第286話 令和4年1月16日(日)「仲間」日々木華菜
机の上を整理整頓し、いつもは参考書や問題集を広げている場所にスマートフォンを置く。
勉強の邪魔にならないよう普段は時間制限を設けて使っているが、今日だけはそのマイルールはお休みだ。
『とりあえず、お疲れ様』
ビデオチャットに繋ぐとすぐにゆえから声を掛けられた。
わたしは苦笑を浮かべつつ『ありがとう』と応じる。
『テストの出来についていろいろ言いたいこともあるけど、終わったことだから次に向けて頑張るよ!』
今日で大学入学共通テストが終わった。
昨年の受験生も大変だったと思うが、今年の受験生も大変だったと思う。
わたしにとって大学入試はこれからが本番だけど、今日はゆえたちがわたしを励ましてくれるというのでそれに乗った。
本当はファミレスかどこかで集まり顔を合わせる予定だったが、新型コロナウィルスの新規感染者数の急増でオンラインでということになってしまった。
『昨日の英語、やってみたよ』と言ったのはハツミだ。
『ハツミなら余裕でしょ?』と指摘すると『まあね』と自信満々な答えが返ってきた。
ほかの人の前なら謙遜するだろうが、このメンバーの前なら彼女は本性を出す。
英語に苦手意識があったのにそれを並々ならぬ努力で乗り越えたのだから、それを誇りに思うのは当然だ。
『英語だけでいいなら東大だって入れるかも』と話すハツミに、ゆえも『それならわたしだって』と続く。
『そうなるとネイティヴでも解けないような難易度の問題が出るようになるよね』と冷静に指摘したのはアケミだ。
わたしは『英語だけでいいならどれほど楽か』と溜息を吐き、共通テストとは無縁の三人の顔を見た。
ゆえとハツミは以前はAO入試と呼ばれていた総合型選抜ですでに合格を決めている。
ふたりはわたしよりも成績が良いし、かなり早い段階から準備を始めていた。
わたしは決断できずに迷っていたのでこうして一般選抜での入学を目指すことになったのだ。
『ホント、カナを尊敬するよ』とゆえが笑う。
ゆえには受験に関してアドバイスをたくさんしてもらったのに、わたしはそれを生かせなかった。
調理師の専門学校に心惹かれることもあったし、高卒でお店に入って修業することも考えた。
大学で栄養学を学んでからでも遅くないと言われたが、遠回りになるような気もした。
歳下の可恋ちゃんや妹のヒナは高校生ながら起業している。
ふたりは特別な存在だ。
それが分かっていてもこれから4年間親の臑をかじっていて良いのかと思ったこともあった。
『悩んだことは無駄にはならないんじゃないかな。いまはそう思う』とわたしを助けるようにアケミが呟いた。
成績優秀な彼女は地元金融機関への就職をすんなり決めた。
大学進学を諦めざるを得なくなり大変な時期もあったが、吹っ切れてからは資格取得に励んだりしていた。
いまも将来の大学進学を視野に入れているようだ。
『コツコツ頑張るのはカナらしいよ。勉強したことも無駄にはならないんじゃないかな』とゆえもフォローしてくれる。
ハツミは『カナは凄く才能あるのに自己評価が低すぎなんだよね。日本人らしいと言えばらしいけど』と帰国子女らしい評価を下す。
ゆえが『ハツミは自分が世界一の美女だと思っているもんな』とからかうと、『陽稲ちゃんには負けるよ』とハツミは胸を張って答えた。
『でも、上には上がいるから……』とわたしが弱気を見せると『上がいたっていいじゃない』とゆえが言い切った。
『わたしも可恋ちゃんに会うまで井の中の蛙だった。頭をぶん殴られたような衝撃を受けたけど、そのお蔭で成長できたと思う。カナもこれから伸びていけば良いんだよ』
ゆえは人脈作りが趣味という変わった女子高生だ。
中学時代から多くの人と繋がりを持ち、そのネットワークの広さは彼女の自慢だった。
インフルエンサーとして誰もが一目置いていた。
しかし、可恋ちゃんに鼻をへし折られた。
ゆえが学生レベルだったのに対して、可恋ちゃんは大人のそれに近かった。
実務能力、判断力、予測力などそこらの大人以上で、中高生のうちにNPO法人の代表を務めたりプライベートカンパニーを経営したりしている。
ゆえの受けたショックは計り知れないが、彼女にとっての高校生活はそれを乗り越えるための3年間だったと言えるかもしれない。
『社会は「いちばん」だけで回っている訳じゃないし』とアケミが少し醒めた口調で言うと、『それでも「いちばん」になる気持ちは大事なんじゃない? 青くさいと言われようとその気持ちは持ち続けたいな』とハツミが反論する。
『カナとアケミは若さが足りないよね』とゆえが同調し、『カナの合格が決まったら若さを爆発させよう』と言い出した。
『バカやってネットで叩かれたら社会人になる前にクビになるから巻き込まないでね』
以前はこんな風にハッキリと思いを口にしなかったアケミが顔をしかめて言った。
この3年間は彼女にとって激動と言えるだろう。
おとなしく真面目な優等生がレイプまがいの体験や不登校などを経ていまに至る。
良くも悪くも変わらなければ乗り越えられない経験をして来たのだ。
『バカやるのはゆえ一人に任せて、私たちはそれを見て思い出に刻もう』
ハツミが美しい顔を歪ませてケタケタ笑っている。
初めて会った頃は孤高を気取る存在だった。
美しさに磨きが掛かった一方、わたしたちの前では素の表情を見せてくれる。
『カナは一緒にやってくれるよね?』
少女っぽさが抜け、すっかり大人の顔立ちになったゆえがわたしに笑顔を向ける。
わたしが勉強漬けでしばらく顔を合わせていなかったせいか、目を瞠る変貌に気づく。
ひたすら目の前の受験に集中していたが、それは卒業という事実から目を背けたかったからかもしれない。
既に卒業後の進路が決まった3人はどんな思いなのだろう。
そんなことを考えながら、『羽目を外さない程度で何か思い出に残ることはしたいよね』とわたしらしい発言をした。
ちょっとしんみりした空気が流れたあと、ゆえが『何か考えてみる』と告げる。
コロナ禍で思い出作りさえ簡単にできない状況だが、ゆえならきっといいアイディアを出してくれるだろう。
これから受験の本番に向かうわたしは『任せる』とスマートフォンに向かって右手を突き出す。
ゆえも手を伸ばして『任される』とわたしの思いを受け取ってくれた。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木華菜・・・高校3年生。小学生の頃から妹のために料理を作り、料理好きな両親の影響もあってその後も腕を磨いた。料理に関しては研究熱心で、家庭料理からプロ顔負けの本格的なものまでレパートリーも広い。
野上
久保初美・・・高校3年生。帰国子女。アメリカ在住だったが英語は苦手でコンプレックスを抱いていた。それを克服したことは彼女の自信に繋がった。
矢野朱美・・・高校3年生。大学進学が家庭の事情により叶わなくなり、荒んだり、華菜たちと距離を置いたりする時期もあった。最近は取り繕わなくて済むこの関係を有り難く思うようになった。
日々木陽稲・・・高校1年生。華菜の妹。いまも天使のような外見をしていて華菜は溺愛している。
日野可恋・・・高校1年生。陽稲の親友。現在入院中。受験生の華菜には病名は知らされていない。
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