第374話 令和4年4月14日(木)「苦手」神瀬結

「お嬢様学校だっていうから、スマホより重いものを持ったことがないって感じのか弱い人ばかりかと思っていたら意外とそうでもないんだね」


 今日は新入生の体力測定が行われている。

 さすがにわたしや真樹を超える生徒は見当たらないが、お嬢様たちの身体能力の高さにはかなり驚いた。


「そりゃあね。小さい頃からバレエや乗馬、スイミングなど習い事を一通りマスターしていたりするから」


 そう自慢げに語ったのは結城主光スピカだ。

 彼女はお嬢様でありながら体育会系という変わり種であり、中学時代はテニスのトッププレイヤーとして全国に名が知られていたそうだ。


「スピカもそうだけど、スタイルが良い人が多いよね。お嬢様って」


 真樹が少し羨ましそうに語る。

 彼女も相当スタイルが良い方だが、体操服姿になると全身についた筋肉を隠せなくなる。

 制服を着ていてもゴツく見られるわたしからすればその筋肉こそ誇るべきだと思うが、年頃の女子としてはなかなか複雑なようだ。


「少しでも体型が崩れると自己管理ができていないって後ろ指をさされる世界だから。上流社会って」


「アイドルの世界もそういうところがあるもの……。どこも厳しいよね」と競泳選手としてオリンピックを目指しながらアイドルになることも目標にしている真樹がしみじみと零す。


「いや、オリンピック目指す方がもっと厳しいでしょ」とわたしがツッコミを入れると、「そんなことないよー」と彼女は笑顔を見せた。


 彼女は女子の平均身長よりはやや高いが、それでもトップスイマーの中では小柄らしい。

 それでいて同世代の中でトップを維持している。

 年齢別での世界大会も経験し、そこでも結果を残していると聞く。

 それを支えている彼女の練習量はわたしから見ても唖然とするほどのものだった。

 知り合って数日だが、臨玲に入学して良かったと思えるほどの刺激を彼女から受けている。


「競泳って食べることも仕事みたいなところがあるから、食事制限なんてできるかどうか……」


「あれだけ練習でカロリー消費していたら食べなきゃ身体が持たないよね」とわたしが相づちを打つと、「食事制限より無理して食べることの方が大変なんじゃないの?」とスピカが疑問を口にする。


「わたしはそういうところで悩んだことがないから恵まれているな」


 食事の内容について多少は意識しているが、これまでは親任せなところが大きかった。

 出された分はキチンと食べる。

 育ち盛りなので間食もそれなりにしていた。

 これからは独り暮らしなので栄養を考えつつ自炊をしっかりやるというのが当面の目標となっている。

 日野さんは料理の腕も優れているので、わたしも負けてはいられない。


「成長期のうちはそれでいいと思うけどね」とスピカがクラスメイトに視線を向け「お嬢様に限らず痩せすぎで心配になるような子が多いもの」と言葉を続けた。


「でもね、あのくらいの体型じゃないとオシャレな服がないのよ」


 真樹の声に切実さが籠もっている。

 さらに、心の底から絞り出すように「いままでにどれだけ悲しい思いをしてきたことか……」と愚痴を零す。


「海外のブランドならサイズが合うんじゃない?」とスピカは気軽にアドバイスを送るが、「可愛いものが着たいの!」と真樹は瞬時に反論した。


 入学してから本物のアイドルのように明るい姿勢を崩さなかった真樹がここまで深刻な顔をするなんて思いもよらなかった。

 それも競泳のことではなく可愛い服がないという理由で……。

 彼女は「それにうちはそこまで裕福じゃないし。スピカならオーダーメイドで注文できるんだろうけど……」と恨みがましい視線を送る。


 助け船を求めるようにスピカがこちらを向き、「結はどうなの?」と話を振る。

 しかし、助けようにもわたしはファッションのことはまったく分からない。

 日野さんと知り合うまでは着られれば何でも良いと本気で思っていたくらいだ。

 人と会うには少しは身だしなみにも気をつけなければならないと学んだが、ファッションの良し悪しなんてさっぱり分からない。


「わたしは……」と口を開いたわたしを真樹が鋭い視線で見つめる。


 下手なことを言って仲違いはしたくない。

 とはいえ気が利いたことは言えそうにない。

 困ったわたしは後ろ手に頭を掻きながら「あー、そういうことに疎いから、日々木先輩に相談してみたら?」と口に出した。

 わたしと真樹は昼休みに新館のジムを利用することから日々木先輩と昼食を共にしている。

 トレーニングの時間を確保するためゆっくりお喋りしながらとはいかないが、ちょっとした相談くらいならできるだろう。

 なんと言っても先輩は臨玲の制服をデザインしたファッションデザイナーなのだから、これほどうってつけの人物はいないのではないか。


 わたしの提案に真樹は腕を組んで考え込んでいる。

 一方、スピカは「日々木先輩か。羨ましいな。私も面識を得たいよ。良かったら紹介してくれないかい?」と期待を込めた目でこちらを見た。


「スピカって”愛でる会”なんでしょ? 抜け駆けしていいの?」


「人を出し抜いてこそ貴族だよ」とスピカは澄ました顔で言う。


 わたしが「スピカって貴族なの?」と問うと「そこは笑うところだよ」と彼女は苦笑した。

 分かりにくい冗談だ。

 ムッとしたのが伝わったのか、「悪い悪い。結にケンカを売るような命知らずじゃないから許してくれよ」と全然悪いと思っていない顔で彼女は謝った。


 スピカとそんなやり取りをしていると、しばらく俯いていた真樹が「今度、相談してみるよ」と顔を上げた。

 そして、にっこり微笑んで「それはそうと聞き捨てならないことを聞いたんだけど、結、疎いってどういうことよ」とわたしに迫ってきた。


 わたしがオロオロしていると、彼女は「これは教育が必要ね」と居丈高に言う。

 そこにスピカも「協力は惜しまないよ」と尻馬に乗ってくる。


「いや、ファッションのことはゆっくり時間を掛けて覚えればいいかなって……」


「ダメよ! 結は見せる競技なんでしょ? ファッションを学ぶことは一刻を争う必要があるんじゃない?」と真樹が言えば、「これを機に化粧も覚えた方がいいんじゃない?」とスピカも笑いながら追い討ちを掛ける。


 面白がっているだけだろというわたしの抗議も虚しく、一緒に買い物に行く約束をさせられた。

 母の買い物につき合わされた悪夢が蘇る。

 あの時に悟った。

 女の買い物は長いと……。




††††† 登場人物紹介 †††††


神瀬こうのせ結・・・臨玲高校1年生。空手・形の選手。中学3年生の時に全中で優勝した。空手で名門の大学付属校に通っていたが可恋を慕って外部進学した。


和泉真樹・・・臨玲高校1年生。競泳のトップスイマー。同時にアイドルも目指している。安藤純に憧れている。


結城主光スピカ・・・臨玲高校1年生。お嬢様の嗜みとしてテニスを始めたがそれにのめり込み全国レベルの選手となった。中学時代にアメリカ留学も視野に入れていたがコロナ禍により断念。


日野可恋・・・臨玲高校2年生。生徒会長。空手・形の選手だが冬に長期入院したことでまだ再開の目処は立っていない。


日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。可恋のパートナーにして純の幼なじみ。彼女自身の運動能力は皆無に等しい。幼少期からファッションデザイナーを目指し、現在はその第一歩を踏み出したところ。

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