第7話 令和3年4月12日(月)「開幕」初瀬紫苑
「うちの事務所に総理の秘書を名乗る人物から連絡があったんだって」
昼休み、新館のカフェは私たち3人の貸し切り状態になっている。
新館の入り口前に数人の上級生と思しき人たちがたむろしていて、私たちが入るのを邪魔しようとした。
生徒会に頼まれたのだろうが、ご苦労なことだ。
可恋はそのリーダー格の肩をつかむと、それを盾にして私たちの通り道を確保した。
その動きを見ても彼女がただ者ではないことが分かる。
「可恋が言ってた通りね」と私が言葉を続けると、「何を言われたの?」と可恋は誇ることなく無表情のまま質問した。
「持って回った言い方で、私が生徒会に楯突かないように注意した方が良いって」
「本物の秘書を使った可能性が高いわね」
「そこまでするの?」と日々木が驚いた顔をしている。
私もその可能性を示唆された時には同じ思いを抱いた。
たかだか
大人の出る幕などないだろうと。
「一般人は政治家による口利きを大ごとのように捉えるけど、向こうにとってはそうではないってことだろうね」
そう言った可恋は近づいてきたウェイトレスに視線を向けた。
台車を押してきた20代くらいの女性は清潔感のある制服に身を包んでいる。
オリエンテーションで見て回ったこの高校はお嬢様学校と呼ぶには高級感が欠片も感じられなかったが、この新館の中だけは別世界のようだ。
可恋は今後ほかの生徒にここを開放すると話しているが、ごく一部の生徒だけのサロンにした方が良いと思う。
客がほかにいないためメニューはランチセットしかない。
ただし、届けられたものは三種三様だった。
私の分がノーマルとするなら、可恋は1.5倍の大盛りサイズ、日々木はわずか6割程度の量だ。
ちなみに量に関わりなく価格は一食3000円(税込み/ドリンク付き)。
その値段に恥じない見た目の良さを誇っていた。
可恋と日々木はナイフとフォークを巧みに使って食事を始めた。
私の周囲にはないエレガントさが感じられた。
さすがは臨玲と言うべきか。
ここで私ひとりが醜態をさらす訳にはいかない。
堅苦しさを感じながら私もふたりに負けない洗練したマナーを披露する。
最初に食べ終えた可恋がマスクを着け、「生徒会のお金の流れは北条さんでも追えていないのよ」と口にした。
彼女によると学園長が権勢を振るっていた頃は学校職員が生徒会の事務全般を請け負っていたそうだ。
北条さんは職員を引き上げれば生徒会は機能しなくなるだろうと考えたが、これは悪手だった。
生徒会予算、全クラブの活動費、OG会などからの寄付金といった多額のお金が生徒会周辺に流れ込み、そこに一部の教師や生徒が甘い汁を吸いに群がっているらしい。
私が二番目に食べ終わり、ナプキンで口元を拭う。
食事にこだわりはないが、そんな私でも値段だけの味だと分かるものだった。
タイミング良くコーヒーが運ばれてきた。
私はその香りを楽しんでから、ひとくちだけ口に含む。
「紫苑はどうするつもり?」
アクリルのパネル越しに可恋が私に尋ねた。
ニコリと微笑むと「事務所はおとなしくしていて欲しいみたいだけど、こんな面白そうなことを黙って見ている訳にはいかないでしょう?」と優雅に答える。
可恋は事務所の社長と同じように苦虫を噛み潰したような顔になった。
平穏なお嬢様の巣だと思っていたこの高校が、思いのほか退屈しのぎになりそうなことは嬉しい誤算だった。
ドロドロとした権力争いなんてドラマのようだ。
しかし、それはメインディッシュではない。
もっと面白そうなことがある。
それが、目の前にいる鉄壁の少女をどう落とすかという遊びだった。
私は狙った女の子を落とせなかったことはない。
必ず夢中にさせてきた。
確かに、これまでは難易度が低すぎた。
私が笑顔を向けただけでコロッと落ちる少女もいたほどだから。
それに比べると今度の獲物は地獄級、ヘルモードと言えるだろう。
だからこそ、ワクワクする。
大人びたこの少女は中学生の時からNPO法人のトップとして活動している。
母親は著名な大学教授。
少し話しただけで彼女の知性はうかがい知れた。
優等生のようなテストの点が良いだけの生徒ではなく、実務に長けている。
弱点は日々木……と言いたいところだが、もっとも分かりやすい弱点だけにその防御にも非常に力を入れているに違いない。
明らかな弱点をさらすことで、ほかの弱点を隠す。
彼女ならそれくらいやりかねない。
冷静に観察すれば、ほかにも弱点らしきものは目につく。
焦る必要はない。
時間は十分にある。
いまは生徒会を相手に可恋がどう戦うかお手並み拝見といったところだ。
「上級生に名前を覚えてもらうために、放送室を乗っ取ってみようか」と可恋は何気ない顔で物騒な発言をする。
「ふたりでイチャついているところを全校生徒に聞いてもらいましょうか」と私は即座に反応し、頭の回転の速さを見せつけた。
可恋の能面のような顔がこちらを向いた。
私はまだ食べ終わっていない幼い外見の少女に目をやり、「あの子とは何もしてないの?」とにこやかに尋ねる。
日々木は何か言いたそうだが口をつぐんでいた。
見た目とは裏腹に、日々木より可恋の方がウブな印象を受けた。
可恋は仏頂面で「愛の形はそれぞれだから」と語る。
だが、私にはそれが恥じらう乙女のような顔に見えた。
これ以上からかうのを止め、「それで、いつ?」と私は話題を戻す。
可恋はマスクを外して紅茶を飲み干してから「今日の5時間目」と答えた。
「授業中にするの?」
「理事長の許可は取ったから」
「台本は?」という私の言葉に、可恋は足下に置いていた鞄からファイルケースを取り出した。
クリップで留められた数枚の紙を手渡される。
そこには私と可恋の会話が印刷されていた。
サッと目を通す。
書かれていたのは、ひとりの生徒を告発する内容だった。
「いいの?」
「実は、良くない」
「えっ?」
私だけでなく日々木も驚きの声を上げた。
ふたり揃って疑問を浮かべていると、「証拠が足りない」と可恋は肩をすくめた。
私は改めて手元の紙を読み返す。
相手のこれまでの行為が断罪されている。
万が一冤罪だったとしたら……。
「無実だと訴えられたらどうするつもり?」
「こっちが正義だと印象操作して選挙まで乗り切るしかないね。勝てば証拠をつかめる可能性は高いから」
「負けたら?」
可恋は答えない。
ほかにも策はありそうだが、胸を張って言えることではなさそうだ。
そして、「どうする?」と私を試すように可恋が問い掛けた。
私は横目で日々木を見る。
彼女は可恋を信頼した顔つきで見つめていた。
可恋の意図は何か。
スキャンダルとなれば私の女優生命が絶たれるおそれがある。
それを見越した可恋のブラフという可能性もあった。
私を敵に回さずに手を引かせる絶好のやり方と言えるだろう。
プロの女優相手に演技で勝負を挑む輩がいるとは考えにくいが、彼女ならやりかねないと思わせるものがあった。
私はフーッと息を吐く。
手持ちのカードでは判別できない。
可恋にひとつ質問をする。
「大義はあるの?」
正義を実現するために不正義を行うことが正しいとは思わない。
しかし、書いてあることが本当なら緊急避難だったと正当化できるかもしれない。
「そうだね。最悪、彼女と刺し違えてもいいと思っている」
とても落ち着いた口調だった。
映画なら拳を握り締め大声で叫ぶ場面だろう。
そんな熱さは微塵もないが、それでも彼女の声には決意が秘められているように感じた。
私はおもむろに立ち上がる。
大仰に、ではなく、極めて冷静に。
そこにカメラがあるかのように私はお腹から声を出した。
「いいわ。舞台の幕を開けましょう」
††††† 登場人物紹介 †††††
初瀬紫苑・・・高校1年生。映画女優。同世代からカリスマ的人気を誇る。
日野可恋・・・高校1年生。理事長と通じて生徒会を改革することを目標としている。今月末に行われる生徒会長選挙に立候補する予定。
日々木陽稲・・・高校1年生。天使や妖精と称えられる容姿の持ち主。食べるのが遅い。
芳場美優希・・・高校3年生。現生徒会長。父親は現職の内閣総理大臣。
北条・・・臨玲高校主幹。理事長の右腕的存在。
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