第131話 令和3年8月14日(土)「漣」田辺真夏
初めて会った頃はあたしもそう思っていた。
たぶん、ほかの子との違いなんてごくわずかだろう。
顔かたちや性格がひとりひとり異なっていても若者とひとくくりにされるように、よっぽど抜きん出た才能がない限り「普通」のひと言で片づけられてしまう。
あたしは「普通」と思われるのが嫌だった。
だから地方の私立中学という平穏な世界でほかの子と一緒にされないように頑張って生きてきた。
あたしのそんな考え方を理解してくれたのは漣だけだ。
みんな口では凄いと言ってくれても、心の中ではそんなに頑張らなくてもと思っているのが顔に出ていた。
漣は「普通」の中にある良さを見つけたいと言っていた。
「普通から抜け出したいという真夏の思いはよく分かるよ。でも、わたしにはできそうにない。それは悔しいことだけど、わたしにしかできないことはきっとあると思うの。普通でも、普通だからこそ見出せるものが」
そんな考えがあるとは思いもよらなかった。
ただ上だけを見ていたあたしは彼女の言葉で広く周りを見られるようになったと思う。
世界が広がったような気分だった。
それから漣はあたしの特別になった。
あたしたちが通っていたのは中高一貫校だったので、漣とは6年間一緒にいられると信じて疑わなかった。
しかし、彼女は家の都合で鎌倉に引っ越すことになってしまった。
彼女もかなり迷ったようだ。
浜松にいる親戚宅から通学することも考えたらしい。
最後は家族とともに暮らすことを決断した。
あたしはそんな彼女を見守ることしかできなかった。
ここにいて欲しいという思いを口にすることなく漣を見送った。
「漣!」「真夏!」
あたしたちは桜の木の下で抱き合ってワンワン泣いた。
悲しくて、切なくて、やり切れない思い。
それでも、その時はまだ彼女を失うことの大きさに気づいていなかったと思う。
心に空いた穴は思いのほか大きかった。
彼女は筆まめでよく手紙を送ってくれたし、LINEなどで頻繁に近況を報告してくれた。
会えなくても寂しさは紛れるはずだった。
彼女は引っ越し先で目まぐるしい日々を送っている。
お嬢様学校のきらびやかさ、特別な人たちとの出逢い、都会の香り、別世界のような日常。
そんな刺激的な報告を聞きながら自分の身を翻るとショックを受けた。
漣がいなくなったことを除くと変わり映えしない生活があと3年も続くのだ。
彼女と一緒ならこの穏やかな普通の学校生活の中に楽しみを見出せただろう。
なのに、わたしはここに取り残され、彼女だけが新しい世界へ旅立ってしまった。
荒み気味だったあたしはクラスでもトラブルに遭い、学校に行くのが嫌になった。
この状況から救い出してくれるのは漣しかいない。
そう思うようになり、彼女を追って鎌倉まで行きたいと思うようにさえなった。
無理だと理解していても、願望だけは募っていった。
そんな時だ。
漣から友だちが恋人宣言をしたと聞いたのは。
しかも女同士で。
またしても目の前に光が差したように感じた。
あたしはその瞬間から漣が浜松に来るのを首を長くして待った。
「真夏、くっつき過ぎじゃない?」
「恋人同士なら当然でしょ」とあたしはさらに力を込めて漣の柔らかな身体を抱き締める。
中学時代の友だち大勢の前であたしは漣に告白し、彼女はそれを受け入れた。
晴れて恋人同士になったのだ。
「暑いって……」と漣は身をよじる。
「今日は涼しいじゃない。むしろ寒いくらいだから、こうして温め合わないと」
台風の影響で今日は雨が降っている。
気温も真夏とは思えないほど低いままだ。
抱き合うのに都合が良い天気だと言えた。
外を出歩けないのは残念だが、今日は朝からあたしのベッドの上でこうして会話を重ねている。
「誰かに見られたら……」
「大丈夫だって。女の子同士ならじゃれ合っているようにしか見えないから。それとも、見られちゃマズいこと、する?」
あたしが息の届く距離から漣の顔をのぞき込むと、彼女は顔を紅潮させて「なに言っているのよ」と首を振った。
焦った表情が可愛くて、ついからかいたくなってしまう。
「漣の友だちはもっと凄いことしていたんでしょ?」
「それはそうだけど……」
「あたしは漣となら良いよ。初めての経験」と冗談めかして言うと、彼女は何とも言えない顔になり、「ごめん、いまはまだ……」と顔を伏せた。
「ごめん、ごめん。漣が嫌なことは絶対にしないから」とあたしは彼女の頭を撫でて慰める。
ちょっとやり過ぎだったか。
彼女が浜松にいる間に既成事実を作っておきたいという思いが気を急かしているのかもしれない。
「でもさ。漣、もうすぐ鎌倉に戻ってしまうじゃない。次にいつ会えるか分からないから心配なんだよ」
あたしは率直に自分の思いを伝える。
これまで手紙やSNSで彼女の思いを知ることは多かったが、あたしから知らせる努力は欠いていた気がする。
「漣なら大丈夫だと思うけど、向こうで彼氏とか彼女とかできたらって考えると死にたくなっちゃうくらいだし」
漣の良さを分かっているのはあたしだけだと信じている。
とはいえ変な虫がつかないとは限らない。
簡単に会える距離ではないだけに守ってあげることもできない。
LINEで繋がるといっても1日の中のほんのわずかな時間だけだ。
「真夏……」と漣が顔を上げた。
「漣がいないと生きていけないの」とあたしはその頬に自分の頬を擦り寄せる。
時折強い雨音が部屋に轟く。
こんなことを言うと非難されるかもしれないけど、あたしは嵐や台風が来るとワクワクしてしまう。
そんな高揚感に包まれる中であたしは漣を押し倒した。
「一生、愛し続けるからね、漣」
††††† 登場人物紹介 †††††
田辺
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