第152話 令和3年9月4日(土)「ライバル=同志」日々木陽稲
上背は長身の可恋と同じで、横幅は可恋よりもがっしりしている。
初めて会った頃はともかく、その後は精神的にも安定していた。
それなのに、いま目の前にいる彼女は小さく見えた。
泣き出すのを必死に堪えるように俯いている。
漂わせていた自信は影を潜め、歳相応かそれ以下のように感じられた。
彼女の正面、わたしの隣りに座る可恋は感情を表情に出さずにいた。
どうすべきか判断しかねている顔つきだ。
朝、突然彼女がわたしたちのマンションにやって来た。
可恋は驚いたように「練習は?」と尋ねていたが、彼女は将来有望な空手の選手であり内部進学が決まっているので週末は練習に明け暮れているはずだった。
だが、彼女はさらに驚くようなことを口にした。
「わたし、空手辞めます」
事情を聞くためにリビングのソファで対面しているのが現在だ。
部屋の中にはわたしが淹れた紅茶の香りが漂っているが、彼女はそれに手をつけようとしなかった。
可恋が「何があったの?」と聞いても要領を得ず口を濁すだけだ。
可恋から目で合図をされ、代わってわたしが彼女に尋ねる。
わたしは微笑みを浮かべ寄り添うように「今日も寒いね。雨に濡れなかった?」と質問する。
それから頷くだけで答えられるような近況についての問いを繰り返した。
元はしっかりした子だ。
やり取りを重ねるうちに、少しずつ普通に受け答えができるようになっていく。
「お姉さんとはお話しした?」
「この前、少しだけゆっくり話すことができて……」
「そう。良かったね。励ましてあげたの?」
「姉は強い人だから……。むしろわたしの優勝を喜んでくれて……」
「そうなんだ。あ、わたし、ちゃんと言っていなかったね。全中での優勝おめでとう」
「……ありがとうございます」
直接連絡を取り合っている可恋からはお祝いの言葉を掛けられていただろうが、わたしは話すこと自体久しぶりだった。
彼女は先月行われた空手の全国大会で見事に優勝を果たした。
それから1ヶ月も経たないうちに辞めるだなんて何があったのか。
その謎を知るためにわたしはさらに探りを入れた。
「空手を辞めたら可恋との縁が切れるよ。もしかして可恋より素敵な人が現れたとか?」
「そんなことはありません! 日野さんより素敵な人なんているはずがないじゃないですか」
「そうだよね」とわたしは即座に同意する。
「可恋は世界一……というか人類史上最高だよね」とわたしが言うと、結さんは「人類どころかこの全宇宙の中で至高の存在です!」と張り合う。
当事者の可恋が咳払いをして止めるまで、わたしたちはいかに褒め称えられるかを競い合った。
我に返ったわたしは、「でも、空手を辞めたら……」と話を蒸し返す。
「違います。日野さんともっと親密になるためです。臨玲に行こうと思っているんです!」
そう力強く断言した結さんは、「臨玲では先輩のことを”お姉様”って呼ぶって本当ですか?」と目を輝かせた。
そんな噂は聞いたことがないと言ったら、「じゃあ、わたしが流行らせます」とまったくめげない。
しかし、可恋が「ご両親は許してくれたの?」と問うと目に見えてシュンとしてしまった。
彼女の両親は揃って空手の経験者だと聞いている。
父親は道場主として多くの空手家を指導する立場だ。
現在彼女が通っている中学校は空手の強豪校だし、エスカレーターで高校大学へと進学できる。
空手を続ける環境としては最高だ。
臨玲でも過去に空手部が作られた形跡はあったが、長らく休部となっている。
当然指導者もいない。
彼女は東京で暮らしているので毎日鎌倉まで通うのも大変だろう。
「空手を辞めてもご両親の許可がなければ臨玲に進学できないよ」というごく真っ当な指摘を可恋がする。
「そうですけど……」
彼女の気持ちは痛いほどよく分かる。
可恋の魅力を知れば側にいたいと思わない人はいない。
積極的にアピールしていないから可恋の魅力は知れ渡っていないが、知られてしまえば全世界の人間が可恋を求めるようになるだろう。
それはそれで困るが、もう少し可恋の魅力は伝わっていいと思う。
結さんは可恋の魅力に気づいた貴重な人物だ。
ライバルだと言えなくもないが、同じ学校に進学したいという思いは共感できた。
「力になれないかな」とわたしが言うと可恋は眉間に皺を寄せた。
「来年度にクラブ連盟副長として生徒会に入ってもらえればもの凄く頼りになるんじゃない?」
結さんはわたしの言葉に食いついて「何でもやります!」と身を乗り出した。
可恋はそれでも「切磋琢磨できる環境があった方がいいと思うんだ」と渋っている。
「日野さんの……いえ、日野お姉様の近くにいるといままで以上に頑張れると思うんです!」
可恋はまだ首を縦に振らない。
わたしは席を立つと結さんの隣りに行き耳打ちをした。
それを聞いた結さんは目を大きく見開くと「素晴らしいアイディアです! 日々木お姉様は女神様です!」と大喜びした。
……日々木お姉様。
言われ慣れない言葉に顔がにやけた。
わたしは妹だし、お姉ちゃん呼びしてくれるのは札幌に住む従妹しかいない。
いつも年齢より少し下に見られるので、結さんのように大柄な子からお姉様呼びなんてされたら面映ゆくなる。
可恋は苦虫を噛みつぶしたような顔になったが、うまくいけば彼女にとっても悪い話ではないはずだ。
わたしがにんまりと可恋に笑い掛けると彼女は肩をすくめた。
それが目に入らないほど大慌てで結さんは立ち上がり、「説得してみます!」と部屋を飛び出して行く。
わたしが淹れた紅茶は手をつけられないまますっかり冷めていた。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。可恋と一緒に暮らしている。いまだに小学生と間違われることがあるが本人は否定している。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長を務める傍らNPO法人代表やプライベートカンパニーの経営を行っている。また、空手の選手でもあり、その実力はかなりのもの。
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