第402話 令和4年5月12日(木)「義妹」日野可恋

 病院への行き帰りに見る車窓からの風景。

 桜の季節から新緑の季節へと移り変わっていくその光景を眺めることだけが外出の楽しみとなっている。

 だが、昨日の夕方に届いたメールはそんな癒やしの時間を奪い去った。


 マンションに帰宅すると、ひぃなが夕食の準備をして待っていた。

 一緒に暮らし始めた頃は覚束ない感じだった料理の腕がいまではいっぱしのものに……とは言い過ぎだが、最低限のことはできるようになった。

 私と華菜さんで献立を考え下拵えなどの準備をしておき、最後の仕上げをひぃなに任せることが多い。

 盛り付けにこだわり過ぎるといった欠点は残るものの、ハラハラして見ていられないということはなくなった。

 見た目重視で煮崩れを警戒し、十分に火が通っていなかったなんてことも昔の話だ。


 生徒会長選挙の話は食後にしようという暗黙の了解により、食事中は和やかな雰囲気となる。

 彼女は今日の学校の様子を事細かに教えてくれる。

 中学時代も登校できない私にまるで疑似体験をしたかのような感覚を味わわせてくれた。

 学校に行けないことが当たり前だった私からすれば休むことに抵抗はない。

 しかし、ひぃなにとって私のそんな諦観めいたものは受け入れがたいのだろう。


「中学に比べてクラスのまとまりが全然なかったじゃない。しかも、2年になってからはクラス単位での授業も数えるほどしかなくて。クラス委員の六反さんがこのままで良いのかってホームルームで疑問を投げ掛けたのよ」


「それで?」


「全体的には別に良いじゃないって雰囲気だね。昨年の臨玲祭だってクラス単位ではあまり盛り上がらなかったし……。新しい生徒会が発足したらクラス対抗の球技大会あたりを開催するように提案したらってわたしは言ったんだけど反応はいまひとつかなぁ」


 女子高だとそんなものだろう。

 もっと欲望をそそるものでないと気持ちを込めて頑張ろうとはならないはずだ。

 とはいえ3校合同イベントという大掛かりな行事が終わったばかりなので、あまり凝った企画を行うのは難しい状況である。

 コロナ禍でなければ親睦会と称して食事会やカラオケ等を提案するところだが、屋外でのバーベキューですらクラスターが発生して叩かれたケースが過去にあった。

 いまはそこまで厳しい世論の風潮ではない。

 それでも理事の立場ではトラブルは極力避けるという事なかれ主義に陥ってしまう。


 このようにひぃなは私の数倍お喋りするので当然食べるのに時間が掛かる。

 私の食べる量は入院前より減ってはいるが、依然としてひぃなはその半分にも満たない。

 急かす意図はないが、たいてい彼女は私が食べ終わったのに気づいてから慌てて食事を口に運ぶ。

 いまもお茶を飲んで寛ぎ始めると、ひぃなは会話を止めてせっせと手を動かし出した。


「時間を作って会っておいた方が良かったね」


 ひぃながほぼ食べ終わるのを見て、私はそう口にする。

 最後の一口をしっかり咀嚼し、それを飲み込んでから彼女は「会ったことはないんでしょ?」と私に確認した。


「うん。ひぃなも知っているように彼女の姉とはここで会ったけど」


 話題の主は今回の生徒会長選挙に立候補の意思を示している私の義妹だ。

 私の父親は私が産まれる頃に母と別れ、そののち子連れの女性と再婚した。

 それについて特に感想はない。

 父親がいれば健康になれたという訳でもないし、金銭的には十分すぎるほどの支援をしてくれた。

 母は恨んでいる様子はなく、仕事で会うこともあるようだ。

 私も幼い頃に何度か父親と会った。

 母と同じで仕事に何よりも生き甲斐を持っているような人だと感じた。

 私に対しての感情よりも、こんな病弱な私を母に押しつける形になってしまったことへの罪悪感があるようだった。

 そのため私は会うのを拒むようになり、もう何年も顔を合わせていない。

 いまも多額の養育費を払ってくれていることには感謝しているが、それだけだ。


「正直、義妹いもうとと言われてもね。会うメリットも感じないし……」


 たとえ血が繋がっていても一度も会ったことのない人間を家族とは考えられない。

 もう私には血の繋がりよりも大事な家族がいるのだから。

 父親についても、どうしてもその力が必要ならば直接お願いするだけだ。


「かなり真剣に彼女は可恋に会いたがっていたけど、まさかこんな形でアピールしてくるとは思わなかったなあ……」


 4月中に2度義妹はひぃなのところを訪れて私に会いたいと言ったそうだ。

 私は登校できるようになったら会うとその都度答えていた。

 待ち切れない気持ちを藤井さんサイドに利用された可能性もある。


「1年生が立候補する可能性は私も真砂さんも考えていたから驚くことではないのだけど、よりによって彼女かという思いはあるよね」


 藤井さんは実家のコネを使って選挙のプロを陣営に招いたようだ。

 子どもの学校の選挙に何を大げさなと思わなくもないが、結果的に藤井さんは大きく成長したと言えるのだから投資としては大成功だ。

 何ごとも本気で取り組めば成長のチャンスがあるということなのだろう。


 現2、3年生は藤井さんへの支持者が多い。

 そこでバランスの均衡を図るために、新入生に働きかけてひぃなの支持を増やした。

 ちょっとしたズルだが、私が入院中はひぃなも思うように動けなかったので多少は大目に見てもらいたい。

 ゴールデンウィークのイベント成功もあって、ひぃなが巻き返しに成功したというのが現状だ。

 ここでネガティブキャンペーンといった手法を採らず第三の立候補者を擁立するあたりに、向こうも単に勝ち負けを争っているのではないと見て取れる。


「予測では鹿法院ろくほういんさん辺りかなと。真砂さんが上手く動いたのか、向こうの狙いが最初から別にあったのかは分からない。向こうの陣営の思惑とは別に立候補した可能性は……」


 私は腕を組んで考え込むが、さすがに相手の情報が圧倒的に不足していて状況が正確には把握できない。

 ひぃなは真剣な表情でこちらを見て、「一度、ちゃんと話をした方がいいんじゃないかな」と口を開いた。

 私の思考は生徒会長選挙に向かっていたが、彼女は人間関係の問題だと捉えているようだ。


「電話やメールじゃ向こうは納得しないだろうね。仕方ない。今度の土日にここで会えないか聞いておいてくれる?」


 降りてくれるのであれば会う理由になる。

 義妹がそこまで考えているのかどうかは分からないが、目的を果たすための行動としてはかなり有効なものだった。

 彼女が何を望んでいるのかは分からない。


「ひぃなはお姉さんをもうひとり欲しいと思ったりする?」


 私の要望を了承したひぃなに尋ねてみた。

 彼女はすぐさま首を横に振り、「妹なら欲しいけど」と即答する。


「私はひぃなだけで十分」


「ズルいよ! 姉妹と好きな人とは別枠だよ」


 17年間ひとりっ子として生きてきた私は姉妹と言われてもピンと来ない。

 義妹には同じ母を持つ姉がいるのだから、それ以上何を求めるのだろう。

 他人の意図を推察することに自信がある私もこればかりはさっぱり見当がつかなかった。




††††† 登場人物紹介 †††††


日野可恋・・・臨玲高校2年生。1年生で生徒会長に就任したが2期目は立候補をしない。退院直後に比べれば体調は回復したものの、直接人に会って話すのは面倒で……。


日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。生徒会長選挙に立候補予定。2年前の一斉休校の頃から可恋とふたりで暮らしている。


日々木華菜・・・大学1年生。陽稲の姉。大学では管理栄養士を目指しつつ広範な勉強を始めたところ。受験が終わってからは日野家の食事の準備も分担していた。


真砂まさご大海ひろみ・・・臨玲高校2年生。生徒会役員。可恋に代わって陽稲の選挙参謀を務める。


藤井菜月・・・臨玲高校2年生。大手IT企業の創業家に育ち、眉目秀麗頭脳明晰と非常に優秀な才能の持ち主。しかし、高飛車な性格から孤立しがちだった。この生徒会長選挙に勝つために選挙のプロを招き、その指示に従って生徒との対話を重ねた。その積み重ねにより支持を広げ、彼女自身の性格にも良い影響をもたらした。


 * * *


 今日わたしは可恋の言葉を伝えるために1年生の教室に向かった。

 純ちゃんがついて来てくれたのでよく目立つ。

 遠目からこちらを見て囁き合う姿を見かけるが、こういう光景は見慣れたものだ。


「話があるのだけど、ちょっと良いかな?」


 わたしがそう声を掛けると、可恋の義妹さんはにこやかに微笑んだ。

 それは感情を読み取らせまいとする作り笑顔である。

 マスク姿しか見ていないのが彼女が可恋とどれくらい似ているかはまだよく分からない。

 ただ心の奥底まで見透かすような瞳は可恋とよく似ている。


「はい、何でしょう」


 わたしは彼女を教室に隣接する準備室へと連れて行く。

 ここに入るには許可が必要だが、学園の理事である可恋のメッセンジャーとして鍵を託された。

 わたしは本人から直接義妹だと打ち明けられたが、どこまでこの事実が広まっているのか分からない。


「次の週末に可恋があなたに面会したいと要望しています。ご都合はいかがでしょうか」


 改まった口調でそう尋ねると、予想していたのか彼女は淀みなく「条件があります」と返答した。

 わたしにとっては予想外の回答であり、「条件ですか」とオウム返しになってしまう。


「はい。その条件は……」

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