第8話 令和3年4月13日(火)「鳩のなかの猫」湯崎あみ
衝撃的な校内放送から1日が経つ。
今日は昨日のような陽差しがなく、どんよりとした雲が空を覆っている。
まだ慣れない感じがする3年生の教室は女子たちの囁き声に満ちていた。
大きな声では言えない。
だが、黙っていることもできない。
教室の最後列に座るひとりの生徒からなるべく距離を取るように、ほとんどの生徒が窓側や教壇の近くに集まっている。
このお嬢様学校には似つかわしくない猛獣のような存在。
3年生の中では生徒会長に次ぐ知名度を誇り、もっとも忌み嫌われている生徒だ。
* * *
昨日の放課後、文芸部の部室に駆け込んできたつかさはキラキラした目で「凄かったですね!」とうわずった声を出した。
その可愛らしさにハートがキュンとなったが、しかし、どういう表情で答えていいか戸惑った。
凄かったのは凄かった。
だけど、そんなワクワクした気持ちになるような凄さではなかったからだ。
「初瀬紫苑ですよ、初瀬紫苑! 本当にいたんですね!」
つかさがそう言うのを聞いて、ようやく「そっちか」と納得する。
確かに、5時間目の授業中に突然校内放送が始まり、『初めまして、初瀬紫苑です』と声が聞こえた時にはわたしも興奮したものだった。
その後の展開が激しすぎて、すっかり記憶の彼方へ押しやられていた。
超有名芸能人である初瀬紫苑が入学したという噂はあっという間に広まり、始業式の日には全校生徒の知るところになっていたのではないか。
しかし、不要不急の用事がない限り1年生の教室に行ってはならないと先生から通達が出された。
それでもひと目見ようと行動を起こした生徒はいたみたいだが、あえなく先生に阻まれたそうだ。
そんな中での校内放送だった。
声だけなのに、不思議と疑う気持ちは湧かなかった。
その声音や口調が想像する初瀬紫苑とピタリと一致していたからかもしれない。
教室には黄色い歓声が沸き上がり、授業どころではなくなる。
しかし、浮かれた気分は一瞬にして凍りついた。
初瀬紫苑は生徒会長選挙に立候補する友人を紹介した。
『日野可恋です。よろしくお願いします。最初に選挙公約を発表します。私が当選した暁には高階円穂をこの学校から追放します』
教室がシンと静まりかえった。
どれだけの人間が振り返って高階さんの顔を見ただろう。
わたしもその誘惑に駆られた。
だが、万が一目が合ったりしたらという恐怖がわたしに自制を促した。
初瀬紫苑の質問に答える形で立候補予定の新入生は高階さんの悪行を並べ立てる。
そのほとんどは噂として耳にしたことがあるものだった。
学外の反社会的勢力と繋がっていること。
生徒会の不正に関わっていること。
彼女に目をつけられた生徒の中には退学に至った子もいたこと。
噂はあくまで噂だ。
だが、彼女に関わるなという認識はこの2年間で同学年のほぼすべての生徒に共有されていると思う。
高階さんを一方的に断罪する放送は5時間目終了のチャイムが鳴る前に終わった。
そして、6時間目が始まるとすぐに別の校内放送が始まった。
『生徒会長の芳場美優希です。先ほどの誹謗中傷に対して断固とした措置を検討しています。日野可恋だけでなく彼女に関与する者全員、また生徒会及び高階円穂へのデマや批判はすべて対象とします。刑事告訴も視野に入れていますので、くれぐれも軽率な行動を取らないようにしてください』
そこから会長の独演会が始まった。
後継者である副会長の応援演説……と呼ぶには自画自讃を繰り返し、いかに自分が優れているかを滔々と語る。
現職の首相である父親を褒め称え、父と自分に感謝するようにと何度も何度も繰り返す。
『生徒会やその役員のことを悪く言う人がいたら知らせてください。必ずや厳罰に処しますから』と恐ろしい言葉も吐いた。
さすがにそこまで……と思うものの、いまの生徒会長ならやりかねない。
結局、授業よりも退屈な話を聞かされて6時間目が終わってしまった。
「つかさは放送を聞いてどう思った?」と質問する。
彼女は1学年下の2年生だ。
生徒会の噂は知っているだろう。
だが、高階さんの噂がどれほど広まっているのかわたしはよく分からない。
彼女があの放送にどんな感想を抱いたのか興味が湧いた。
「初瀬紫苑の声が素敵すぎて……」「あ、初瀬さんのことは抜きで」とわたしは慌てて口を挟む。
つかさは右の人差し指を頬に当てて首を傾げる。
そのポーズがあまりに可愛くて、わたしは大急ぎでスマホを取り出した。
それなのにスマホを構える前に「よく分かりませんでした」とつかさは首を竦めてしまう。
そして、両手を合わせて再び初瀬紫苑について語り出した。
「声だけなのに雰囲気があって、ボーッとしながら聞いていましたよ」
まるで片思い中の少女のようにうっとりした表情を見せる。
妬ましい気持ちが湧くが、わたしはパシャリとそんな彼女を撮影した。
「可愛く撮れてます?」とつかさが身を乗り出す。
わたしが隠そうとすると、彼女は長テーブルをグルリと回ってすぐ横にやって来た。
わたしは椅子に座っていたが、つかさはかがみ込んで身体をピタリと寄せる。
頬と頬がくっつくほどの距離まで近づき、スマホを持つわたしの左手を自分の左手で逃さないようにぐいと押さえる。
シャンプーの香りだろうか、良い匂いが鼻腔をくすぐる。
彼女の柔らかな感触がわたしの心臓をバクバクさせる。
「先輩、上手ですね」とつかさはきらめく瞳をこちらに向けた。
「マスク取ったところも撮ってくださいよ」と彼女は右手で自分のウレタンマスクを器用に外した。
現れた唇はぷっくりと膨らんでいて艶めかしい。
知り合ってから1年。
マスク姿がデフォなので、たまに外したところを見ただけでドキドキする。
いま、わたしのすぐ目の前にそれがあった。
……押し倒しても良いよね?
と良からぬことを考えたのがいけなかった。
彼女はサッと元通りにマスクを着けてしまった。
「……見なかったことにしてください。お手入れ、ちゃんとしてなかったかも」とつかさは恥ずかしがる。
そして、スッと立ち上がる。
わたしに背中を向けると、「顔を洗ってきます!」とバタバタと部室を出て行った。
* * *
そんな回想に浸っていると、教室にひとりの生徒が入って来た。
ざわめきが起きる。
わたしも「えっ」と声を出してしまった。
彼女が着ているものはこの高校の制服のように見えるが決定的な違いがあった。
臨玲高校の冬服はワンピースタイプのセーラー服だ。
セーラーカラーの色から1年生と分かるその大柄な少女はなんとスラックスを穿いていた。
セパレートにアレンジされた制服姿は彼女の中性的な雰囲気を際立たせている。
呆然とするクラスメイトたちを横目に、彼女は教壇に立つと「日野可恋です。よろしくお願いします」と笑顔を振りまいた。
その声を聞いて、昨日の放送で初瀬紫苑と話をしていた生徒だと気づく。
1年生は笑顔を浮かべたまま教室の後方に視線を向けた。
今度はわたしも振り向かずにはいられなかった。
その視線の先にいた高階さんをわたしは目に焼き付けた。
「あと1年、彼女に怯えながら学校生活を送りたいですか?」
そう言いながら1年生はゆっくりと高階さんに近づいていく。
高階さんは忌々しげな顔つきだが何も言葉を発しない。
俯き加減から上目遣いに向けられた目は、髑髏から覗き込まれるような禍々しさがあった。
息をするのが苦しいほどの緊張感が教室中に充満していく。
1年生は高階さんの正面に立つとクルリとこちらに振り向いた。
そして、高階さんの机に腰掛けた。
高階さんに背中を向けて。
わたしからは1年生の陰に隠れて高階さんの顔はほとんど見えない。
「彼女はヤバい人たちと繋がっています。ですから、みなさんは挑発しない方が良いです」と平然とした口調で1年生が話す。
「どうしたいのか、みなさんが決めてください。投票よろしくお願いします」
彼女は机から下りると軽く手を上げて教室を出て行った。
1年生が動いたことで高階さんの顔がはっきりと見える。
その目は暗く燃えているようだ。
憎悪の炎を灯したまま彼女は前だけを見ていた。
††††† 登場人物紹介 †††††
湯崎あみ・・・高校3年生。文芸部部長。つかさのことをとても意識している。
新城つかさ・・・高校2年生。文芸部。
芳場美優希・・・高校3年生。生徒会長。父親は内閣総理大臣。
初瀬紫苑・・・高校1年生。カリスマ的人気女優。映画一本に絞り露出は少ないが、熱狂的なファンが多い。特に媚びないところが女子に支持されている。
日野可恋・・・高校1年生。間もなく行われる生徒会長選挙に立候補予定。生徒会を改革するための理事長からの刺客という立ち位置。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます