思えばどうということはないさ」
そう言って笑う暁は「ただ、艶めかしい肉体がすぐ側にあるから煩悩が大変だ」とおどけてみせる。
私としては鹿法院に好きにされるくらいなら暁に差し出したいと思うものの、この仮住まいで淫らな行為に耽ることには抵抗があった。
それに、いつまでもこの生活が続くということはない。
いつかはバレるだろう。
それまでのわずかな時間だけが私に与えられた自由だ。
校内にいながら卒業式にも出席せず、桜のつぼみが大きくなってきたというニュースが流れる頃ついに動きがあった。
それは生徒会長の日野さんからの電話だった。
『出国の準備が整いました。鹿法院が手を引くということなので国内に残ることもできますがどうしますか?』
††††† 登場人物紹介 †††††
湯川
榎本
吉田ゆかり・・・臨玲高校3年生。茶道部前部長。由緒ある家柄で、祖母は臨玲の理事としてかなりの影響力を持つ。
岡本真澄・・・臨玲高校2年生。生徒会長代行。大手製薬会社の創業家一族。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。前年の11月から入院している。
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