第404話 令和4年5月14日(土)「騎士」日々木陽稲

 今日は可恋が退院して以来最多の来客数となった。

 最近は病室のような静けさが基本だっただけに、これだけで随分と賑やかに感じてしまう。


 主賓は若松理佐さん。

 大きなキャリーバッグを携えて現れた彼女は学校とは異なり終始にこやかだ。

 こういう表情を見ると姉妹であまり似ていないような気がする。

 可恋は機嫌が良くても顔にほとんど出さないから……。


 そして、可恋の義妹が押しかけてくると聞いて珍しく興味を抱いた紫苑がやって来ていた。

 彼女もここに来るのは随分と久しぶりだ。

 4月は仕事が忙しかったこともあるし、可恋の体調を気遣っていたのもあるだろう。

 理佐さんの来訪にかこつけて顔を出した感があった。


 体調が万全ではない可恋にホステス役を任せるのは不安だ。

 かといってわたしは可恋の隣りで常に見張っていなきゃならない。

 そんな訳で、キッチン担当としてお姉ちゃんに来てもらった。

 これで姉ふたり妹ふたりとバランスが取れている。


「これは父から持って行けと渡されたものです。こんな重いものを娘に持たせるなんてヒドい父親ですよね」


 ずっしりとした重さがありそうな紙袋を理佐さんが可恋に手渡す。

 何かなと思っていると、「今回のことで連絡を取ったの。でも、彼女のことよりも研究の話で盛り上がってね。読んでおけって言われたものの中から電子化されていないものを貸してくれることになったのよ」と可恋が説明した。

 紙の本が何冊も入っているそうだ。


「父の本はすべて読んでいますが研究分野に興味が湧かなくて……」と理佐さんはわずかに顔を曇らせる。


 ふたりの父親は民俗学の権威だと聞いている。

 一般庶民の暮らしぶりの変化を時代や地域性を考慮しながらつぶさに研究していると可恋が話していた。

 ファッションに限定すればわたしも知りたいと思うような研究成果があるようだが、普通の女子高生が惹かれる内容とは言い難い。


「歴史は政治家や経済人による改革といった目に見える部分に光を当てるけど、様々な人々の暮らしが根底にあって改革は行われるものだから、そこに焦点を当てることは非常に重要なの。でも、当たり前のことは記録に残らないから若松先生の功績は大きいのよ」


 可恋の気分が高揚していると気づいているのはわたしくらいだろう。

 顔つきにも口調にも一切そんな素振りを見せていない。

 ただ饒舌になっているので、わたしの推察に間違いはない。


 そんなやり取りが終わるとリビングの奥に置いたガラス製のテーブルを囲んで着席する。

 窓際のふたり掛けのソファに可恋とわたし。

 その対面に理佐さん。

 わたしの斜め前には姉妹の初顔合わせを特等席の位置から眺める紫苑がいた。

 お姉ちゃんがテーブルに自家製のケーキとそれに合わせた紅茶を並べる。

 ひとしきりその味を堪能してから可恋が切り込んだ。


「生徒会長選挙に立候補した理由を聞いてもいい?」


 相手の内面まで見透かすように目が細められた。

 理佐さんはその鋭い視線にたじろぐことなく、笑みを湛えたまま「部活見学をしている時、退屈そうな顔をした私に『出来上がったものに満足できないなら、自分で作り上げた方がいいよ。君はそんなタイプに見える』と言ってくれた先輩がいたんです」と答えた。


「それで生徒会長を?」


「もちろん私がおふたりを押しのけて当選するとは思っていません。しかし、生徒会入りする方法としては最善ですよね?」


 いまの理佐さんの説明で、藤井さんの陣営からの働きかけには触れていなかった。

 言わないからといって、無かったと決まった訳ではない。

 少なくとも彼女の表情からはその含みが感じられた。


「生徒会に入って何がしたいの?」と問い掛けたのは理佐さんが来てからずっと観察し続けていた紫苑だ。


 紫苑も大人に混じって働いているせいか人を見る目はある。

 歳下の原田さんに対しても――打ち解けた感じはなかったが――それでもほかの人よりかは誠実に受け答えしていた。

 年齢ではなく実力だけで人を判断するところは可恋とよく似ている。


「それはいま考えているところです」


 理佐さんのその答えにわたしは驚いた。

 普通なら夢や希望を語りがちな場面だ。

 自分をアピールしたい人ならここが正念場といっていい。

 ましてや相手は世間で有名な初瀬紫苑なのだから。


 わたし同様に紫苑も理佐さんへの見方が変わったようだ。

 一方、可恋はさらに感情を顔から消し、「若松先生から聞いたんだけど」と抑揚のない声を発した。


「春休み、ウクライナに行って志願兵になりたいと家族に訴えたそうだね」


「志願兵!」と裏返った声を上げたのは少し離れたところに座っていたお姉ちゃんだ。


 わたしは衝撃で口をあんぐりと開けただけだった。

 いままでの知的な印象が消し飛ぶほどのインパクトだ。

 だが、可恋は「それは母親や姉から自由を手に入れるための行動だと先生は見抜いていたけど」と言葉を続ける。


 理佐さんは「若気の至りです」と苦笑する。

 わずか数ヶ月前のことなのに。


「私は自分が恵まれていることを理解しているつもりです。ですが、どれほど恵まれていても幸せだとは限りません。そんな本音を漏らすと、贅沢な悩みだとか我が儘だとか非難されるでしょうね」


「不幸を比較しても意味が無いのに、自分より恵まれた環境の人が不幸だと嘆くのを見ると怒りや憤りが発生する。それもまた仕方がないことかもしれない」


 日本に生まれただけで幸運だという言い方もされるが、その日本でも自ら死を選ぶまで追い詰められる子どもだって存在する。

 いまここにいる面々だって周囲から見れば非常に恵まれた立場にいる。

 しかし、だからといって無条件に幸せになれると決まってはいない。

 臨玲のようなお嬢様学校が存在するのも理解し合えるのは自分たちだけという思いがあるからかもしれない。


「そういう計算も多少はありましたが、かなり本気で自分にできることはないかと考えたんです」


 お姉ちゃんはその言葉を真に受けていたが、「多少ねえ……」と紫苑は半信半疑よりも疑いが濃いようだ。

 可恋も信じているようには見えない。


「それで、何か行動には移したの?」とわたしは聞いてみた。


「実際にできたのは寄付くらいです。中学ではボランティア部に所属していたのでそこを通して支援を広げたりしていました」


 そう言うと彼女は募金活動をしているところを撮影した写真を見せてくれた。

 そこに写っている彼女の表情は真剣そのものだ。

 これだけを見れば、臨玲に多い意識の高い良家の子女という感じがする。

 けれども、「次は可恋お姉様のことを聞かせてください」と話す理佐さんの目は獲物を狙う猛禽のようで良家の子女にはまったく見えない。


「その呼び方は止めて欲しい」


「私が出した条件のひとつでしたよね?」


「もうひとつの、今日ここに一泊するというのは認めたのだから、それで十分でしょう」


「ダメですよ」と反論する理佐さんに「立候補を取り下げるのなら考えてもいい」と可恋は条件を突きつける。


「酷いじゃないですか。約束を反故にするなんて」


「私はあなたを妹として扱うと答えたのであって、その呼び方をして良いとは言っていない」


「ズルくないですか?」と理佐さんはわたしに助けを求めるが、ふたりの間をメッセンジャーとして取り持ったわたしは「確認が不十分だったね」とすっとぼける。


 拗ねた顔を見せる理佐さんは歳相応の女の子のようだ。

 どこまでが演技なのか読み取りづらいのは紫苑とよく似ている。

 昔は他人が考えていることなんて手に取るように分かったのに、最近は隠す技術に長けた人ばかりだ。

 それは当時周囲がわたしを子ども扱いしていたってことでもあるんだろう。

 ただ可恋の周りにはこういう厄介な人たちが集まってくるというのも事実だと思う。

 だから、わたしが頑張って可恋を守らないと。


「紫苑も泊まっていけば? 理佐さんに興味があるようだし」




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。現生徒会副会長。間もなく行われる生徒会長選挙に立候補している。精巧な人形のような外見から羨ましがられるが、ひとりで外出できないといった制約も多い。


日野可恋・・・臨玲高校2年生。現生徒会長。今年3月末に退院したもののまだ登校には至っていない。離婚した両親はともに大学の教授職にあり、世間や学会でも知名度が高い人物。


初瀬紫苑・・・臨玲高校2年生。現生徒会広報。映画女優として若者に大人気。国民的女優となりつつあるが本人はハリウッド進出を目指している。


若松理沙・・・臨玲高校1年生。可恋と同父の義妹。突然生徒会長選挙に立候補した。


日々木華菜・・・大学1年生。神奈川県内で栄養学を勉強している。料理の腕はプロ顔負け。


藤井菜月・・・臨玲高校2年生。選挙のプロを招いて生徒会長選挙に立候補する準備を進めていた。その甲斐あって陽稲と互角の状況となっている。

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