第86話 令和3年6月30日(水)「不快」森薗十織

「嫌よ。なんでそんなことしなきゃいけないの」


 わたしは顔を上げて西口にそう言ってやった。

 だが、彼女は動揺することなく、「大丈夫よ。森薗さんには頼んでいないから」と澄まし顔で答えた。


 梅雨が不快指数を上げるのはジメジメとした暑さのせいだけではない。

 毎朝まとまらない髪型に悪戦苦闘し、重い傘を持って歩かねばならず、しかもそれをしょっちゅう忘れたりする。

 さっさと夏休みに入れと言いたくなるが、1学期はなかなかしぶとくて簡単に終わりを告げてくれない。


 それはともかく、いまわたしの不快指数を激上げしているのは梅雨ではなく西口だ。

 この偉そうな顔をしたクラス委員長は休み時間にわたしと蘭花のもとにトコトコとやって来てある頼み事をした。


「染井さんはどうかな?」


「日々木さんのためなら頑張る……」


「蘭花! 試験前だっていうのにやけに余裕ね」


 わたしが嫌みったらしく言うと、「そういう訳じゃないよ……」と蘭花は蚊の鳴くような声で口答えをした。

 そこに出しゃばりな委員長が「染井さんはあなたより勉強ができるから」と皮肉を言った上で、「大丈夫よ。できるだけ勉強の支障にならないようにするから」と蘭花に微笑んだ。


「昨日空き教室を借りて勉強会をしたけど、香椎さんの教え方が凄く上手かったの。あなたたちも来た方が良いよ」


「香椎?」とわたしは疑問を口にする。


 西口は呆れた顔になったが、蘭花は「ほら、園田さんとよく一緒にいる人」と説明した。

 わたしは園田の方に視線を向け、「そういえばそんな人もいたね」と応じた。


「クラスメイトの顔と名前くらい覚えなさいよ」


「なんで?」と西口の言葉に素で反応すると、彼女はこめかみに青筋を立てて「藤井さんの次はあなたをどうにかしてもらわないと」と吐き捨てる。


 西口が持ちかけた頼み事というのはその藤井に関係することだった。

 クラスの嫌われ者である彼女を更正させる。

 お節介にもほどがあると思うが、蘭花のように力を貸したいという物好きが結構いるようだ。


「何よ。あんなのと一緒にしないでくれる」


「空気を読まない発言を人の目を気にせずに口にするかどうかの違いだけで、考えていることは似たり寄ったりなんじゃないの」


「べ、別にそんなことないよ」と反論するが、西口は疑わしげな視線を向けた。


 仕方なく、「そんなことないよね、蘭花」と助けを求める。

 蘭花は気まずそうな表情のまま固まっている。

 これでは西口の肩を持っているようではないか。


「蘭花はわたしの友だちだよね?」


「うん」


「西口よりわたしの味方だよね?」


「……」


 黙り込んだ蘭花に「あんまり染井さんを困らせない」と西口が助け船を出した。

 わたしは眉間に皺を寄せて「あんたには関係ないでしょ」と吠えたが、「いま名前を出したよね?」と彼女は自分を指差した。


「だいたい友だちだからこそ、間違っていたら直そうとするものなんじゃないの」


「わたしは間違っていない」と答えたが、西口は「あなただって染井さんの世話を焼いているじゃない。大半がありがた迷惑って感じだけど」と余計な言葉までつけて補足する。


 蘭花がすぐさま「ありがたいと思っているよ」と言ったので、わたしはほら見ろと西口を見返した。

 しかし、西口は「だったら何でも言いなりになるんじゃなくて、駄目な時は駄目とハッキリ言いなさい。それが友だちってものでしょう?」と諭すように蘭花に言葉を投げ掛けた。


「余計なお世話よ! 何様のつもりなの!」


 わたしは立ち上がり、大声を出した。

 教室中の視線が集まったが、頭に血がのぼりまったく気にならない。


 西口はわたしの剣幕にまったく怯まず、「友だちのことが大事ならもっと大切にしなさいよ。あなたたちを見ているとイライラするの」と怒りをこらえるような声で話す。

 その瞳の色は複雑で、単に怒っているだけではないようだ。

 言葉を失ったわたしに「十織ちゃん」と蘭花が呼び掛けた。


 ハッとして蘭花の方を向くと、「ありがとうね、十織ちゃん」と彼女は微笑む。

 わたしは全身の力が抜けたようにドサッと椅子に腰を下ろした。


 西口はわたしたちのそんな様子を眺めたあと、ひとつ息を吐く。

 そして、「みんな日々木さんのためならって協力を申し出てくれる。それだけ人を惹きつける魅力があるのね。それに比べて……」と彼女は寂しそうに呟いた。

 比較の対象がわたしのことだと思い、「何よ」と尖った声を出すと、「学級委員として頑張ってきたつもりだけど、自分が不甲斐ないよ……」と西口は言葉を続ける。


「西口でもそんなこと思うのね」と鼻で笑うと、「駄目だよ、十織ちゃん」と蘭花が止めた。


 わたしが蘭花を睨みつけても、いつもはオドオドと目を逸らす彼女が見つめ返して来た。

 その真っ直ぐな眼差しにわたしはたじろぐ。


「友だちのことをそんな風に言っちゃ駄目だと思うの」


「西口は友だちじゃないよ」


「十織ちゃん!」


 これまで聞いたことがないくらいの大声を蘭花が出した。

 先ほどに続く騒ぎに再び教室中の注目が集まる。

 それに気づいた蘭花は背中を丸めて身を隠すように小さくなる。

 それでも悲しそうな視線をわたしに向け続けた。


「染井さん、もういいよ。彼女がお子様だと分かっているから本音を口にできるんだから」


 西口が割って入る。

 そもそもの原因は彼女なのに何という言い草だ。

 ぶち切れたいところだが、わたしだってさすがにそれが駄目ってことくらい分かる。

 だから、口の中で「何がお子様よ。自分たちの方がガキじゃない。わたしなんてネットで……」とぶつぶつ言うだけにとどめた。


「西口さんが頑張っていることはみんな見ていると思う」


 蘭花の言葉に感極まった顔つきで西口は「ありがとう」と答える。

 わたしの「みんなウザがっているだけなんじゃないの」という呟きが少し大きくて西口から敵意を向けられたがいつものことだ。


「期末では負けないから」


 元気を取り戻した西口が自信ありげにそう宣言した。

 わたしも負けじと「わたしが勝つわ。そして、ひざまずかせてあげる」と口角を上げる。

 ホッとしたような顔で見ていた蘭花が、何かを思いついたように胸元で手を合わせた。


「3人の中であたしの成績がいちばん良かったら、十織ちゃんと西口さんのふたりには親友になってもらうね」




††††† 登場人物紹介 †††††


森薗もりぞの十織とおる・・・臨玲高校1年生。私立中学受験に全落ちした経験を持つ。学力自体は平均レベルだが……。


染井そめい蘭花らんか・・・臨玲高校1年生。私立中学に通っていたが友人関係の問題で外部の高校受験を選択した。


西口凛・・・臨玲高校1年生。自ら立候補して学級委員になった。公立中学出身。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。誰もを魅了する容姿に加えて巧みなコミュニケーション能力を持つ。


藤井菜月・・・臨玲高校1年生。尊大な発言によりクラスメイトから嫌われている。陽稲がそれを改善しようと動き始め、ほかの生徒も協力し始めた。


香椎いぶき・・・臨玲高校1年生。学業優秀だが偏差値のあまり高くない臨玲でクラストップはおろか上位5人に入れずに衝撃を受けた。ちなみにその上位5人はクラスだけでなく学年でもトップファイブだった。

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