第395話 令和4年5月5日(木)「ファッションショー」網代漣
緊張感は伝染する。
いまわたしがいる舞台袖では緊張の連鎖がまざまざと見ることができた。
当然と言えば当然だ。
講堂はまったく別のものに作り替えられ、非日常の空間となっている。
照明は落ち、舞台の上だけが光り輝く。
モデルたちはいまからその異世界へ足を踏み出していくのだ。
事前に行われたリハーサルでも緊張は見られた。
だが、ここまでではなかった。
このショーの様子は後日インターネットで配信される。
深夜枠とはいえ地上波での放送もある。
そして何よりいまは観客席が埋まり、ショーの始まりを固唾を飲んで待ち構えているのだ。
この緊張を取り除くのがわたしの役目であるはずなのに、むしろこの場に緊張を持ち込んだ張本人かもしれない。
わたしもまたガチガチに緊張していた。
本来ここにいるはずだったキッカの代わりに、モデルが舞台に出るタイミングを伝える係を担当することとなった。
音楽や光の演出が秒単位で決められている。
実際は多少ずれても何とかなると言われたが、責任は重大だ。
「漣、大丈夫?」と声を掛けてくれたのはひよりだ。
彼女は更衣室を担当する予定だったが急遽わたしのサポートに来てくれた。
リハーサルで何度かタイミングを間違えてしまったのでプロデューサーの朱雀ちゃんがキッカやひよりと相談して決めた。
キッカならこんなことにはならないので、自分が情けない。
わたしはいちど深呼吸をしてから「うん」と頷く。
心臓のドキドキは周りの全員に聞こえるのではないかと思うくらい大きくなっている。
かなりで大音量で鳴り響く音楽も微かに聞こえる程度だ。
「日々木さんがモデルに失敗しても堂々としていたらバレないからって話していたじゃない。送り出すタイミングがズレても気づく人はいないよ」
「……うん」
「あと、キッカからのアドバイス」と言ったひよりはわたしの肩に手を載せて同じように緊張しているモデルたちの前に連れて行く。
服装のバリエーションは多彩だ。
高校生らしい健全な装いの子もいれば、かなり大人びたドレス姿の子もいる。
それぞれに合った衣装というのがデザイナーである日々木さんのコンセプトだそうだ。
ここにいるのは全体の三分の一程度で序盤に出番がある。
全員マスクを着用し、それもまたファッションの一部になっていた。
「大きな声でモデルの人たちに挨拶するように、だって」
ひよりがわたしの耳元でかなりの音量で話した。
普段の教室の中でならみんなが振り向きそうな声の大きさだ。
それでも近くにいる数人がわずかにこちらに視線を向けた程度だった。
「挨拶って?」
「何でもいいから。頑張ろうとか楽しもうとか」
そう言ってひよりがわたしの背中をポンと叩く。
押し出されるように一歩前に踏み出したわたしは「……間もなく本番が始まります。緊張していると思いますが精一杯頑張りましょう」と口に出した。
「聞こえてないよ!」とひよりがダメ出しする。
わたしはより大声で同じ内容を話したが、ひよりは「全然反応がないじゃない」とモデルの様子を見ながら耳打ちした。
そして、「心配しなくても観客席まで届かないよ」と挑発するように言葉を続ける。
「もうすぐ始まるけど、絶対に成功させよう! 大丈夫、みんなならいけるって!」
根拠がある訳ではないが、絶叫する勢いに任せてそう言い切った。
自分でもびっくりするほどの声がお腹から出た。
急に恥ずかしくなったが、ひよりは「よくやった」とパンパン背中を叩く。
舞台袖に蔓延していた重苦しさがほんの少し薄れたように感じた。
その時、ずっと手に持っていたタブレットが振動する。
ショーの開幕だ。
「さあ、ファッションショーのスタートです。みなさん、楽しんでくださいね!」
最初に舞台上に姿を現したのは日々木さんだ。
どこか白衣を連想させるような出で立ちの彼女が開演を宣言すると、スピーカーから『今日はお集まりいただきありがとうございます』と朱雀ちゃんの声が流れてきた。
プロデューサーのお堅い挨拶の間に、わたしはタブレットを確認しながらモデルの名前を呼ぶ。
ひよりが舞台袖にいるモデルを出演順に並ばせるのを横目で見ながら、わたしはトップバッターに「あと90秒です。楽しんできてください」と声を掛けた。
タブレットのカウントダウンを見ながら「どうぞ!」と合図を出す。
モデルの子は堂々とした態度で舞台に出て行った。
アナウンスでは『臨玲高校1年、
舞台の方も気になるが、そちらを見ている余裕はない。
次のモデルの準備がある。
舞台上やランウェイで問題が発生すればすぐにキッカやほかの人から連絡が入る手はずとなっている。
だからいまは予定通りに進むと信じて定刻を守るのがわたしの仕事だ。
「漣が泣き出してキッカを呼ばなきゃいけなくなるかと思っていたよ」
ショーは小休憩に入った。
わたしがフーッと息を吐いているとひよりが声を掛けてきた。
「泣きはしないよ」と反論したが、あのアドバイスがなければどうなっていたことか。
ひよりが来てくれなかったら、わたしひとりではこんなにできていなかっただろう。
わたしは彼女に「ありがとう」と感謝の言葉を伝え、「キッカにも伝えておいて」と続けた。
「そこは自分で言わないと」
「あー、まあ、そうだね。ちょっと照れくさいけど」
「ちゃんと言葉にしなきゃダメよ。感謝も愛情も」
そんな話をしているうちにモデルが次々と舞台袖にやって来た。
間もなく小休憩も終わる。
わたしとひよりで人数を確認したが、なぜかひとり少ない。
モデルには他校の生徒も混じっているので全員の顔は覚えていなかった。
タブレットの名簿をチェックし、「えーっと……、いないのは鹿法院さん?」と該当者にたどり着いた。
ひよりは「更衣室に残っていないか見てくるね」と慌ただしく去って行く。
わたしは自分のスマートフォンで日々木さんや朱雀ちゃんに連絡をする。
アクシデントでモデルが出られなくなった時の対処は事前に打ち合わせていたので焦りはない。
ひよりは見当たらなかったと言って、代役として準備していた澤田さんを連れて戻って来た。
『鹿法院さんの出番までに来なければ澤田さんに出てもらいます』とメッセージを送るとすぐに了解したという返答があった。
鹿法院さんは小休憩明けの3番目だ。
わたしは最初の人がスタートしても彼女が舞台袖に来なければ代役に任せると澤田さんに告げ、その時を待った。
そして、開演のブザーが鳴る。
再び講堂が非日常に切り替わり、わたしは次に登場するモデルを舞台に出る直前のところで待機させる。
そこに「お待たせー」とまったく緊張感のない声が飛び込んできた。
リハーサルの時とはまったく別の衣装を身に纏った美少女がいた。
原色の派手な色合いは今日のファッションショーでは目にすることのなかったものだ。
「先に行くねー」と呆然とするわたしにそう言うと、なんの躊躇いもなく舞台へと出て行く。
「あっ、ダメ!」と止めようとしたが、彼女について来た女の子がわたしの前に立ちはだかった。
いままで苦労して準備してきたことが台無しになるような気がした。
力が抜け、膝から崩れ落ちそうになる。
しかし。
「何するのよー」と叫ぶ美少女の首根っこを押さえているのは澤田さんだった。
「すぐに着替えて来るように。それともここで裸にひん剥いてあげようか?」
「鹿法院を敵に回すつもり?」と睨まれても澤田さんは一歩も引かず、「日々木さんが作り上げた舞台を汚すとどうなるか身体に教えてあげるよ」と本気で彼女のドレスを脱がせようとし始めた。
わたしと同じように呆然とその光景を眺めていたモデルに「時間だから行って。ごめんね、こんなタイミングで」と耳打ちし、背中を押す。
そして鹿法院さんと澤田さんの間に割って入り、「みんなで作り上げたショーだから勝手なことはしないで」と訴えた。
「何よ。あたしにはこの服の方が似合うの!」
いかにもお嬢様という感じのダダのコネ方に「だったら、自分の手でファッションショーをやればいいじゃない」と思わず反論してしまう。
澤田さんも「こういうのはただ乗りって言うんだ。お金持ちなんだろ? 親にねだってみたら良いじゃない」と強い口調で窘める。
「何よ、何よ、何よ!」と泣き叫ぶ美少女を庇うように先ほどわたしの邪魔をした女の子が「鹿法院様をいじめないでください」と前に立った。
「漣!」とひよりに腕を掴まれる。
振り向くと次に出番のモデルが所在なさげに立っていた。
すでにスタートするはずの時間は過ぎている。
頭が真っ白になりながら、「ごめん、バタバタして。すぐに出てくれる?」とモデルに詫びた。
次をどうするか。
鹿法院さんの番だけど、このままでは出せない。
代役の澤田さんがこの場からいなくなると鹿法院さんを止められるかどうか。
「すごいデザインですね」とピリピリした空気を読まずに現れたのは日々木さんだった。
興味深そうに鹿法院さんの服を眺めている。
それに対して、泣く素振りを見せていた鹿法院さんはキッとした表情になって「あなたもあたしの邪魔をするつもり?」と鋭い視線を日々木さんに向けた。
「このショーは遊びじゃないんです。様々な契約が結ばれて成立しています。鹿法院家や神楽坂家のお嬢様方ならその重要性はご存知じゃありませんか?」
その言葉で突然ふたりは俯いてしまった。
価値観の違いにわたしは驚きを隠せない。
みんなで作り上げたことの大切さよりも契約が大事なのか……。
「その素敵なドレスについては後ほどお聞きしたいと思います。そして、モデルをする意思があるかどうか教えてください」
いつの間にか日々木さんの両脇を澤田さんと安藤さんが固め、その光景はお祖母ちゃんの家で見たことがある『水戸黄門』の時代劇を思い起こした。
印籠を出されて打ちひしがれている鹿法院さんは上目遣いに「着替えたら出してくれる?」とお願いする。
高校生には見えないこのふたりの美少女は、1年歳上ということもあって日々木さんの貫禄勝ちだった。
鹿法院さんたちを更衣室に向かわせ、今後の段取りについてテキパキと日々木さんが指示を与える。
3番目のモデルをキャンセルしたことで遅れは取り戻せた。
わたしが自分の役割に戻っていると、日々木さんが駆け寄ってきた。
そして、わたしの手を取り、「ショーを守ってくれて本当にありがとう。最後まで頑張ろうね」とにっこり微笑んだ。
顔を赤らめたわたしに「三股はダメだよ」とひよりが氷のような声で釘を刺す。
わたしは「分かってるよ!」と大声を出してその視線から逃れたのだった。
††††† 登場人物紹介 †††††
飯島
岡崎ひより・・・臨玲高校2年生。キッカと同じグループ。その繋がりで4月以降何かと手伝いをしている。
日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。ファッションショーにデザイナーとして参加している。実質的には総責任者。
原田朱雀・・・臨玲高校1年生。陽稲と同じ中学出身。ファッションショーにはプロデューサーとして参加。
澤田愛梨・・・臨玲高校2年生。生徒会役員。陽稲とは同じ中学出身。今回のショーには主に裏方として協力していた。
神楽坂
* * *
モデル全員が舞台に上がりカーテンコールが行われた。
舞台袖でそれを眺めながらわたしは大きく息を吐く。
始まる前はあれほど緊張していたのに、始まってみれば忙しくて緊張している暇さえなかった。
身体のあちこちに余計な力が入っていたようで、節々が痛む。
それでもやり遂げた充実感がテンションを高めていた。
「
ほかにも更衣室を担当していたスタッフや連絡役、雑用などショーの成功を支えたメンバーがやって来ていた。
さらに。
反対側の舞台袖から松葉杖をついたキッカが現れた。
わたしはそれを見て、駆け出す。
「キッカ!」
相手がケガ人でなければ抱きつくような勢いだった。
キッカは「漣、ありがとう。代役を務めてくれて」と頭を下げる。
わたしは「友だちなんだから当たり前のことをしただけだよ」と頬を赤く染める。
幸いマスクで隠せているはずだ。
その時、なぜか幕が上がり始めた。
スタッフのほとんどが驚いた顔で辺りをキョロキョロしている。
「今日のファッションショーは彼女たちが裏方として頑張ってくれたから成功することができました。その献身性、熱い想いに心より感謝します。彼女たちにも盛大な拍手を!」
日々木さんが観客にマイクで話すと、会場から拍手が鳴り響く。
満席となった観客の様子を初めて見た。
胸に熱いものがこみ上げる。
「やって良かったな」としみじみとした声でキッカが呟いた。
あたしは泣き顔を見られるのが恥ずかしくて、彼女の胸に顔をうずめた。
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