令和3年8月

第118話 令和3年8月1日(日)「運命への抗い方」吉田ゆかり

「軽井沢まで行ってたんだって?」


 相変わらずあきらは耳が早い。

 みなとは驚いた顔をしているので、彼女独自のルートで知ったのだろう。


「ええ。少し事情がありまして」と私はサラリと受け流す。


 昨日もふたりとはこの茶道部の茶室で顔を合わせていた。

 その時に何も言っていなかったので、湊はかなり訝しんでいる。


「茶道部とは無関係ですよ」とつけ加えたが、すんなりとは信用してくれないようだ。


 湯崎さんの名前を出して説明してもふたりは――特に湊は――納得してくれないだろう。

 なぜわざわざ軽井沢まで私が出向いて彼女を助けたのか。

 義理やメリットだけで言えば無いに等しいことなのだから。

 私と湊では見えている世界が違うとしか言い様がない。


 私、湊、湯崎さんは古くから続く名家と称されるような階層に属している。

 世が世なら私たちは姫と呼ばれるような身分だった。

 さすがに令和の時代となり、親の言われるまま人生のすべてが決まってしまうという事例はあまり聞かなくなった。

 私や湯崎さんは結婚相手を幾人かの候補の中から選べるだろう。

 ある程度の制約はあるにしても自分の人生を自分で切り拓いていくことだってできる。

 それを自由がないと言うのは簡単だが、代わりに恵まれた暮らしを享受している。

 誰だってすべての願いが叶う訳ではない。

 様々な兼ね合いを鑑みて、選択していくしかないのだと思う。


 一方、湊は現在外戚の庇護の下に置かれている。

 現実は庇護というより監視に近く、成人しても自由な暮らしは望めない。

 このままだと一生鎖に繋がれたままの人生を送ることになる。

 彼女がそれを逃れるには海外に逃亡するか家の実権を取り戻すかしかないが、どちらも苦難が待ち構えている。

 そんな苛酷な環境にある彼女は、束縛から逃れようとしない私を歯がゆく感じることだろう。

 私なりにリスクを詳細に検討しながら選んできた生き方ではあるが、彼女の目には緩いと映ることも理解できた。


 私にとって湊は大切な友人だが、この関係が長く続いたとしても根の深い部分で分かり合えないところは残ると思う。

 それはそれで仕方がない。

 そんな諦めが昨日の行動の要因になっている。

 長い目で見た時、湯崎さんとの関係は大事なのではないか。

 同じ境遇を理解し合える友になるのではないか、と。


「それはともかく、OGからの抗議が鳴り止まないな」と暁が面白がるように言って、私を現実に引き戻す。


 真面目な湊は「対応する部員たちが大変だよ」と顔をしかめている。

 暁は「夏休み中ずっと振り回されるよりはマシじゃん」と宥め、湊は恨みがましい視線を私に送ったあと「そうだね」と頷いた。


「本来茶道部には夏季休業中の活動なんてなかったんですよ」


 茶道部の部員であれば夏休みに国内にいる人の方が少なかった。

 国内にいても別荘地だったり避暑を求めて家族で旅行をしたりしているケースが多い。

 従って茶道部の活動は現実的に不可能だった。

 そして、それはOGも同様だ。

 夏はバカンスに出掛けて出身校の活動になんて時間を割くことはなかった。

 茶道部よりパーティーなどでの社交の方が遥かに重要だったのだ。


 しかし、この夏は違う。

 海外旅行はままならない。

 盛大なパーティーもおおっぴらにはできない。

 時間が有り余ったOGたちは暇つぶしとして茶道部に口を出すことが増えた。

 現役部員はOGに逆らえないので鬱憤のはけ口にされていた。

 昨年のように夏休みが短ければ乗り越えられただろう。

 だが、こんな状況がまだ1ヶ月続くとなるとたまったものではない。


 そこで神奈川県に緊急事態宣言が発出されるのを受けて茶道部の活動を完全に停止することにした。

 それをOGの方々に伝えたところ蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。

 まあ明日からは静かに過ごすことができるようになるだろう。


「毎週茶会を開けだの、そこに初瀬さんを呼べだの、無茶な要求が続いていましたからね。OGのお姉様方をクラスターの被害に合わせないためにも必要な措置でした」


「いい様だ」と暁は嘲るが、湊は「これで本当におとなしくなるかな」と疑問を呈している。


「弱いところに圧を加えてくることは考えられますね。私たちが目を光らせておくことは大切ですが、茶道部部員として自分の身は自分で守るという意識も高めておいた方が良いでしょう」


 私の言葉に湊が即座に「そうだね」と頷く。

 自分の身を自分で守るというのは自分で戦えということではない。

 必要な助けを求めることもそこに含まれる。

 昨日の湯崎さんのように、自分の力ではどうしようもなくなった時にそれができるかどうかは大きな違いだ。

 そういった教育は幼い頃から受けているが、それが必要な状況で正しく実行できる人は意外と少ない。

 問題を過小評価したり、自分の力を過大評価したり、怯えた感情が正常な判断を鈍らせたり、助けを求めることを恥ずかしく感じたりと様々なバイアスが存在している。

 これは高階たかしなさんの問題を通して私が学んだことのひとつでもあった。

 彼女は悪魔的な手口で助けを求められないような状況に相手を追い込んでいった。

 被害に遭った生徒は気がついたら逃げ出せない蟻地獄のような環境に陥っていたそうだ。

 助けを求めることは簡単なように思っても実は簡単ではないと認識することから始める必要があるのだろう。


 そんな打ち合わせを湊とふたりで重ねていると、退屈したのか「ところで、山吹サマはどうなの?」と暁が話題を変える。

 彼女が名前を出した九条山吹氏は茶道部OGではあるが、専らOG会で活躍されている人だ。


「相変わらずですね。理事長解任の件は北条さんが巻き返しに動いていますが、山吹様は遊び回っているようです」


 彼女は警戒すべきOGナンバーワンに当たるような人で、私はその動向を臨玲高校理事であるお祖母様とともに探っている。

 OG会を通して要望書を送りつけたり、理事長にホストを紹介して仕事に支障を来す事態に至らせたりと最近その動きが活発化していたからだ。

 彼女の思惑通りに理事長解任の流れまで出て来た。

 いまは理事長腹心の北条さんが懸命に巻き返しているもののどうなるか先行きは不透明だ。

 ここで山吹氏がさらに攻勢を掛けるものと考えていた。

 だが夏が来て友人たちと国内のあちこちを観光して回るようになった。

 以前時間の大切さを理解していない人たちと評したこともあったが、どうやら私の言葉は真実だったようだ。


「こんなに遊び呆けていられるのは何か切り札があるからかもしれないと予想しています。それが何かまでは分かりかねますが」


「山吹サマのことだからそこまで考えてないんじゃね?」と暁が揶揄する。


「あの人ひとりならともかく、策を張り巡らせる人が側にいる以上警戒は必要でしょう」


 詳細は知らないが、彼女の友人が背後で操っているという噂もある。

 山吹様ひとりに目を奪われてはいけないということだろう。


「タイミングを見計らっているのかな。生徒会長も動きがないよね」


 湊が言うように生徒会長もおとなしいままだ。

 生徒会は表立っては秋の臨玲祭の準備と来年度に実施する予定の3校合同イベントに向けて活動している。

 しかし、2学期に入ってすぐに部活動改革の詳細が公表されるようだ。

 臨玲改革の柱のひとつである一方、OG会が反対している事案なだけにすんなり事が運ぶのか予測が難しい。


「2学期になれば急展開が待っているかもしれませんね」


 湊や暁はOG会に対して生徒会との共闘を望んでいる。

 2年の亜早子や薫子は私のミスから生徒会に取り込まれた。

 部活動改革の内容によっては伝統ある茶道部の命運にも大きな影響があるだろう。

 どういう形でこの茶道部を残していくのか。

 私も腹を据えて考えねばならない時が来たということか。




††††† 登場人物紹介 †††††


吉田ゆかり・・・臨玲高校3年生。茶道部部長。祖母は臨玲高校理事を務める。茶道部は学内で特別な存在ではあるが、OG対応という面倒な役割もこなす必要があった。


榎本あきら・・・臨玲高校3年生。茶道部。鎌倉の名刹の娘。ゆかりや湊のように家に縛られる存在ではない。


湯川みなと・・・臨玲高校3年生。茶道部。母は家を継ぐのを嫌いヨーロッパに逃亡した。彼女も一緒に暮らしていたが教育が必要という親族たちの声に抗い切れず日本に連れて来られた。


湯崎あみ・・・臨玲高校3年生。文芸部部長。両親の言いつけに逆らえないと信じ込んでいるが、ゆかりは彼女の両親がそこまで強制しているとは思っていない。ただあみが自分の意見を言わないため両親の意見が通ってしまうという面はある。


高階たかしな円穂かずほ・・・4月に退学処分となった臨玲高校の元生徒。反社会的勢力と繋がりを持ち、臨玲の生徒を彼らの餌食とすることで自らの力を高めた。


九条山吹・・・臨玲高校OG。母の朝顔は臨玲高校理事でOG会会長。山吹はバツイチだが現在は自由を謳歌している。クラスメイトだった現在の理事長椚たえ子を追い落とすことを目論んでいる。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。臨玲高校理事。高階排除に成功し、その勢いのまま臨玲の改革に乗り出している。

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