第381話 令和4年4月21日(木)「ファッションショーの進捗」日々木陽稲

「紫苑の服をね、こう……ガバッと剥ぎ取りたいの」


 わたしが自分の胸元に置いた右手を大きく前に振って動作を説明すると、それを聞いていたファッションショーのプロデューサーは目が点になった。

 それでも言葉を失わず、「下に何か着ているんですか?」と確認する。


「新作の衣装は肌に密着させるものだからね。Tバックのショーツくらいかな、着られるのは。ボディペイントでもしていればいいんじゃない?」


 原田さんは自分の胸を押さえ、申し訳なさそうな顔つきで「あたしが日野先輩に殺されてしまいます」とのたまった。

 可愛い後輩に身の危険をもたらすのは本意ではないのでわたしは渋々この提案を棚上げする。


 昨日の放課後、わたしは久しぶりに新館の会議室で原田さんと向き合っていた。

 服作りの方はより良いものを作るために試行錯誤の連続である。

 どうしても東京にある”工房”に詰めて試作品を直に見ないとどう修正していいか判断がつきかねる。

 そういう訳でこのところ彼女とのやり取りはオンラインを使うことが多かったのだ。


「可恋と言えば、彼女が元気なら紫苑に変装させるというアイディアもあったんだけどね。背格好が似ているから。こう……マスクやサングラスをガバッと取ると紫苑ではなくて可恋でした、みたいな」


 没になった案を示すと、原田さんは何とも言えないような顔になる。

 そして、「日野先輩のお身体の具合はいかがでしょうか?」と感想を言うのを避けた。


「もう少し時間が掛かるみたい」と答えたが、実際のところは病院に行っては辛そうな顔で帰って来る日々が続いている。


 我慢強い彼女がわたしに隠せないほど体調の悪さを見せるのだからまだ本調子にはほど遠い。

 それでも入院中よりはかなり良くなったと話している。

 家で過ごしていれば落ち着いている感じなのに、少しでも早く治るよう病気と闘っているのだ。


 そんな可恋の弱みは口にせず、ショーでの演出について考えていることを伝えると「ところで、”脱ぐ”という行為に意味があるんですか?」と原田さんが質問した。

 わたしは人差し指を立て「鋭い!」と絶賛する。


「今回のイベントはコロナ禍で閉塞した若者たちの”解放”がテーマだからね。”脱ぐ”のはそれを象徴する行為なのよ」


 本当ならマスクを脱ぎ捨てるような演出もしたかったが、現在の感染状況では気が早すぎる。

 最近はウクライナでの戦争に話題が集まり新型コロナウィルスへの関心が薄れ気味ではあるが、そういう時だからこそ開放感を煽りすぎてもいけないと思っている。

 社会全体が気を緩め、可恋のように感染リスクが高い人だけが取り残されてしまうのは怖いことだ。


「”解放”しつつまた新しい服を纏うみたいな、”再生”や”リスタート”みたいなメッセージを発せられたらいいんだけどね」とわたしがつけ加えるとプロデューサー役の原田さんはようやく納得の表情になった。


「脱いだ服をまた着るみたいな感じですか?」


「それは無理。新作衣装は一度着たら脱げないの」


「は?」と後輩が目を丸くしている。


 おそらくマスクの下では口があんぐりと開いていることだろう。

 そんな彼女に「正確には服を破らないと脱げないってことね。着た状態で服を完成させると言ったらいいのかな。だから着たら最後、脱げない仕様の服なの」と説明するが残念ながら理解が進まないようだ。


「そんな服、……買う人がいるんですか?」


「さあ?」とわたしは肩をすくめる。


 制作過程で同じ疑問にぶち当たったので可恋に確認してみたが、「ひぃなのデザイン力や”工房”の技術力をアピールできたらいいから」と言われた。

 わたしとしても大舞台で紫苑を輝かせる最高の衣装を作ることに焦点を当てているので余計なことは考えないことにした。


「1着いくらくらい掛かるんですか?」


「あー、この服を作るための工作機械を買ったからその費用を転嫁すれば1着数千万みたいな世界だね」


「……。でも、その機械はこれからも使えるんですよね?」


「今回のは、この衣装のためだけなの。時間がなかったのもあって、この機械をプロトタイプにもっと使い勝手の良いものを次から導入するみたいだし。そっちはもっと高額だけどこれから何着も作れるといいなあ……って感じ」


 ただ今後も同じようなタイプの服を作るかどうかは分からない。

 まったく新しいコンセプトの服を作りたくなってしまうかもしれない。

 その時はわたし以外のデザイナーに使ってもらうと”工房”のリーダーである四季さんが話していた。


「今度、紫苑を連れて行って試着してもらうから、試着用の分まで合わせると結構な数を作るのよ。それに素材は1着数万円と比較的安いから」


 自分でそう言ってから、一度着たらダメになる試着服に一着当たり数万円掛かるという現実に気づいた。

 素材選びでも最上級の毛皮や宝石などの価格を見ているからいつの間にか金銭感覚が麻痺していたようだ。

 それに工作機械の馬鹿高さにも……。


「あ、そういえばプロデューサーにお願いがあるの」とわたしは話題を切り換える。


 一般人である原田さんにお金の話は刺激的過ぎたようだ。

 このままではわたしも臨玲のお嬢様方と同列に見られてしまう。


「いまはマスクが必須だし、外でイヤホンやヘッドホンを使っている人も多いじゃない。でも、長時間使っていると耳が痛くなったりするよね。そこで頭部に装着してそういったものを使いやすくする装置を考えているところなの」


「……あー、分かります」と彼女は現実世界に戻ってくれたようだ。


「ただ機能性ばかりではつまらないから、カチューシャみたいなベースにアクセサリーやリボン、ベールなんかを組み合わせて頭や顔を着飾ろうかなって。最近はビデオチャットやオンライン会議で首から上くらいしか映らなかったりするよね。服を見てもらえないのなら見てもらえる部分でオシャレをしようというアイディアなの」


「いいですね。そういうものなら高校生でも手が届きそうで」


「そうなのよ。まだ見た目の良さと利便性との両立が取れていないけど、ショーではモデル全員に使ってもらおうかなって思っているの」


 ファッションショーで使うだけなら利便性は考えなくていい。

 外すのが大変になりそうだが、髪の中に針金を組み込めば安上がりで済む。


「だけど、ファッションショーだと顔のアップって見にくいでしょ。だから会場に大型モニターを設置して顔のアップを映して欲しいの」


 インターネットでの配信も予定されているので撮影の準備はできているはずだ。

 だから簡単にできるだろうと具体的な要望をいろいろ言ってみたのだが、だんだんとプロデューサーの顔が青ざめてきた。


「……頑張ります」


 こうして打ち合わせを終わらせたところで、「何か心配事でもあるの?」とわたしは彼女に尋ねた。

 心ここにあらずとまでは言わないが、今日の原田さんはいつもの元気がない。

 心配事の中身を話さなかったものの、わたしが二言三言アドバイスを伝えると何か思うことがあったのだろう、勢いよく立ち上がった。


「ありがとうございます! ちょっと席を外して良いですか?」


 わたしは快く送り出す。

 彼女がいてくれて本当に助かっているから。

 わたしが心置きなく無茶振りできる人はなかなかいない。

 ファッションショーの成功のためにも心配事を早く解決してねとわたしは心から願ったのだ。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。駆け出しのファッションデザイナー。だが、潤沢な資金の投資を受けて人気女優の紫苑と専属契約を結んでいる。


原田朱雀・・・臨玲高校1年生。ファッションショーではプロデューサーを務める。中学時代は陽稲の力を借りてファッションショーを成功させた実績がある。


初瀬紫苑・・・臨玲高校2年生。映画女優。メディアの前でも思ったことをズバズバ言うので事務所はメディアへの露出を著しく制限している。


日野可恋・・・臨玲高校2年生。生徒会長。11月初めから3月末まで入院していた。


 * * *


「……という訳なの」


「バカじゃない」


 紫苑は仕事が忙しく、新学期を迎えてからも学校を休みがちだ。

 今日は試着のために東京の”工房”まで来てもらった。

 そこで、服を脱ぎ捨てる演出について聞いてみたところ一蹴されてしまった。


「女優なんだから裸なんて恥ずかしくないでしょ?」


「安売りしないって言っているのよ」


「スポンサー料、払っているじゃない」


「その契約に『裸になること』は含まれていないでしょ」


「じゃあ来年の契約には……」とわたしが口にすると、「私にも同じ額を払ってくれるんなら考えてあげる」と紫苑は悪い笑みを浮かべた。


 あの多額の契約は彼女が所属する事務所とのものであり、紫苑の懐にはほんの少ししか入って来ていないそうだ。

 それもまた彼女と事務所との間で契約されたものだ。


「私に大金を渡したら単身渡米するって分かっているからね。縛り付けておきたいのよ」


「わたし自身は別に紫苑の裸を見たい訳じゃないからなぁ……」と口にすると、彼女はムスッとした顔で「そんな演出がしたければ、自分が脱げばいいじゃない」と意見を言った。


「そうだね……」とその言葉を真に受けて新たな演出案を考えようとすると、紫苑は慌てたように自分のスマホを取り出し電話を掛ける。


『あ、可恋。陽稲がヤバい』

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