第315話 令和4年2月14日(月)「バレンタインチョコ」初瀬紫苑

「チョコはNGなの」


 そう冷たく言い放つとたいていの生徒はすごすごと立ち去る。

 ファンは減るかもしれないが愛想が良い”初瀬紫苑”など見せたくない。

 私の態度に怯みながらも「ファンレターだけでも受け取ってください」だとか「一緒に写真を撮らせてください」なんて言ってくる人もいた。

 中には先輩風を吹かせたり、生意気だという感情を顔に出したりする者もちらほら見受けられた。

 それらを凍てつく視線で黙らせる。


「休み時間はどこかに避難した方が良かったんじゃない?」


「それをすると机の上にチョコが山積みになってたと思う。いまだって……」と私は顔をしかめながら陽稲に答えた。


 いまは昼休みだ。

 いつものように新館の生徒会室に来ている。

 他人にジロジロ見られながら食事をしたくないので、迷ったがここで昼食を摂ることにした。


「手作りだけでなく市販品も食べずに処分することになるから」と理由を説明すると陽稲は複雑な表情を浮かべた。


 もったいないとは思うがひとりでもヤバい奴がいればアウトだ。

 大量に送られてくるプレゼントをいちいち確認する手間も掛かる。

 私の公式サイトには大きく食べ物は受け取らないと書いてあるが、守られていないのが現実だ。


「でも、臨玲の生徒なら身元も確かだし……」と陽稲が反論する。


「顔と名前を知っている程度じゃ相手の心の内までは分からないしね」


「それは紫苑がみんなとの間に壁を作っているからじゃない」


「とにかく、一般人と馴れ合う気は無いの。それより、陽稲も気をつけなさいよ」


 最近彼女はクラスメイトを仲良くしろといった要求をしてくるので閉口している。

 可恋や陽稲のようにつき合うメリットがある相手ならいざ知らず、ただの高校生と交流したところで得られるものはほとんどない。

 そう説明しても陽稲は納得しない。


 知り合った当初は陽稲のことを可恋のおまけのように思っていた。

 才気の塊のような可恋に対し、陽稲は容姿しか取り柄がないように見えた。

 可恋の後ろで一歩引いている姿が目立っていたからだ。

 しかし、デザイナーとして周りから高い評価を受けると私と可恋の間にズカズカと入ってくるようになった。

 私が彼女の力量を認めたということが大きかったのだろう。

 それまでだったら彼女が何を言っても真剣に取り合わなかったと思う。

 私の認識の変化を感じ取り、それに合わせて態度を変えることが彼女なりの処世術なのかもしれない。


「事務所経由で送られてくる分は事務所が対応してくれるけど、それ以外は自分でしっかり管理しないと。事務所の先輩としての忠告よ」


 臨玲祭で発表した短編映画が年末にインターネット上でも公開された。

 私が監督したということで話題になり、再生回数はかなりのものになっている。

 当然、主演した陽稲も脚光を浴びた。

 この精巧に作られた人形のような顔が憂いから歓喜へと移り変わる様は多くの視聴者に感銘を与えたようだ。

 監督の狙い通りに。


 メディアからの問い合わせも殺到した。

 事前に予想できたことだったので、可恋は陽稲をうちの事務所に入れるという手を打っていた。

 芸能活動は行わないが、ファッションデザイナーとして今後メディアに出る時に備えたものでもある。

 事務所の社長は可恋を非常に高く買っているようで、将来副社長待遇で迎え入れられないかと漏らしていた。

 私としてはハリウッド進出の折に可恋の力を必要としているので事務所に獲られるのはマズいと思っている。

 あるいは事務所に所属したままハリウッドに行くという選択肢が生まれると歓迎した方がいいのか……。


「わたしだって気をつけてはいるよ。それに悪意が向けられているかどうかには敏感な方だし」


 そう語る陽稲の笑みは哀しげだった。

 私は中学2年の時に映画でブレイクを果たした。

 それまでとは周囲の反応が一変し、否が応でも他人の視線を気にしなければならなくなった。

 一方、陽稲は生まれた時からこの容姿で周りの視線を集めたそうだ。

 写真を見せてもらったが、赤ん坊の頃でさえ明らかに際立っていた。

 単に外国人っぽいだけでなく、全体のバランスが普通の赤子と違うのだ。

 髪、肌、顔立ちなど人目を惹く要素が盛りだくさんで、常に注目の的だった。

 それだけに彼女の家族は用心深く育ててきたらしい。


 ひとりでコンビニに行ったことがないと聞いた時はさすがに驚いた。

 私は有名になってからも時々ひとりで街をぶらつくことがある。

 事務所からは注意されるが、やはりいつも誰かと一緒だと息苦しくなる。


「両親やお姉ちゃん、純ちゃん、可恋。みんなが大切に守ってくれるからそれを裏切っちゃダメだと思っているの」と彼女は話していた。


 これだけ目立てば嫌なこともあったはずだ。

 私は自分の意志で女優の道を選んだから蔭で罵詈雑言を吐かれても気にしないように努めている。

 そういう言葉に取り乱さないのが”初瀬紫苑”だと自分に言い聞かせながら。

 人間だからそれを目にすると何日も気に病むこともある。

 それでも、私は前を向く。

 私が生きる世界はここだけなのだから。


 陽稲の目立つ外見は彼女が望んだものではない。

 だが、美しいからツライなんて口にすればそれこそ叩かれてしまうだろう。


「他人からは恵まれているように見えても、苦労は人それぞれだしな」


 私が独り言めいた口調で零すと、陽稲も「そうだね」と頷いた。

 ウザいと感じることがあっても、こうして彼女と話をするのは世間では共感してもらえない思いを抱いているからかもしれない。


「でもね、紫苑が見下している臨玲の生徒の中にも同じような思いをしている人はいると思うのよ」


「そうかもね。だけど、だからといっていまの状況を変えようとは思わない」


 私の言葉に陽稲はやれやれといった感じで肩を落とす。

 たとえ孤立しようとも私は”初瀬紫苑”であり続ける。

 誰から何を言われようとも。


「……紫苑は自信に満ちているように見せているけど、いつかポッキリ折れそうで怖い。ほんの少しでいいから余裕があればって思う」


 陽稲はこちらを見ることなく自分の気持ちを吐露した。

 私はいちど目を閉じる。

 そして、ゆっくりと瞼を上げると「これで、いいの」と告げた。

 私の望みはただひとつ、”初瀬紫苑”であり続けること。

 ほかには何もいらないのだから。




††††† 登場人物紹介 †††††


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。中学2年の冬に公開された映画『クリスマスの奇蹟』で大ブレイクを果たし、若者から圧倒的な支持を受ける映画女優となった。その後も映画一本で活動している。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。ロシア系の血を引く美少女。幼い頃から天使や妖精と言われ、いまもその外見を保っている。一方で、ファッションデザイナーになるために幼少期より努力を重ねてきた。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。広い視野を持ち非常に高い実務能力を有する生徒会長。NPO法人代表、臨玲高校理事、プライベートカンパニーを経営など多岐にわたる活動を行っていたが現在は長期入院中。

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