第116話 令和3年7月30日(金)「愛の力」岡崎ひより

 荒天にも関わらず昼過ぎの横浜は若者たちでごった返していた。

 ふたりで映画を観賞したあと、いろはに案内されて高級感のあるお店に入った。

 そこは軽い食事ができる喫茶店だが、見渡す限りカップル、カップル、カップルだった。

 デート率100%じゃないか。

 そんな中にわたしたちは女の子ふたりで席に着く。


「何だか浮いてない?」と私は不安を口にする。


 いろはは動じずに「うちらも恋人同士じゃない」と言ってのけた。

 私は根が庶民なのでこういうお店には慣れていない。

 場違いな感じもして彼女のようには悠然としていられない。

 注文の品が届くまで背中を丸めている私とは違い、「誰もほかの人のことなんて気にしてないわ」と呟きながらいろはは無遠慮な視線を店内に投げ掛けていた。


「あっ、あの娘、可愛い! ……いてっ」


 テーブルの下で私に蹴られたいろはは顔をしかめる。

 デート中にほかの女の子に見とれるなんてマナー違反だ。


「ひよりってすぐに手が出るよね」


「手じゃなくて足だけど」と私は視線を逸らしながら弁明する。


 いろはがこれまでつき合った女の子はおしとやかな人ばかりだったので、私の反応に戸惑っているようだ。

 悪いのはいろはだから、完全に自業自得なのだけど。


「いろはが私だけを見ていれば殴ったりしないよ」


「見るくらいは良いじゃない」


「駄目」とキッパリ否定する。


「おー、怖。そんなに束縛すると、男とつき合ってもすぐに逃げられるよ」といろはは笑う。


「良いの。いろはを逃がさないから」と私は半眼になっていろはを見据えた。


 そこに注文の品が届いた。

 私は値段とにらめっこして決めたピラフ、いろははお店お勧めの特製パスタだ。


「ここのパスタはそこらのイタリアンにも負けてないのよ」と空気を変えるようにいろはが蘊蓄を垂れる。


 中学時代からデートと称して横浜のオシャレなお店を食べ歩いていたそうだ。

 こういうお店に連れて行かれてご馳走されたらコロッとなびく女の子は少なくなかっただろう。

 いろはは臆面もなく愛の言葉を口にすることができるし、甘いマスクだ。

 男でなくても多くの女の子を泣かせてきたことは疑う余地がない。


「ピラフ、ひとくちちょうだい」と言って、いろはは顔を前に突き出し口を開けて待つ。


 私は大きなスプーンに半分くらい掬って彼女の艶々と輝く唇の間にそれを差し入れた。

 彼女はそれをしっかり口に含むと、ねぶるようにして一粒残らず口の中に収めた。

 小悪魔っぽい笑みを浮かべながら咀嚼する。

 そして、「美味しい」とベッドの上かと思うような表情で囁いた。

 隠そうとしてもドキドキする気持ちが顔に出てしまう。


 いまさら間接キスなんてと思いながら、いろはが口につけたスプーンを自分の口に咥える。

 そんな私をいろははニヤニヤしながら見ていた。

 もう周りは気にならなかった。

 世界にふたりだけしかいないと言われても信じてしまいそうなくらい、私の目には彼女しか見えていなかった。


 いろははフォークにパスタを巻き付けて「お返し」と言って持ち上げる。

 私はテーブルの上に半分以上身体をせり出し、口づけを待つように唇をすぼめる。

 彼女はフォークではなく自分の顔を近づけ、「パスタと私、どっちが食べたい?」とからかう。

 私は躊躇うことなく「いろは」と答えた。


「ご褒美」の言葉とともに、彼女の唇が私の唇に重なった。


 ほんのわずかに触れただけで離れて行ってしまう。

 それが切なくて更に身を乗り出そうとしたが、「続きはあとでね」と言われてしまった。

 今度は本当にフォークが私の口の前に差し出された。

 私はそれを口に入れると丹念に彼女のフォークを舐め尽くす。

 いろはは呆れた顔になっているが、彼女もまた私の口から取り出したフォークをすぐさま自分の口に咥えてみせた。


「最初にどこまでOKか確認しておかないと、好きになったのにヤらしてくれないってなったら不幸じゃない」


 あのあと買い物をする予定だったのに、彼女の家に直行してしまった。

 ベッドでひとしきり戯れ、ようやく落ち着いた私たちは裸のまま寝そべっている。

 いろはは狙いをつけた女の子と愛を育む前に手を出すことの正当性を説いているが、もちろんそんな勝手は認められない。


「それって同性愛に限らないよね?」


「でも、同性ってだけでアウトって子もいるよ」


「それはエッチしなくても分かるんじゃないの?」


「いざ本番ってなってから無理って言い出す子もいたよ」といろはは実体験を淡々と述べる。


「無理やりはしないからセーフ」と言い切るいろはに、「愛がなきゃアウトでしょ」と私は反論する。


「愛ならあるよ」


「何股もしておいて愛って言うな」


「愛は無限に湧いてくるものなのよ」となぜか誇らしげな声のいろはの頬をつねり、「その愛はすべて私のものだからね」と忠告しておく。


「ずっと同じ相手だと飽きてくるじゃない?」とかなり本気で口にする彼女に、「いろはの愛は本物じゃないのよ」と私は断言した。


「ひよりが愛の何を知っているのよ」と恋愛経験の乏しい私に疑いの目を向けるが、「恋愛ごっこをいくら経験しても経験のうちに入らない。私が本物の愛を教えてあげる」と意に介さない。


 私は湧き上がる愛の力で身体を起こすと、彼女の裸身の上に覆い被さった。

 彼女も疲労感があるようで、まだするのという顔つきだ。

 私は左手の指を彼女の右手の指の間に絡めていく。

 それだけで心が深く繋がっていくようだ。

 その手を強く握り締めながら私は彼女の唇を貪った。


 いろはも私の背中に左手を回した。

 ふたりの足が快楽を求めてもつれ合う。

 すべすべした彼女の肌が心地よく、私は全身をこすりつけた。

 ひとつに溶け合っていくような感覚に満たされる。

 これが私の愛。

 愛に飢えたいろはの心を埋め尽くすものだ。

 互いの喘ぎ声が溢れていく部屋の中で、私は目の前の少女への愛おしさだけに突き動かされていた。




††††† 登場人物紹介 †††††


岡崎ひより・・・臨玲高校1年生。シングルマザーで倹約生活が続いていたが、中学生の時に母が再婚して非常に裕福な暮らしになった。だが、いまだに慣れないでいる。


淀野いろは・・・臨玲高校1年生。中学時代から同性愛者と自認し、数多くの女の子に手を出していた。それがトラブルとなって、内部進学ではなく臨玲高校を受験することに。

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