第140話 令和3年8月23日(月)「過去と未来」古和田万里愛

 きらびやかで色とりどりのドレスが目に鮮やかだ。

 戦前をイメージしたと聞いていたのでもっと地味なものが多いと思っていたが、モダンで洗練されたものばかりだった。

 流行を追って似たような色合いになりやすい現代よりも個性豊かにさえ見える。


 夏休み前に見学した時の旧館は物置になっていた。

 時代がかった雰囲気はあったものの長居はしたくない場所だった。

 それが綺麗に改修され、映画の撮影用に飾り立てられている。

 その豪華さはわたしが過去に出席したことがあるどのパーティーよりも勝っていた。


 昨日までリハーサルを繰り返し、いよいよ今日ダンスシーンの撮影を行う。

 撮影のためのスタッフだけでなく、スタイリストやメイクアップアーティストもプロが呼ばれている。

 さらには弦楽四重奏の生演奏まで準備されていた。

 いかに臨玲といえど学園祭の一出し物にどれだけお金を掛けるのかと呆れる思いだ。


 監督を務める初瀬さんはドレス姿ではなくなぜか黒ずくめの服装をしている。

 この映画のヒロインの日々木さんは喪服を連想させるレースの黒いドレスを着ていて華やかさには欠けた。

 その分、この場でもっとも輝きを放っていたのが菜月だった。

 彼女はヒロインの親友役であり、卒業生代表としてこのパーティーの顔となる役でもあった。

 そのためひときわ目立つ衣装を身に纏っている。

 身体のラインがくっきりと出た赤のドレスは着る者を選ぶが、菜月はそれを堂々と着こなしていた。


 最終リハーサルが終わった。

 素人に演技指導をしても意味はないという監督の意向で、ダンスシーンはほぼ一発撮りとなる。

 わたしはモブなので壁際に立っているだけだが、踊るシーンのある人たちは緊張感に包まれていた。

 そんな中、菜月はスポーツドリンクをラッパ飲みしたあとマスクを着けてわたしに声を掛けてきた。


「暑いわね」


「もともと冷房のない建物だからね。冷風を送る機械も使っているけど、換気優先だし」


 大広間の外から冷たい空気を送風しているが、換気のために窓が全開なのもあって焼け石に水といった印象だ。

 卒業パーティーという設定なのでドレスも夏用ではない。

 ほかはともかく暑さだけは勘弁して欲しい気持ちが強かった。


「初瀬さんは気合で汗を止めろって言うけど、そんなことできるのかしら」


「彼女くらいになるとできるんじゃない」とわたしと同じモブ役の紅美子くみこが答えると、本気にしたのか菜月は集中するような顔つきになった。


「ちょっと怖い顔になっているよ」とわたしは注意する。


 リハーサルで何度も注意されたことだ。

 菜月は整った顔立ちだが、その分キツい表情に見られることが多い。

 時に厳しい言葉を吐くことがあるので、余計にそういう印象を与えている。

 最初はそうした注意に反発していた菜月もわたしや紅美子がイメージの大切さを説くと次第に軟化した。

 とはいえこうした態度は無意識に出ることが多いので、改善への道のりはまだまだ遠そうだ。


 菜月は努力家だし根は良い子だ。

 それが伝わらず、陰で色々言われるのが辛かった。

 夏休み前には日々木さんらクラスメイトと互いに歩み寄ろうという試みがなされたが、目立った成果は上がっていない。

 その頃、わたしは同じクラスで茶道部所属の三浦さんにお願いしたことがあった。


「菜月の茶道部入部をもういちど考えてもらうってできないの?」


「入部の希望を本人が申請すれば改めて考慮することになりますよ。しかし、いまの彼女では認められると思いません」


「家柄の問題?」


 菜月は大手IT企業の創業家の一族で、資産だけならこのお嬢様学校でも指折りだ。

 しかし、新興の金持ちは茶道部では成金だと蔑まれるらしい。

 伝統のある家柄の子女だけが茶道部に相応しいという噂も聞く。

 現実に菜月は入部希望を却下された。


 三浦さんが何も答えないので、わたしは「菜月にはお手本になる人が必要だと思うの。わたしや紅美子には無理だけど、茶道部にならそういう人がいると思うし……」と理由を説明した。

 菜月は学年トップの成績を誇るが、本人曰く才能に恵まれたものではないそうだ。

 努力によって成し遂げたという自負があるため努力を惜しまない人に対しては厳しい態度を取ることが多い。

 まして自身の努力不足を他人に責任転嫁するような人に対しては軽侮の感情を隠そうとしない。

 オブラートに包むということができないほど純粋なのだろう。

 だが、それが菜月への評価を貶めることになるのは問題だった。

 態度を改めるのにわたしや紅美子では手本にならないが、才媛のお嬢様方が集う茶道部になら菜月の尊敬に値する人物がいるのではないか。


「本人が真摯にそれを望むなら考え直すかもしれません」と語った三浦さんは「ですが、思想的に難しいのではないでしょうか」と言葉を続けた。


「思想?」と予想外の言葉にわたしはオウム返しに尋ねる。


「藤井さんに限りませんが新自由主義的な考え方――つまり、成功は個人の努力によるものであり、成功しないのはその努力が足りないからだといった思想が世界的に広まっています。それが悪いとは言いませんが、茶道部の理念とは相容れません」


「それのどこが悪いの?」と聞き返すと彼女は「自分で調べてください」とニッコリ微笑み質問に答えようとしなかった。


「茶道部は県内の小中学校に出向いて茶道の普及と称してお菓子を配りまくっていたりもしていたんですよ。いまはそれができず、OGの方々からのクレーム対応がメインの仕事になっています。どちらも藤井さんには似つかわしくないでしょう?」


 今度はわたしが押し黙る。

 菜月のことばかり考えていて茶道部のことをろくに知ろうとしなかった。


「藤井さんには生徒会の方が合っているんじゃないですか。生徒会長がロールモデルに相応しいかどうかは分かりませんが」


 そして夏休みの終わり間際のいま、生徒会制作の短編映画の撮影が行われている。

 菜月はかなり大きな役を与えられたので、これを機に生徒会入りを目指すこともできるだろう。

 問題は菜月の意向だ。

 夏休み中に何度か尋ねたが、彼女には珍しく煮え切らない態度だった。


「あと5分で本番入ります!」


 スタッフの呼び掛けにわたしは菜月の顔を見た。

 緊張しているようには見えない。

 彼女ならきっと完璧に演じてみせるだろう。


「私は……」


 生徒会メンバーに視線を向けていた菜月が呟く。

 マスク越しで聞き取りづらいが、わたしは耳を澄ました。


「トップに立たなきゃいけないから」


 そう言った菜月はマスクを外し、毅然と顔を上げる。

 わたしは彼女の決意に雷に打たれたような衝撃を受けた。

 自分の胸に手を当て、「ついていくよ」と心の中で思いを言葉にする。

 その視線の先には舞台の中央に進み出る真っ赤なドレスの姿があった。




††††† 登場人物紹介 †††††


古和田こわだ万里愛まりあ・・・臨玲高校1年生。菜月の友人。かなり裕福な家で育つが茶道部入りを目指すほどではない。


藤井菜月・・・臨玲高校1年生。大手IT企業の創業家の一族。才色兼備だが周囲からは煙たがられている。


光橋紅美子くみこ・・・臨玲高校1年生。菜月の友人。


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。天下の映画女優。臨玲祭で公開するだけだった短編映画がどんどん大掛かりになっていった。初瀬紫苑監督作品としてウェブで公開予定。


三浦ゆめ・・・臨玲高校1年生。茶道部。幹部候補として期待されている。高級旅館の娘。

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