第405話 令和4年5月15日(日)「壁」若松志乃舞
それが親しい友人からの私への評価だ。
自覚はある。
理由も自分なりに把握している。
大学生にもなって家族に囚われすぎだという問題意識も抱いている。
それでも簡単に変えられるものではない。
近い将来には自立しなければならない。
妹のように。
「今度の土日、日野さんの家に泊まるね」
そんな爆弾発言を妹の理佐がしたのは木曜日のことだ。
家族四人が揃った夕食の席。
発言主の理佐と隣りに座る父は至極平然とした顔つきだったが、その向かい側に座る私と母の顔は激しく強ばった。
仕事中以外は穏やかで優しい父は娘の言葉に「ご挨拶が必要だな」と既に受け入れてしまっている。
母はそんな父の態度に視線を落として耐えるだけだ。
仕方なく私が反対意見を述べることになる。
「ご迷惑なんじゃないの?」
「招待されたのは私よ。泊めて欲しいとねだったらすんなり受け入れてくれたし」
いきなり見ず知らずのお宅に宿泊したいと言い出すとは。
呆れてものが言えない。
しかし、それを理由に反対することは難しい。
相手は会ったことはないとはいえ血の繋がったもうひとりの姉なのだから。
理佐にはこういう突拍子もないところがある。
幼い頃から頭が良く基本的には優等生なのだが、時折おかしな行動に出るのだ。
突然裸族になると言って家の中を全裸でうろついたり、学校の先生の採点に納得できず文科省に問い合わせたり、研究者になりたいと言い出して大量の虫を捕まえてきたりと小学生時代に引き起こした事件の数々は語り草になっている。
中学生になると少し方向性が変わり、気候変動問題のデモに参加したかと思えばヴィーガンになると言って自分が食べる分は自分で作るようになった。
女子野球に興味を持ち他の学校も巻き込んで女子野球部を作ってみたり、ボランティア部に入って精力的に活動したりもしていた。
父はそんな妹をニコニコした顔で眺めているだけだ。
父は私の実父ではない。
物心がつく前には再婚していたので、養父であるという感覚はあまり持っていない。
しかし、実父でないことは隠していなかったから、物心がついた頃にはなんとなくそういうものだと理解していたと思う。
厳しい母と違って父はとても優しい人だ。
一方で仕事中は周囲がまったく目に入らないような集中力を見せ、子どもながらに近づいてはいけないと分かるほどだった。
父に認めてもらいたいと思うことは私にとって自然だった。
父は学者なので、勉強ができないでは話にならない。
懸命に勉強して父に気に入られたいと無意識のうちに願っていたのだろう。
妹の突飛な行動は、私が父を独占するから父の気を引くために行っていると考えていた。
だが、最近はその考えが間違っているのではないかと思いつつある。
他人がドン引きする行動も彼女なりの論理の帰結であり、周囲にどう思われるかなんて彼女は重視していないのではないか。
父に対しても、私のような思いは感じられない。
これまで私の尺度で測ろうとしてきたが、それがそもそもの間違いだったのだ。
そんな風に考えを改めようとしたのに妹はウクライナに行って義勇兵になるなんて言い出して、私はいまも止める役を演じてばかりだ。
臨玲への進学や今回の外泊も母のことを思えば避けて欲しかった。
母は自分が産んだ子でありながら理佐のことを理解できないもののように見ることがある。
その気持ちは分からなくもない。
周りからは私も妹も同じような優等生に見られがちだが、本質はまったく異なっているからだ。
私は必死に勉強をして一流と呼ばれる大学へ進学することができた。
対する理佐は家で勉強しているところをほとんど見たことがない。
それなのに私と変わらない成績を収めてきた。
生まれながらに頭の作りが違うのだろう。
日曜日の夕刻、今日も四人で食卓につく。
理佐が欠けた昨日の夕食はどこか寒々しい雰囲気となっていた。
先ほど帰宅した彼女は少し浮かれた様子だが、そんな妹のニヤニヤした笑みが家族の結び付きを強めているのではないかと気づく。
「どうだった?」と私は余計な言葉をつけ加えずに話を振った。
「初瀬さんも来ていたの。そして、口説かれたのよ」
妹の発言に私は口の中のものを吹き出しかけた。
いや、少し吹き出してしまったが、これだけで済んで良かったと思うほどの衝撃だった。
「初瀬さんって?」と心配そうに母が尋ねると、「映画スターの初瀬紫苑よ。パパでも知っているでしょ?」と理佐は父の方へと顔を向ける。
「名前くらいはな」と父は機嫌良く返事をするが、まるで事の重大性を理解していない。
私が「口説かれたってどういうこと?」と前のめりになって問い掛けると、「言葉通りの意味よ。あの人、女の人が好きなんだって」と妹はあっけらかんとした表情を見せた。
彼女は人差し指を唇に当て「秘密だよ」とポーズを取るが、そんなことよりも「それで、どう答えたの?」と私は早口でまくし立てる。
「お友だちから……みたいな?」
その冗談めかした口調や顔つきからどこまでが真実かを読み取る術はない。
彼女はこれまでにも異性から告白された時にはそのやり取りを食卓で披露していた。
妹は自分の話をちゃんと聞いてくれる人がタイプだと公言している。
しかし、本気で彼女が話し始めるとついて来られるのは父くらいだ。
のべつ幕なしに口を動かし、話題は芸能人のゴシップから時事ネタ、宇宙論に精神世界の話などどんどん飛んで行く。
しっかり聞いていないと、「さっき私なんて言った?」と確認するから質が悪い。
いまのところ同世代の男子に彼女の相手が務まる人はいなかった。
「理佐の話について来られたの?」
「初瀬さんや日々木さんは感覚的に理解できる人たちみたい」
私が通っていた有名進学校でも理佐のような天才肌は浮き気味だった。
それなのに臨玲のようなお嬢様学校に逸材がそんなにいるなんて思ってもみないことだった。
「それで、彼女は?」と私は口に出す。
「パパみたいな人ね。だから、つまらない」
私は思考がバグを起こしたかのように完全に停止してしまった。
箸を持つ手が止まり、口も大きく開けたままだ。
順接の「だから」という語が機能停止状態に陥らせたのだ。
父は「そうか」と笑っている。
むしろ、とても嬉しそうだ。
その光景を見ながら、テーブルを隔てて手を伸ばしても決して届かない壁があると感じる。
私には決して乗り越えられない壁が……。
††††† 登場人物紹介 †††††
若松
若松理沙・・・臨玲高校1年生。志乃舞とは父親が異なる。
日野可恋・・・臨玲高校2年生。生まれた頃に両親が離婚し、母に育てられた。経済的に苦労をした訳ではないので父への恨みといったものはない。むしろ養育費を払い続けてくれていることに感謝している。
初瀬紫苑・・・臨玲高校2年生。いまや国民的な女優となりつつある。
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