第396話 令和4年5月6日(金)「つかさ」湯崎あみ
「あたしのこと、信頼できませんか?」
つかさの眼鏡の向こうにある瞳からは怒りすら感じられた。
こんな彼女を見るのは初めてと言っていい。
「そんなことないよ」と言い訳がましく答えたわたしに「だったら、どうして1ヶ月も会ってくれなかったんですか」と彼女は畳み掛ける。
「それは……」
つかさの言う通り、わたしはこの1ヶ月余り彼女に会うのを避けていた。
春休みの間は何度か顔を合わせた。
しかし、大学生活が始まるとつかさの誘いを断るようになった。
さすがにずっと前から予定されていた臨玲高校でのファッションショーは拒むことができず、久しぶりの彼女の顔を間近で見た。
そして、いまふたりでイタリアンのお店に行き夕食を摂っている。
始めは彼女が最近の学校での出来事について話していたのでそれを聞いていた。
授業の仕組みが変わったこと、文芸部の近況、今日のファッションショーについて。
それが突然、わたしに絡み出すようになったのだ。
「あたしは歳下だし、先輩のようにしっかりしていないし、お金持ちの家でもないし、相談してもらってもまったく力になれないかもしれません。でも……」
つかさは本当に良い子だ。
好奇心旺盛で、読書家で、勉強熱心。
性格は穏やかで誰とでも仲良くなれる。
上辺だけの人間関係しか築けないわたしとは大違いだ。
そんな彼女にここまで言わせたことに心が痛くなる。
「そんなことないよ。つかさはわたしにはもったいないくらいだから。むしろわたしが……」
そう。
わたしがつかさに釣り合わない。
彼女の顔を見ているとそんな思いに囚われて胸が苦しくなる。
「つかさは受験生だし、わたしのつまらない悩みにつき合わせたくないから」
わたしの言葉に俯いたつかさは、感情を抑えるような声で「……納得できません」と絞り出した。
彼女と知り合って2年ほどが経つ。
その中で、ここまでわたしに刃向かう姿は記憶にない。
「あたしは先輩から好きだと言ってもらってとても嬉しかったです。一人前の、対等な人間だと見てもらえたと思ったから。身分が違っても分かり合えると思ったから」
キッと顔を上げ、つかさはわたしの目を真っ直ぐ見つめる。
わたしが悩んでいる間、彼女もまた悩んでいたとようやく気がついた。
「大好きな人が苦しんでいる時に助けたいと思うのは自然なことじゃないですか。たとえ助ける力がなかったとしても、一緒に苦しみを分かち合うことくらいはできるんじゃないですか」
「……ごめんなさい」
逆の立場に立てばすぐに分かることなのにわたしはまったく見えていなかった。
すべてを打ち明けなくても、もっとキチンと話しておくべきだった。
恋人失格だ。
「じゃあ、話してください」とつかさは追及の手を緩めない。
この辺りは普段のつかさらしさが出ている。
そのネコのようになった瞳に引き込まれるように、わたしは抱いている苦しみについて話し始めた。
「大学受験の真っ只中にお祖母様が亡くなり、志望校を含め数校は受験する機会すらなかったことは既に話したよね」
尊敬するお祖母様の突然の逝去にショックを受けただけでなく、その葬儀や親族会議などへの出席を余儀なくされた。
普段金銭的に豊かな生活をさせてもらっているのだから、”家”にまつわる義務は全うしなければならない。
それは理解しているつもりだったが、最悪のタイミングだった。
祖母以外の親族は両親を含めてわたしの大学進学を意味のあることだと見ていないと身に沁みて分かったことも辛かった。
だから合格した大学もある中で浪人するとは言えなかった。
もともと高校または大学を出たら親が決めた相手と結婚し、その人に唯々諾々と従って生きていくと考えていた。
大学進学はわたしの我がままであり、決して両親の望みではない。
祖母だけがもっとわたしが望むように生きろと言ってくれた。
それなのに余りにも早く逝ってしまった。
「大学に入学したものの、わたしには目標がない。ほかの学生たちが一生懸命前を向いて頑張っているのに、わたしは空っぽでここにいるのは相応しくないんじゃないかって思ったの」
だが、大学を辞めればすぐにお見合いが待っているだろう。
わたしを家に置いておく理由がない。
結婚すればつかさとこんな風に会うこともできなくなるのだと思うと恐ろしくなる。
「どうしていいか分からなかった。だけど、つかさには迷惑を掛けたくなくて……」
わたしの告白を聞いて、つかさは腕を組んで考え込んだ。
決して諦めず、困難に立ち向かおうという顔つきだった。
「……前から疑問だったんですが、結婚の話はご両親からハッキリと言われたんですか?」
今度はわたしが頬に手を当てて考える。
そういう話はいろいろな形でわたしの耳に入ってきた。
ただ両親が明確にそれを言ったかどうかは定かではない。
「わたしも周囲もそれが当然だと思っていたから……」
家にはいろいろな人がいる。
ハウスキーパーやわたしの教育係がそういうことを口にしていた。
親戚縁者もわたしの目の前でこの子をどこそこに嫁がせようなどと平然と話した。
祖母が亡くなったあとの親族会議でもわたしの縁談の件がいくつか出た。
両親がそれに反対した覚えもない。
異を唱えたのは祖母ひとりだけだ。
「ミステリーを解く基本は事実の確認です。作者がミスディレクションを狙ってきますが、事実を見極めていけば真実にたどり着けます」
純愛小説が好きと公言するつかさだが、ミステリーでは作者の仕掛けに引っ掛かったことがほとんどないと豪語する推理小説読者でもあった。
わたしの悩みは”謎”ではないが、事実をハッキリさせる必要があるという彼女の指摘は頷けるものだった。
「でも、両親に結婚の話を出したら、すぐさま結婚させられるんじゃないかって不安で……」
それがいままで曖昧にしてきた理由だ。
向こうが言ってくるまでは触らぬ神に祟りなしといった感じで先延ばしにしたい。
藪をつついたら蛇が出て来たでは最悪だ。
「先輩の意思をちゃんと伝えましょう」
「そんなことをしたら……」
「いざとなったら湯川先輩のように駆け落ちすればいいのです!」
††††† 登場人物紹介 †††††
湯崎あみ・・・大学1年生。この春、臨玲高校を卒業した。前文芸部部長。昨年夏に後輩のつかさに告白した。
新城つかさ・・・臨玲高校3年生。文芸部部長。
湯川
* * *
そして、翌日。
授業を終えたつかさが我が家を訪問した。
今後のことについての打ち合わせをするためだ。
「遺言書の検認期日まであと半月ほどですね。それまでにいろいろと準備をしておきましょう」
「つかさはまだ未成年だし、駆け落ちは早いんじゃないかなあ……」
「大丈夫です。18歳で成人なんですから、もうすぐですよ」
昨日から何十回目かのやり取りをする。
彼女が非常に乗り気なので、わたしの説得は効果がない。
つかさが言ったように、間もなくお祖母様の遺言書の内容が親族に明らかにされる。
お祖母様はわたしを可愛がってくれていたので、わたし個人宛にある程度の財産を遺してくれているだろうというのがつかさの読みだ。
一応わたしは法律上成人と扱われるので、その遺産を使って駆け落ちをするという。
「つかさは大学受験だってあるし……」
「大丈夫ですよ。勉強はしっかりやりますから」と笑顔を見せたつかさは「先輩ももう一度受験をして入り直すのはどうですか? 本命の大学に」と良いアイディアだと誇らしげな顔で言った。
駆け落ちは魅力的な提案だが、現実はそんな簡単にできるものではないと思う。
つかさに負担を掛けず、なおかつ彼女との関係を維持していくためにはわたしが両親を説得するしかない。
そんなことができるとは思えないと少し前なら投げ出していただろう。
それでも駆け落ちよりは成功率が高いのではないか。
それに、曲がりなりにもわたしはつかさの先輩だ。
先輩として意地は見せないと、つかさに見捨てられてしまうかもしれない。
受験勉強ももういいかなと思うし……。
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