第409話 令和4年5月19日(木)「可恋の決断」日々木陽稲

「私の一票がなかったせいで負けたなんて子々孫々の代まで言われ続けられたら困るからね」


 悪戯っぽい表情でそう言った可恋は「だから、投票日には登校するよ」と言葉を続けた。

 昨年11月の始めから登校していなかったので、およそ6ヶ月半振りということになる。

 しかし、わたしの顔に浮かんだのは喜びよりも心配だった。


「大丈夫なの?」


「当日の体調を見てみないとだけど、最近は比較的コンディションも安定しているしね」


 元々、ゴールデンウィーク明けには登校を再開したいと可恋は話していた。

 その希望には2週間ほど遅れることとなったが、想定の範囲内ではあるのだろう。


「それに、ほら、岡本先輩にご挨拶しておきたいから」


 可恋は真面目な顔つきになって言葉を添えた。

 おそらくこれが登校する最大の要因だろう。

 現生徒会は新しい生徒会長が決まれば速やかに引き継ぎを行い解散する。

 3年生になった岡本先輩はもう生徒会には残らない。

 1年では副会長を務め、2年では会長補佐、そして可恋が入院してからは会長代行の要職を担った。

 先輩がいなければわたしだけではやっていけなかっただろう。

 どんな仕事でも着実にこなし、黙々とやり遂げてみせる凄い人だ。

 芳場前生徒会長に1年仕えただけでもなかなかできることではないと可恋も称賛していた。


「問題は、私が登校を再開したら直接会って話がしたいと言い出す御仁が相当いることね」と可恋は顔をしかめる。


 右手の指を1本1本折り、次いでそれが左手になり、両方が拳になったところで今度は指を立てていく。

 可恋はオンラインや電話、メールで十分と日頃から口にしているものの、相手が同じ考えという訳ではない。

 これを機に面会攻勢が続きそうだ。


「まあ仕方ないか。若松さんや紫苑にも会ったし。ここに押しかけられるよりはマシだと思うことにしましょう」


 可恋が挙げた名前は、臨玲高校主幹の北条さんや各理事、ほかにも仕事関係で桜庭さんや醍醐さんなどわたしとも繋がりのあるものもあった。

 その一部でもわたしが肩代わりしてあげられたらいいのだけれど、残念ながらいまのわたしでは力になれない。


「私ではファッションのデザインなんてできない。ひぃなにはひぃなの強みがちゃんとあるんだから、そんな顔しなくていいよ。それにビジネスの勉強はこれからもしっかりやってもらうしね」


 わたしの気持ちが顔に出たのだろう、それを読んで可恋が先回りして言った。

 確かに落ち込んでも仕方がない。

 いまは生徒会長選挙が迫っているのだから、まずは自分がやるべきことをしっかりやらなくては。


「選挙運動も明日で最後か……」


 土日も臨玲のアプリ内で動画を公開することはできるが、それも事前に収録して内容を明日までに確認してもらわなければならない。

 従って事実上選挙運動は明日までだ。

 インターネットや電話を使った個別へのアピールは可能だが、やはり直接会うほどの効果は見込めない。


「選挙当日は特別授業として投票を行い、放課後には結果が判明する。選挙管理委員会を北条さんが指揮するって話だから問題は起きないでしょうね」と可恋が当日の段取りを口にした。


 立候補者であるわたしはこの辺りはノータッチだ。

 もちろん当日のタイムスケジュールは頭に入れている。


「可恋なら電子投票にすると思っていたのに」


「効率だけならそうしたよ。集計する必要もないしね。だけど3年生の中には既に有権者になっている人もいるし、夏には参議院選挙が控えている。一度でも体験しておけば行きやすくなるでしょ」


 今回は市の選挙管理委員会の協力を得て、本物の投票箱が設置される。

 開票作業も市の職員が実際に行い、その様子を全校生徒向けに配信するそうだ。

 特別授業では選挙に関する事を学んでから投票するという、本物の選挙の予行演習が体験できる。


「政治参加という意味では生徒全員に立候補する体験もして欲しいところだけど、さすがに難しいよね」


 可恋が言うように立候補したことは得がたい経験だ。

 昨年は可恋が立候補したのをいちばん近くで見ていた。

 しかし、自分が立候補すると想定外のこともたくさん出て来て驚きの連続だった。


「立候補しないと分からないことはあるよね。追っかけする人や告白してくる人がいたりと……」


「それはひぃなだけでしょ」


「そう? 藤井さんのところも候補者と支援者との距離感が難しいって言っていたよ」


「親身に話を聞いてもらったら、この人とは特別な関係にあるのではと勘違いしてしまう人も出て来るみたいね。現実の選挙では女性候補者にとっての大きな悩みの種になっているし」


「あー……」


 小学生時代、わたしがちょっと親しげに接すると好意と錯覚して態度を変える子どもがたくさんいた。

 男女問わずにだ。

 逆に、「あの子とは仲良くするのにあたしとは仲良くしてくれないの」と詰め寄られることもあった。

 当時は互いに幼かった。

 わたしは純ちゃんを除いて周囲とは一定の距離を置くようになり、分け隔てなく接するように心掛けた。

 中学や高校ではみんな大人になったからこういう問題は起きないと思っていたが……。


「私がひぃなの後ろにいるから寄って来ないのよ」


 わたしが不思議がっていると可恋はひと言で正解を示した。

 さらに、「新入生は私のことを知らないから、ひぃなに近寄ってくるのよ」と分析を披露する。

 中学や高校で”魔王”と呼ばれることを気にも留めない、それどころか自ら噂が広まるのに手を貸していたのはこういうことか。

 そして、可恋は”魔王”という称号に相応しい笑みを浮かべた。


「そろそろ1年生にも叩き込んであげないとね」


 もしかして可恋が登校を決めた理由って……。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。間もなく行われる生徒会長選挙に立候補した。ロシア系の血を引き、幼少期から妖精や天使に喩えられる美しさを誇った。


日野可恋・・・臨玲高校2年生。生徒会長。NPO法人代表、臨玲高校理事、プライベートカンパニーの経営など学業以外も精力的に活動している。

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令和な日々 女子高生編 ひろ津 @hirotsu_hibi

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