第195話 令和3年10月17日(日)「演技力」古和田万里愛
「どうしてうまくできないの……」
菜月が苦痛に満ちた表情で呻く。
頭脳明晰、運動神経抜群、類い希なる美貌の持ち主で、大手IT企業の創業家のご令嬢。
非の打ちどころがない才色兼備で、あらゆることを軽々とこなすというイメージしかなかった。
自負心の強さが高飛車な発言に繋がり、周りとのコミュニケーションがうまく取れないという欠点はあるが、これは意識の高さの違いと言えなくもない。
やろうとさえ思えばなんでもできるんじゃないかと思われた彼女が初めて見せた壁にぶち当たった姿だった。
「菜月は目標が高すぎるんじゃないかな。高校の文化祭で演じる分にはこれだけできれば良いんじゃない?」
「そうそう。わたしもまだ完全に覚え切っていないし、たいていの子は落語以前の棒読みになると思うよ」
紅美子に続いてわたしも励ましの言葉を投げ掛ける。
休日に彼女の家まで呼ばれたのは臨玲祭で発表する落語の練習のためだ。
わたしたちは生徒会を手伝ったのでクラスの方は裏方の仕事が免除されているが、舞台には全員が上がることになったのでこうして練習を繰り返している。
「自分が納得できなければ意味がないのよ!」
いつになく強い語気で菜月が叫ぶ。
さらにプライドが傷つけられたという顔つきで、「それに慰めは不要よ。万里愛は私より上手いのだから堂々としていればいいのよ」とこちらに射すくめるような視線を送った。
確かにわたしの発言は余計だっただろう。
彼女は見掛けによらず才能に頼るのではなく努力を積み重ねていくタイプだ。
他人と比べることもほとんどない。
常にトップであろうと懸命に励み続けるのが彼女の本質だ。
「ごめん」と素直に謝ると、「分かれば良いのよ」と菜月は笑みを浮かべる。
この素敵な笑顔をもっと人前で見せれば誤解されずに済むのに。
でも、友人の特権でわたしたちだけが見られることに優越感もあった。
「万里愛にこんな才能があったなんてビックリだよね」と紅美子が感心した声を上げる。
「妹に絵本を読んでいた経験が活きているのかも」とわたしが答えると、「私にも妹がいればよかった……」と菜月が真面目な顔で言った。
本気なのか冗談なのか判別できずにわたしは紅美子と顔を見合わせる。
妹がいれば落語の腕が上がるという訳でもなかろうが、人当たりはもう少し柔らかくなっていたかもしれない。
「万里愛の妹、可愛いからもらおうかな」
「ダメよ!
わたしが目の色を変えると、菜月は真顔のまま「冗談よ」と返す。
どうやら先ほどのも冗談だったらしい。
「でも、2、3日借りたいよねー。落語が上手くなるかどうかは分からないけど、猫なで声とかは上手くなりそう」と紅美子が笑う。
「だったら……」と言い掛けてわたしは口を閉ざす。
保育士にでもなればと言おうと思ったのだが、菜月ならやりかねない。
彼女は昨日プロの落語家を家に招いて稽古をつけてもらったと話していた。
保育士を体験することくらい彼女の力を持ってすれば容易いのではないか。
……小さな子どもに囲まれる菜月の姿も見てみたいけど。
菜月がどんな顔で子どもと接するのか想像がつかなくてクスッと笑っていると、菜月と紅美子が訝しんでわたしを見ていた。
慌てて「ごめん、ごめん」と手を合わせ、わたしは「真剣に対策を考えよう」と話題を切り換える。
そもそも菜月に演技力がないという訳ではない。
プロの女優である初瀬さんには劣るものの、普通の高校生レベルは優に超えるものは持っていると思う。
短編映画でも初瀬さんから及第点を得ていた。
あれはセリフがなかったが、通常の朗読なら菜月は感情を込めて上手に読むこともできる。
ただ落語だと求められる演技が違いすぎる。
庶民的な親しみやすさや笑わせるためのボケなんて菜月からもっとも縁遠いものだ。
「別に落語じゃなくてもいいんだよね」と言ったのは紅美子だ。
「そうだけど、初瀬さんならともかく何もしないと間が持たないよね」とわたしが応じる。
あの人の存在感はやはり特別で、普通の人には真似ができそうにない。
日々木さんならニコニコ笑っているだけで5分くらい観客の目を引きつけられるだろうが、同じ美少女でも菜月の場合は和やかさとは無縁なのでこの方法が通用するとは思えなかった。
「創作落語を作るとか?」
「いまからじゃ時間的に無理なんじゃない」
「落語以外で何かする?」
歌うのはほかのクラスの出し物とかぶるという理由で禁じられている。
激しい動作も舞台が壊れる恐れがあるのでダメだ。
基本的に話芸となると既にネタが存在する落語一択となってしまう。
「何かあるかなあ……。般若心経でも唱える?」
菜月なら簡単にやってのけられそうだが、この美少女が無表情で淡々とお経を唱える姿というのは恐ろしいものがある。
怖いもの見たさという気もしなくはないが……。
紅美子とわたしのやり取りをジッと聞いていた菜月は「ネタを替えることはしないわ」と言い切った。
逃げる気がないとその声から察せられた。
「プロに見てもらっても上手くいかないのに、わたしたちじゃ……」とわたしが弱気を見せると、「簡単に諦めちゃダメ。美璃愛ちゃんが懸かっていると思って知恵を振り絞るのよ」と紅美子が煽る。
いろいろとツッコミを入れたかったが、ここはスルーをした。
話が変な方向に行くと本当に最愛の妹を賭けの対象にされかねない。
美璃愛はわたしのものだと心の中で叫びながら腕組みをして考え込む。
「演技の問題なのだから、その道のプロである初瀬さんに聞いてみたら?」
菜月が教えを請うた落語家さんは高名だが男性で年配の人だったそうだ。
いまの彼女の問題は、同世代で同性の初瀬さんの方が理解してもらえるんじゃないか。
わたしがそう説明すると、菜月は黙ったまま眉間に皺を寄せた。
一見拒絶しているようだが、彼女は嫌なら嫌とハッキリ口にする。
この表情は「嫌だけどほかに方法がないか」くらいの感じだろう。
「初瀬さんに聞くこと自体が難題なんじゃない?」という紅美子に「生徒会の伝手を頼るしかないよね」とわたしは答える。
短編映画に協力したという貸しをチャラにされるだろうが、出し惜しみしても仕方がない。
美璃愛を守るためなのだから全力を尽くさないと。
††††† 登場人物紹介 †††††
藤井菜月・・・臨玲高校1年生。日本を代表するような大手IT企業の創業家一族。努力すれば成功に至るという家訓に強く影響を受け、ひたすら努力を続ける美少女。一方で努力が足りない人を見下す傾向にある。
光橋
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。若い世代に圧倒的人気を得ている映画女優。カリスマ的な魅力が武器。
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。万里愛たちのクラスメイト。生徒会副会長。日本人離れをした美少女として校内で有名。
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