第403話 令和4年5月13日(金)「居場所」原田朱雀

「次は隣りのクラスだよ」と声を掛けると、「あー、もう面倒くさいなあ……」と男子には絶対見せられないようなウンザリした表情でまゆまゆは腰を上げた。


「移動、移動、移動。少しは休ませてよ!」


「ほんと多いよね。2年になると文系理系に分かれるからもっと多くなるみたいだけど」


「なんでこんな学校に来ちゃったんだろ……」と彼女は愚痴を零す。


「周囲の反対を押し切って臨玲にしたんでしょ?」


「だって、ここに入学したら紫苑様とお近づきになれると思ったんだもん」


 まゆまゆは映画女優の初瀬紫苑の大ファンらしい。

 しかも、遠くから眺めていれば満足するタイプではなく、相手のことを誰よりも知りたい、自分のことも相手に知って欲しいという厄介なファンのようだ。

 1年生が上級生の教室に行くのは勇気が必要だが、これまでに何度か彼女は初瀬さんのクラスに突撃している。

 お目当ての人物は4月中仕事が忙しくてあまり登校しなかった。

 そのため、まだ一度も会えないというまゆまゆの嘆きを毎日聞かされている。


「あの人に近づくのはそう簡単じゃないよ」


「何よ。自分が会ったからって上から目線で」


「会ったって言ってもファッションショーの打ち合わせで話しただけで、本当に必要な会話以外は返事すらしてくれなかったんだよ。日々木先輩以外とは向き合う気が一切ないって態度で示していたし……」


 ほかのモデル役の生徒たちとは目も合わせようとしないし、話し掛けても完全に無視していた。

 大人のスタッフに対しても必要最低限の話しかしていなかった。

 あれを見てズカズカ声を掛けられるとしたら毛にまみれた心臓の持ち主くらいだろう。


「それがスターなのよ」


「そうだね。あんな態度を取っても当然と思わせるオーラがあったのだから」


 普通の人があんな態度だったら周りからいろいろ言われるに違いない。

 だが、彼女の場合誰にも媚びないという”初瀬紫苑”らしさを感じさせる。

 あえてそういうキャラクターを作っているとは思うが、そう見せないあたりは女優の面目躍如かもしれない。


 隣りのクラスに入ると「すーちゃん、おはー」と別のクラスの子から挨拶された。

 彼女は英語も数学も同じ習熟度クラスなので連帯感がある。

 ほかにも何人か集まってきて、自然と輪ができた。


「昨日すーちゃんのクラスに陽稲様がいらっしゃったんですって?」

「わたし廊下ですれ違ったのよ! 間近で見ると本当にお人形のようで……」

「羨ましいなあ。あたしが見に行った時にはもういなくてマジ泣きしたよ」


 彼女たちは『日々木陽稲様を愛でる会』の構成員だ。

 この家柄によって所属するグループが明確に分けられる臨玲高校において唯一身分の差を超えて語り合う集団、それがこの『日々木陽稲様を愛でる会』であるらしい。

 あたしにとって日々木先輩は女神様なので、愛でるなんて恐れ多いというのが本心である。


「若松さんに話があるって言っていたから選挙のことなんじゃない」


 これまで彼女たちに日々木先輩の素晴らしさを語り続けてきた。

 そのうちにあたしは女神様のお言葉を伝えるシャーマンのような扱いを受けるようになった。

 1年生に先輩の良さを伝えることは選挙でもプラスになるので、あたしはその立場を利用して熱心に先輩の教えを説いている。


 授業が終わり、あたしたちは自分の教室に戻る。

 廊下に出てから「おかしいのよ。みんな、陽稲様、陽稲様って。この学校には日本中から愛されている紫苑様がいるのに……」とまゆまゆが不満を漏らす。

 あまり空気を読む性格ではない彼女も、最近の風潮を前にしてあからさまな反発は口にできないようだ。


「あのスピーチ以降、盛り上がり方が少し異常だよね」


 女神様を誰よりも崇めていると自負するあたしでさえ懸念を感じてしまう。

 多くの1年生は当然初瀬紫苑さんに憧れて臨玲高校に進学した。

 まゆまゆのように私立中学から外部進学で入学したケースも多いようだ。

 しかし、校内で憧れの人物を目にする機会はこれまで皆無に近い。

 日々木先輩に対するファン活動はその代償のような感じだったと思う。

 みんな、それを分かっていて控えめな態度を保っていたのに、スピーチ後は熱量が明らかに増えている。

 日野先輩がついているから大丈夫だとは思うが、学校に来ていないのでこの校内の雰囲気に気づいているのかどうかちょっと心配だ。


 教室ではちーちゃんとロナっちがあたしたちを待っていた。

 お昼は教室で食べることも多いが、今日はロナっちがお弁当を持って来ていないということなので学食に行く。

 新館のカフェは生徒会絡みの仕事をしている時は利用可能だ。

 いまはそれが終わったので予約を取らないと入れない。

 まゆまゆによると初利用や誕生日が近いといった優遇措置があっても1ヶ月待ちになるらしい。


 学食の方は臨玲っぽさがどこにも見当たらないが、広さが売りとなっている。

 詰め詰めにすれば全校生徒が入れそうだ。

 いまは席と席の間隔をかなり空けて配置してある。

 それでも多少出遅れてもお昼に席がないという事態に陥ることは滅多にない。


「雨だから混んでるね」


 ロナっちが申し訳なさそうに言った。

 バラバラに座る分には問題ないが4人で固まって座るスペースはないようだ。


「ロナっち、あっち空いた。席取っとくね」とまゆまゆがすかさず動く。


 2人ずつで分かれてしまうが今日は仕方がないだろう。

 ロナっちは一度こちらを見たが、あたしが頷くとまゆまゆを追い掛けていった。


「どうしようか」と呟きながら食堂を眺めていると「あっ、ちーちゃん!」と近くから声が上がる。


 声の方を見ると、おっとりした感じの人が手を振っている。

 その隣りが空いていて、空席の向かい側で食べていた人がちょうど立とうとしていた。


「こちら、幼なじみの原田朱雀」とあたしを紹介したちーちゃんは続けて「こちら、文芸部の嵯峨みるく先輩と新城つかさ部長」と手を振っていた人とその対面の席にいた可愛い感じの先輩の名前を教えてくれる。


「ファッションショーで大活躍だったんだってね」


 眼鏡がチャームポイントになっている文芸部部長が隣りに腰掛けたあたしに早速話を振った。

 お弁当箱を取り出しながら「日々木先輩に抜擢してもらって」と答えると、「同じ中学なんでしょ? 日野さんも日々木さんも凄いし、そういう人たちが集まるのって何か理由があるんじゃない?」と好奇心に満ちた視線を投げ掛けてくる。


「たまたまと言うよりは、あのふたりが普通の公立中学を普通じゃなくしたって感じかもしれません」


「あー、分かる。臨玲もこの1年でガラッと変わったもん」


 3年生とは思えないほど親しみやすい感じの人だ。

 あたしが「そうなんですか」と相づちを打つと、「臨玲史を書くなら三分の一くらいページを割く必要があるんじゃないかな。あたしは文芸部部長だけど読み専なので、書くのはちーちゃんに任せたい」と言い出した。


「ちーちゃんに任せると勇者や魔王が出て来ますよ」


「それも読んでみたいなー」


 あたしと部長の視線の先、ちーちゃんはみるく先輩と何やら小声で話をしていた。

 ようやく拾えたのは「もうラブラブなのかー」という先輩の嘆き声のみだ。

 ちーちゃんはあたしがファッションショーのプロデューサーの仕事に励んでいる間、あちこちクラブ見学をしていた。

 まだどこに入るか確定していないが、文芸部は有力候補のひとつだと聞いている。

 あたしは……たぶん生徒会長選挙の結果次第となるだろう。


 万が一、日々木先輩が落選したら……。

 その時は先輩を誘ってファッション研究会でも作ってみようか。

 この高校の中に自分の居場所が欲しいから。




††††† 登場人物紹介 †††††


原田朱雀・・・臨玲高校1年生。すーちゃん。入学直後に開催されたファッションショーではプロデューサーとして成功に導く活躍を見せた。陽稲たちと同じ中学出身。


武田まゆり・・・臨玲高校1年生。まゆまゆ。中学時代は金回りの良い彼女の周りに自然と人が集まっていた。


鳥居千種・・・臨玲高校1年生。ちーちゃん。朱雀の幼なじみ。中学では朱雀に誘われ手芸部創部に関わったが、本人の指向は読書や創作にある。


中之瀬コロナ・・・臨玲高校1年生。ロナっち。彼女自身の第一志望は東女だった。


初瀬紫苑・・・臨玲高校2年生。映画女優。メディアへの露出が少ないことが神秘性を高めた。


日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。次の生徒会長選挙に立候補している。


日野可恋・・・臨玲高校2年生。生徒会長。臨玲理事も務める。中学時代は魔王と称されていた。


新城つかさ・・・臨玲高校3年生。文芸部部長。かなりの読書家。


嵯峨みるく・・・臨玲高校2年生。文芸部。恋愛のキューピッド役を務めることを好む。

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