第375話 令和4年4月15日(金)「望み」天音万葉
放課後。
講堂に行くと、そこには入学式の時になかったランウェイが設置されていた。
それだけでちょっとしたコンサート会場っぽさがある。
近づけば、金属で組まれたそれはかなり本格的なものだと分かる。
さすがお金持ちが通う学校だけあるということか。
私が東京に来てひと月足らずが経過する。
正確には神奈川だが田舎者の私からすればこの辺の都会はみんな東京といった感じだ。
過去にも何度か東京に来たことがあり、その都度驚くことがあった。
特に人の多さはいまだに慣れない。
一方で、暮らし始めて気づいたことも多い。
コンビニがたくさんあったり、交通機関が網の目のように張り巡らされていたり、街中を歩いているだけで特別な世界に来たかのように感じたり。
その代わり、挨拶がなくて人と人との距離が遠く、どこか冷たい空気もあった。
都会を歩く人たちは厚い鎧を身に纏い、周囲の人たちを敵だと認識しているのではないか。
「1年生のモデル役はこちらに集まってください!」
講堂内にばらけていた20人ほどの生徒に声が掛かる。
呼び掛けた当人は私と同じクラスの原田さんで、彼女は目印になるよう右手を高く掲げていた。
私を含む半数ほどが彼女の元にゆっくりと近づいていく。
大きな声ではなかったのに非常によく通る声だった。
隅の方にいた人たちにもちゃんと聞こえたようだ。
私は児童劇団にいたので他人の発声が気になる。
彼女の声には意外と力があり、女優として舞台に立たせてみたいとふと思った。
集合した人たちを見回してから原田さんは「順番に歩行を見せてください」とお願いをした。
今日ここに呼ばれたのはゴールデンウィークに開催されるファッションショーのモデル役だ。
どういう基準で選考されたかは知らないが、身長や体格はバラエティに富んでいる。
容姿も平均以上であることは間違いないものの、ほかにも選ばれておかしくない生徒はいるので単に綺麗な順という訳ではなさそうだった。
原田さんは手元のタブレットを見てから「
五十音順だとトップバッターを務めることが多いので気にも留めなかったが、「はい」と言って彼女の目を見るとそれ以外の理由があるのではないかと感じた。
「ここから10メートルほど向こうに歩いて、振り返って戻って来てください」
彼女の指示を聞き、改めて「はい」と頷く。
呼吸を整え、テレビで見たことがあるモデルの歩き方を思い浮かべる。
そのイメージをしっかり頭の中に作り上げてから私は原田さんの前に向かう。
そして彼女に背を向け、モデルの歩行を再現する。
恥ずかしいという気持ちはない。
子役として人前で演じることに慣れていた。
ましていまは女優の卵だ。
このくらいできなくてどうする。
自然に歩くのとは違い、顎を引き若干胸を反らす感じで姿勢を保つ。
足下を意識せず視線を上げる。
左右にぶれないようバランスに気をつけ、固くなり過ぎずそれでいて緊張感を維持しながら前に進む。
ターンは堂々と。
大女優になったくらいの気持ちで優雅に振り向き、原田さんの顔を視野に入れながら帰ってくる。
「さすがですね。照れもないし、フォームも見事です」
笑みを浮かべて絶賛してくれた彼女は、しかし、「足の出し方についてなんですが……」と指摘も忘れない。
これが曖昧な要求であれば素人に何が分かると反発するところだったが、彼女の言葉は具体的ですぐに修正可能なものだった。
「もう一度、行ってもいい?」と聞くと、「ええ、どうぞ」と彼女は承諾する。
私は目を閉じ、イメージを是正する。
そして、身体をどう動かせばいいか脳内でしっかりと組み上げる。
その間、1分にも満たないが歩くだけならこれで十分だ。
再び彼女に背を向けて、私はモデルになりきった。
「合格です」とニッコリ微笑んだ彼女は「合格した方は帰ってもいいですよ」とほかの人にも聞こえるように話す。
「隣りで見ていていい?」
正直なところ高校で行われるファッションショーに期待なんてしていなかった。
所属事務所から言われていなければモデル役なんか引き受けなかっただろう。
確かに事務所の先輩である初瀬紫苑さんが出演するので注目は集まっている。
しかし、視聴者が興味を持っているのは彼女だけであって、ほかのモデルのことは眼中にないだろう。
だが、この原田というクラスメイトには興味を惹かれた。
少なくとも教室の中ではほとんど目立たない生徒だった。
外見は地味だし、才能やオーラといったものも感じない。
そんな彼女がファッションショーのプロデューサーに任命されたと聞いて驚いたのは私だけではなかった。
生徒会長や副会長と同じ中学の出身だから依怙贔屓されているという噂がすぐさま駆け巡った。
だからいまも彼女を値踏みするような視線が集まっている。
隣りに立つことで、その中に嫉妬や敵意といった負の感情が交じっていることにハッキリ気づく。
私にとっては馴染みのものだ。
地元にいた頃はよく浴びせられた。
称賛や羨望が大量に注がれる中に一定の毒が混じるのは避けられない。
テレビに出演したり、イベントに呼ばれたりと私はちょっとした有名人だったのだ。
周囲には
この調子で東京でもスターになれると思い上がったこともある。
現実は甘くなかったけれども。
最初の東京進出はまったく相手にされず、諦めかけていたところいまの所属事務所から声が掛かった。
子役時代の演技を認められてのもので、これまでの過去を忘れ東京で一からスタートを切る覚悟が必要だと言われた。
ここでは私のことを知る人などいない。
田舎でアイドルっぽい活動をして20歳くらいまで過ごすという選択肢もあった。
その後、結婚して子どもを産んで「お母さん、若い頃は結構有名だったのよ」と自慢する、そんな未来図が思い浮かぶ。
それも悪くはないのかもしれない。
しかし、このまま田舎でひっそりと暮らし続けるのかと思うと耐えられなかった。
地元の人たちはそれが幸せだと疑わないが、スポットライトを浴びないような生活が幸せだとどうしても思えないのだ。
私は主役でありたい。
主役であり続けたい。
東京に行けば一時的に脇役になってしまうと分かっていても、ここなら主役に返り咲くチャンスはきっと訪れるはずだ。
そんなもの思いに耽っていると、原田さんから「悪い! 天音さん、もう一度お手本を見せてもらっていい?」と頼み込まれた。
私の次に指導をしている和泉さんに見せるためのようだ。
面倒という気持ちも湧いたが、私は笑顔を作って「1回だけですよ」と釘を刺しつつ彼女の頼みをきく。
「素晴らしいお手本ですから、ほかの人たちもよく目に焼き付けておいてください」
原田さんの言葉に先ほどよりも熱を帯びた視線が増える。
これが欲しかった。
いまはまだこの程度で満足するしかないが、いつか必ず私は……。
††††† 登場人物紹介 †††††
原田朱雀・・・臨玲高校1年生。中学時代の経験を買われて、3校合同フェスで開催されるファッションショーのプロデューサーに抜擢された。
和泉真樹・・・臨玲高校1年生。一流の競泳選手だがアイドルも目指している。
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