第117話 令和3年7月31日(土)「運命はいつもわたしを裏切る」湯崎あみ
昨日は3人でパーティーに着るためのドレスを選びに行った。
別荘地だから都会ほどそういったお店がある訳ではないが、知り合いを頼って情報を集め自転車で何軒か回った。
本当はつかさに似合うドレスを贈りたい。
しかし、高校生のプレゼントとしては高価すぎるだろう。
先輩後輩という上下関係は存在しているが、それでも彼女とはできるだけ対等な間柄でいたかった。
それにお店を見て回るだけでも楽しかった。
彼女の試着する姿をたくさん目に焼き付けたし、本当に充実した1日だった。
これだけで合宿に来て良かったと心の底から思えるほどに。
今日はあいにく天気には恵まれず小雨の中を別荘の管理人さんに車を出してもらい3人で美容院に向かった。
パーティーというとわたしにとっては憂鬱の代名詞だ。
着心地や動きやすさを無視した服を着せられ、おめかしさせられて多くの人の目に晒される。
その準備のために行く美容院は苦痛を伴うものだったが、今回は別だ。
小説に没頭して時間を潰すのではなく、心浮き立つ気持ちを抑えられずに美容師さんとも会話を重ねた。
3人が見違えるほど美しくなって別荘に戻る。
わたしはそんなに変わってはいないが、後輩ふたりは子どもっぽさが抜けて目を奪われるほどになっている。
パーティーの準備はわたしにしては抜かりなく調い、着替えて日が暮れるのを待つばかりだ。
急く気持ちを抑えてリビングでひと休みしている時、わたしのスマートフォンに着信があった。
相手の名前を見て、わたしは表情を強張らせて急ぎ電話に出る。
固い声で『はい、あみです』と名乗ると『聞きましたよ。貴女もパーティーに興味を持つようになったのですね』と弾む声が聞こえてきた。
母の声に言葉が出ない。
いつものように彼女はわたしの返答を待たずに言葉を続けた。
『お父様もお喜びですよ。それにしても教えてくだされば盛大にできたのに残念ですね。さすがにそこでというのは粗末すぎるので中務様のホールをお借りすることにしました。スタッフも貸していただけるようですが、それだけでは心もとないですのでこちらからも何人か差し向けることにします。突然のことで招待客もあまりお誘いできませんが、何人かに声をお掛けしていますので貴女が恥ずかしく感じない程度のパーティーは開催できるのではないかしら』
わたしは頭の中では「待って!」と繰り返し叫ぶものの、現実には母の言葉を遮ることができずにいた。
そんな大掛かりのパーティーは望んでいない。
そのひと言を口にすることができない。
それがわたしと両親の関係性だった。
『そうね、いまそちらに有名なヴァイオリニストがいらっしゃると聞いていますからお願いしてみようかしら』などと母はほんの数時間しか準備に充てられないのに淀みなくパーティーの段取りを進めていく。
考えてみれば両親の耳に入るのは当然のことだった。
湯崎の名を利用していたのだから。
しかも普段とまったく異なる反応を示していれば狭い界隈で噂になってもおかしくはない。
秘かに事を進めるべきだったと後悔しても後の祭りだ。
わたしは血の気が引き、顔面蒼白になっていた。
後輩たちにも何か大変なことが起きつつあるとは伝わっているだろう。
だが、どう説明すればいいか頭の中が真っ白で言葉が出て来ない。
心配そうにこちらを見つめるその視線が痛かった。
『それでは準備を進めますね。貴女は大船に乗ったつもりでのんびり待っていなさい』
母の有能さは身に沁みて知っている。
おそらくある程度の規模のパーティーをこの限られた時間でも形にしてしまうだろう。
わたしとは大違いだ。
わたしは強く握ったままだったスマートフォンの画面を見つめた。
もしこの状況を覆すことができる人物がいるとしたら……。
ひとりの女性の顔が浮かぶ。
普段ならこちらから連絡を取る相手ではないがいまは非常事態だ。
ほかに頼れる人はいない。
わたしひとりが辛い目に遭うだけならまだしも、後輩たちに嫌な思いを体験させたくない。
『珍しいですね』
電話に出てくれるかどうかも不安だったが、彼女はいつもの穏やかな口調で応対してくれた。
わたしは藁にもすがる気持ちで『助けてください。お願いします。吉田さん』と懇願する。
電話の相手である吉田ゆかりさんはわたしと同じ臨玲高校の3年生で、わたしと違って正真正銘のお嬢様だ。
同じ中学に通っていたこともあって、彼女にはよく助けてもらっていた。
もちろん、いま彼女がわたしを助けるメリットなんて何もない。
それが分かっていてもなお、彼女の情に縋ることしかわたしはできなかった。
わたしは事情をしどろもどろになりながら話す。
それは結果的に後輩たちへの説明でもあった。
吉田さんは最後まで話を聞くと、『湯崎さんのご両親とお話ししてみましょう』と言ってくれた。
彼女は折り返し連絡すると言って電話を切った。
わたしはスマートフォンを握り締めたまま待つ。
目の前のふたりは問い詰めようとはしなかったが、それまでとは一変して室内は重い空気に包まれていた。
頭の中に次々と自分を責める言葉が沸き上がってくる。
親に反論できなかったこと。
他人に頼ることしかできないこと。
先輩なのに後輩たちを守ることさえできそうにない。
わたしがこの部に入った時にいた憧れの先輩とは雲泥の差だ。
この張り詰めた空気に耐え切らず、逃げ出したくなったところで吉田さんから連絡が届いた。
わたしはすかさずメッセージに目を通す。
『わたしが参加することと引き換えに今回は内輪だけのパーティーにすると認めていただきました。取り急ぎ準備いたしますので、申し訳御座いませんが少々お時間をくださいませ』
詳しいことは車に乗ってから伝えると記されていた。
わたしは感謝の気持ちを注ぎ込んで『ありがとうございます』と返信する。
届く訳がないと分かっていてもスマートフォンに向けて何度もお辞儀をしてしまう。
それから、後輩ふたりに事情を説明する。
最悪の事態を免れて、わたしとみるくちゃんは安堵の息を吐いた。
「わたしのせいで大変なことになるところでした」
「いや、みるくちゃんのせいじゃないよ。パーティーを言い出したのもわたしだし、その後のことだって……」
つかさはひとり腑に落ちない顔で「パーティーってそんなに大変なんですか?」と尋ねる。
わたしより先にみるくちゃんが「社交の席では一度の失敗が未来永劫語り続けられたりするそうですよ」と肩をすくめて解説した。
社交のマナーを身につけていないつかさには馬鹿にしたような侮蔑の視線が飛んで来たことだろう。
わたしが守ってあげられたら良いが、残念ながらそんな力は持っていない。
つかさに何かあっても助けてあげられない可能性が高く、そんな思いをしたくなくて吉田さんに頼ったのが現実だ。
みるくちゃんは場を和ますように「ホッとしたらトイレに行きたくなりましたぁ」と明るく言って席を外す。
リビングにわたしとつかさのふたりが残される。
今日のつかさは眼鏡を掛けていない。
そのせいか彼女の視線がいつもより険しいように感じられた。
思えば、今夜のパーティーでつかさに思いの丈を打ち明けるつもりだった。
だが、もうそんな雰囲気ではない。
それどころか、彼女から頼りないと思われていないか心配になってくる状況だ。
つかさを失えばわたしは……。
苦しい胸元をわたしは手で押さえて耐える。
「先輩って……」
つかさが声を上げた。
その声の響きから彼女の思いを読み取ろうとするが、まったく分からない。
大人びた顔立ちが別人のようにも見えて、わたしは身を固くして続く言葉を待った。
「やっぱりあたしとは住む世界が違うんですね」
わたしが恐れていたセリフが耳に届く。
高校の中では同じ学生として肩を並べていられる。
しかし、学校の外では……。
今回の合宿がその事実をわたしたちに突きつけた。
いままで目を逸らしていた現実が否応なく襲ってきた。
息が詰まって言葉が発せず、ただ逃げ出すことしかできない。
わたしは「先輩!」というつかさの呼び掛けに背を向けて、自分の部屋に駆け込んだ。
……終わった。
いつかこうなる運命だったのだろう。
わたしとつかさは住む世界が違う。
卒業まではこの関係を保っていたかったが、砂上の楼閣は脆くも崩れた。
高級カーペットの上にへたり込むと、わたしは頭を抱えた。
悲しいのに涙は出て来ない。
胸が張り裂けそうに痛いだけだ。
床に額をつけて痛みを逃れるように髪を振り乱す。
もう彼女にこの手は届かない。
そう思うと魂だけが嗚咽を漏らした。
「先輩」とドアがノックされた。
愛おしい声を耳にしてもわたしは言葉を失ったままだ。
両手を顔に押しつけ、心の中の嵐が去るのを待つ。
「先輩、聞こえますか?」
つかさの呼び掛けに唇を噛む。
自分の存在をこのまま消し去りたい気持ちだ。
だが、耳を塞ぎたい思いと彼女の声を聞き漏らすまいという思いが交錯して頭の中を渦巻いていた。
「あたし、怖かったんです」
ハッとして顔を上げる。
視線の先は部屋のドアだ。
その向こうにいるつかさの顔が脳裏に浮かんだ。
「先輩と一緒にいて、とても楽しくて、こんな時間がずっと続いて欲しいと思っていました。でも、幸せな部室の中と違って、外だと先輩はお嬢様で、あたしは一般庶民で……。あたしが手を伸ばしても届かないところにいる人なんだって……」
苦し過ぎて、のたうち回りそうだ。
だが、わたしは両手を握り締めてそれに耐える。
「それでも……、それでもあたしは先輩のことが……」
限界だった。
跳ね起きると、人生でもっとも高速に移動しドアを開く。
メイクはボロボロに崩れ、人前に出せる顔ではないはずだ。
それにも構わずわたしは顔を上げて驚くつかさと目を合わせた。
切なげにこちらを見るつかさの想いを受け止める。
合宿中ずっとわたしの背中を押してくれたみるくちゃんから勇気ももらった。
全身全霊を込めて、わたしは声を振り絞る。
「大好きだよ、つかさ」
††††† 登場人物紹介 †††††
湯崎あみ・・・臨玲高校3年生。文芸部部長。これまで進学のことなど親の言いつけ通りに生きてきた。
新城つかさ・・・臨玲高校2年生。文芸部。好奇心旺盛なので、たとえ蔑む目で見られても正式なパーティーに出てみたかったという気持ちも。
嵯峨みるく・・・臨玲高校1年生。文芸部。あみやゆかりほど家格は高くないが、そこそこ上流の家柄。
吉田ゆかり・・・臨玲高校3年生。茶道部部長。能力の高さは誰もが認めるところではあるが、学校の外でそれを生かす道が閉ざされていると感じている。
* * *
「これ」とわたしはつかさにプレゼントの小箱を差し出す。
あのあと色々と大変だった。
わたしとつかさがなぜか泣き出してしまい、1年生のみるくちゃんがひとりでパーティーの準備やわたしたちのメイク直しに奔走した。
彼女には世話になりっぱなしだ。
すでに出発していた客は別の場所でもてなすことになり、スタッフの大半はそちらに振り分けられた。
一部はこちらに手伝いに来てくれて、なんとか吉田さんを迎える準備を調えた。
彼女は動き出していたパーティーの準備を変更することへの顔を立てるために来てくれたようなものだ。
そして、明日の朝には部活に出るためにこちらを出発すると教えてくれた。
彼女にはいくら感謝してもしきれないだろう。
「貴女のご両親も嬉しかったのですよ。責めないであげてください」と忠告までしてくれた。
吉田さんもわたしも将来はほぼ決まっている。
親が選んだ相手のところへ嫁ぐことになるだろう。
それを受け入れた上でなおも周囲に自らの能力を見せつける彼女を単純に凄いと思っていたが、最近は彼女なりの苦悩もあると分かるようになった。
わたしが返せるものは少ないが、せめて話し相手くらいになれればと思う。
そして、少人数だけのパーティーが終わり、わたしは自分の部屋につかさを呼んで贈り物を渡した。
彼女は目を見開いてそれを受け取った。
わたしから彼女への初めてのプレゼント。
小箱を開けたつかさは更に大きく目を見開く。
「指輪なんて……。良いんですか?」
「これだけは受け取って欲しい」
施しと思われたくないのでこれまで自制していたが、これだけは別だ。
愛の証なんていまのわたしが言っても信用されないかもしれない。
でも……。
「つけてくれますか?」とつかさが小箱をこちらに向ける。
わたしはそこから自分で選んだ指輪を慎重に手に取った。
高校生がつけてもおかしくないシンプルなリングで、価格もそんなに高いものではない。
ふたりの誕生石がはめ込まれていることと、ふたりの名前が刻印されていること。
あとは曲線的なラインがつかさに似合っていそうだなと思ったことが選んだ理由だった。
つかさは迷うことなく左手を差し出し、わたしは一度ツバを飲み込んでからその薬指にリングをはめる。
つかさは自分の左手の甲をかざして具合を確かめた。
「ありがとうございます」
つかさの嬉しそうな声を聞いて、わたしはホッと息を吐く。
いろいろあったが、今夜やるべきことはすべてやり遂げた。
安らいだ気分でつかさの顔を見ていると、彼女は頬を赤らめてわたしに告げた。
「みるくちゃんから今夜は客間に戻って来ないように言われているんですよ。どうしましょう?」
わたしの心臓の鼓動がドクンと高鳴る。
みるくちゃん、グッジョブ!
いやいやいや、今夜は吉田さんも泊まっているし……とグルグルと考えが渦巻くわたしに、「ここにいて、いいですか?」とつかさが囁く。
あー、もうダメな訳ないじゃない!
まさか、これって夢オチじゃないよね?
つかさに頬をつねってもらうが全然痛くない。
ヤバい。
やっぱり夢だ。
夢なら何をしたって平気だよね?
あんなことやこんなことや……。
そんな思いでつかさを押し倒すようにベッドに横になったが、今日1日の疲れや緊張が一気に押し寄せて来た。
寝ちゃダメだ、寝ちゃダメだ、寝ちゃダメだ……という呟きが呪文のようにリズミカルで、わたしは睡魔に完敗した。
お、おのれー!
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