第303話 令和4年2月2日(水)「生徒会室の光景」岡本真澄

 真新しい白い壁に囲まれた殺風景な部屋。

 生徒会室はキーボードを叩く音しか聞こえない。

 ここは生徒があまり来ない学園の敷地の外れにあり、更に新館は防音や機密性に優れている。

 仕事をするにはうってつけの部屋だ。


 生徒会長補佐の私は1ヶ月後に迫った卒業式の準備に追われている。

 日野会長が始めた臨玲高校の改革は詳細なロードマップが用意されており入院中も滞りなく計画を推進しているが、卒業式に関しては特に変更がないので私に指揮を委ねられていた。

 私としては残り少なくなった生徒会活動。

 会長不在を感じさせないような運営をしようと気を引き締めているところだった。


「紫苑」


 私が会長の席でノートパソコンを使って作業していると、その先、部屋の中央の大きなテーブルに向かい合って座っている日々木さんが初瀬さんに呼び掛けた。

 日々木さんも私と同じようにノートパソコンを開いて、ゴールデンウィークに行われる鎌倉市内の三つの女子高による合同イベント――『鎌倉女子高フェス』についての実務を行っていた。

 私はそちらにはあまり関わっていないが、臨玲で開催されるイベントはプロの業者に大部分を委託するようだ。

 以前、生徒の関与が少な過ぎるのではないかと会長に尋ねたら「紫苑が出演する以上、最高の舞台を用意しないといけないから」と返答された。


 スマートフォンから顔を上げた初瀬さんはただそこにいるだけでオーラを感じてしまう存在だ。

 数年前に公開された映画で脚光を浴び、いまや押しも押されもしない大スター。

 特に若者から圧倒的な支持を集めている。

 彼女が入学しただけで臨玲高校の人気は急上昇した。

 入学志願者も増大し、今年はかなり狭き門になっている。


「何?」


「もう少しクラスメイトと仲良くできないの?」


 棘のある口調で指摘した日々木さんは臨玲を人気校に変えたもうひとりの立役者だ。

 見た目は幼いものの、透き通ったように白くきめ細かな肌、腰まで届くカールした赤みがかった長髪、精巧なお人形のような長い睫毛や吸い込まれそうな鳶色の瞳。

 マスクで顔半分が隠れていてもハッとするほど美しい少女。

 しかし、彼女の長所は容姿だけでなく類い希なファッションデザイナーとしての才能にあった。

 入学前から考えていたそうだが、それまでダサいと切り捨てられていた臨玲の制服を誰もが憧れるものへと一新したのだ。

 それだけのクリエイティビティに溢れていながら人当たりが良く、常に笑みを湛えている。

 そんな彼女が最近苛立ちを隠せないでいた。


「何をいまさら」と初瀬さんが吐き捨てるように答えると、「もう1年生もあとちょっとじゃない。最後くらいは……」と眉根を寄せて日々木さんが問い詰めた。


「必要ない」


「今日だって教室ではひと言も発していないじゃない。いつも『話し掛けるな』って態度だから周りの空気も悪くなるの」


「それが”初瀬紫苑”なの」


 映画女優の初瀬紫苑は反抗的ではないが『媚びない』『群れない』というイメージで売り出している。

 生徒会室では彼女の素の部分を見せることもあるが、普段はクラスメイトの前でも一貫してこの態度を取り続けているらしい。

 常に注目を浴びているのだから大変だと思う。

 ただ教室でもずっとこの姿勢だと反発なども出て来るかもしれない。

 いまのところは日野さんや日々木さんが同じクラスなのでフォローをしているのだろうが……。


「2年でも可恋や陽稲と同じクラスになるんでしょ?」


「習熟度別クラスの例外としてね。紫苑を野放しにはできないから……」


 日々木さんが来年度のクラス替えの情報を得ていても驚きはしない。

 日野さん、日々木さん、初瀬さんの3人は理事長から入学を請われた生徒であり、特別扱いされている。

 臨玲はもともと上流階級出身者が別格の待遇を受けることが多く、前総理大臣の娘である芳場前生徒会長もかなりの特権を有していた。

 周りはこの3人なら当然だと見なすだろうが、悪い印象を与え続けると不満の声に転じるリスクもありそうだ。


「可恋と面会できないから、ずっと生理中みたいにイライラしているね、陽稲は」


 図星を指された日々木さんの目つきが険しくなる。

 一方、指摘した初瀬さんは目元を緩めたが、「紫苑のために言ってあげているのよ。『ハリウッドを目指す』なんて口先だけじゃない! 人間関係にしても英語にしても他人任せで通用するの?」という鋭い叫び声に表情が凍りついた。


「行くよ。演技力は磨いているし、英語もレッスンを受けている。人間関係は……そこは可恋を口説いてカバーしてもらうから……」


 さすがは若手ナンバーワン女優。

 すぐに動揺を隠し自信に満ち溢れた声と態度で反論した。


「可恋に頼ったって無駄だから」とこちらも自信満々で告げた日々木さんは『演技力があってもハリウッドで通用するとは限らない。しっかりした英語を身につけることが最優先じゃないの?』と流暢な英語で問い掛けた。


 発音がとても美しく、聞き取りやすい。

 使われた単語も平易だったので不意を突かれても私には理解できた。

 だが、初瀬さんには聞き取れなかったようだ。


「高1なら理解できるはずなんだけどね」と日々木さんが言うと、「忙しいのよ。レッスンは真面目に受けているんだけど……」と先ほどとは違って自信のない答えが返って来た。


「お母さんもオンラインの英会話のレッスンを受けているの。でも、予習復習にたっぷり時間を取らないと身につかないんだって」


 初瀬さんが押し黙ると、日々木さんは母親の努力を語り始めた。

 突然病に倒れ、入院したこと。

 退院後はリハビリをしながら新しいことへの挑戦を始めたこと。

 いまも在宅ワークのかたわら英語を身につけようとしていること。


「病気のせいでそれまでと同じような働き方はできなくなった。仕事に誇りを持っていたのに。だけど、これからの人生のために、自分をステップアップするために必死に英語を学んでいるの」


「凄いね」とそれまで黙っていた私もつい感想を漏らした。


 自分の母親を褒められたことに気を良くした日々木さんは苛立っていたことを忘れたかのように、「そうなんです! 最近はビジネス英語だとわたしよりも語彙が豊富なんですよ!」と誇らしげに胸を張る。

 私も英語には自信があり、TOEFL等の英語検定の話で盛り上がった。

 母親が受けるというので一緒に受けてみたら満足いく点数が取れなかったと彼女は話したが、検定用の勉強をしていないのにその点数なら十分だろうと思ってしまう。


「頭の作りが違うのだから、一緒にしないでくれる」


 唐突に初瀬さんが発言した。

 様々な負の感情がない交ぜになった声だ。

 普段は見せない内面をさらけ出すような目を日々木さんに向けていた。


「……可恋は」と日々木さんが真剣な顔つきで初瀬さんの方に向き直った。


「可恋は自分が天才じゃないと言っているよ。実際にもの凄く勉強しているから、あれほど凄いの。もちろん勉強の効率や集中力はとんでもないけど」


 日々木さんの声は初瀬さんとは対照的に感情のあまり籠もっていない淡々としたものだった。

 それでも人を突き動かすような何かが籠められていた。


「紫苑だって演技のことはもの凄く時間を掛けて取り組んでいるじゃない。才能もあるんだろうけど、努力したからこそ花開いたものでしょう?」


 初瀬さんは表情を変えず黙ったままだ。

 射抜くような鋭い視線を日々木さんに送りながら彼女の言葉を一字一句聞き漏らさないよう集中しているように見えた。


「十分な時間と労力をつぎ込んで、それでもできなかったなら適性がないとかやり方が間違っているとか見直す必要が出て来るけど、いまの紫苑はそれ以前の問題じゃないの?」


 言葉は痛烈だが口調は優しかった。

 相手を包み込むような母性を感じる。


「社会を、仕事や責任を経験してきた紫苑がただの学生であるクラスメイトたちに未熟さや甘さを感じる気持ちは分かるつもり。わたしは可恋を通じて”覚悟”を知ったから。でも、紫苑だって演技のこと以外は”覚悟”が足りていないと思う。可恋はどんなことにも”覚悟”を持って挑んでいるから……」


 私は日野会長のことを日々木さんや初瀬さんほど詳しくは知らない。

 それでも会長が生き急いでいるのじゃないかと思うほど何ごとにも懸命に取り組んでいることは側で見てきた。

 その峻烈な生き方は尊敬に値する。

 真似はできないけれど、一歩でも近づきたい。

 そんな思いを胸に、私は会長補佐の仕事に戻った。




††††† 登場人物紹介 †††††


岡本真澄・・・臨玲高校2年生。生徒会長補佐。昨年度は副会長を務め、生徒会長選挙に立候補したものの投票間際に辞退した。副会長時代は前生徒会長に振り回されていた。現在は大量の仕事を水を得た魚のようにこなしている。


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。映画女優。若手のトップスターとして知られ、本人の夢はハリウッド進出。生徒会広報を務めている。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。ロシア系の血を引き、日本人離れをした容姿を持つ。語学も堪能で、現在はフランス語とロシア語を勉強中。ファッションデザイナーとして臨玲高校の制服をデザインした。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。現在入院中。NPO法人代表や臨玲高校理事を務めるが闘病のため休職している。先天的に免疫系の働きに難があり、幼少期から入退院を繰り返していた。

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