第114話 令和3年7月28日(水)「対談」平岡薫
「私の友人が平岡先生のファンなんですよ」
にこやかな笑顔。
それは愛らしい少女のものだが、漆黒の瞳だけは心の深淵をのぞき込むかのように私を見据えていた。
初瀬紫苑。
いまやこの国で彼女を知らない人を探す方が難しいくらいの人気映画女優だ。
「ありがとうございます。そのご友人にもよろしくお伝えください」
なんとか余裕を見せつつ挨拶を交わす。
実際は明らかに気圧されていた。
人気作家などと持ち上げられていても、”本物”の前に出ると霞んでしまう。
この圧倒的な存在感の前でたじろがない人間がどれほどいることだろう。
撮影が終了したばかりの新作映画のプロモーションのために、原作者の私と主演女優の初瀬さんとの対談がいまから行われる。
このご時世オンラインで行われることが多い。
今回も一度はそのように決まっていたが、私が無理を言って直接面会することに変更してもらった。
東京都内のかなり有名なホテルの一室。
気後れするほど豪華な部屋に、彼女はまるで自分の部屋かのように悠然と寛いでいた。
彼女のマネージャーと私と一緒に来た編集者が丁寧に挨拶し、すぐさま対談の準備が始まる。
ふたりはカメラマンも兼ねていて、椅子に腰掛けた私に注文をつけてきた。
写真は苦手だ。
とはいえ自らが望んだことなので覚悟を決めるしかあるまい。
作り笑顔がふたりのカメラに収められていく。
「平岡先生の作品が映像化されるのはこれが2度目だとお伺いしました。これまであまり乗り気でなかった先生が代表作であるこの作品の映画化にゴーサインを出したのは、私の存在があってのことだとお聞きして大変光栄に思いました」
彼女の淀みない言葉を聞いて、頭の中でだけ一ヶ所訂正を入れる。
あまりではなく、死ぬほど乗り気ではなかった。
……黒歴史。
初めての映画化はまさにそう呼びたくなるようなものだった。
作家としてデビューをして間もない頃にその話は舞い込んできた。
私の処女作を映画化するという話だ。
もちろん、私は浮かれた。
商業デビューを飾ったとはいえまだまだ無名の私がこれで大手を振って作家と名乗れるのではないか。
これで世間から認められる。
担当の編集者を始め、家族や知り合いも諸手を挙げて喜んでくれた。
初めて自分の本が書店の棚に並んだのを見た時と同じくらい嬉しかった。
映画業界のことを何も知らない若造が口出しするのはおこがましいだろうと制作はすべて任せた。
だからその映画に初めて触れたのは関係者向けの試写会でだった。
それを見終わった私は立ち上がることができず、ただただ涙を流した。
……酷い。
自分の書いた作品は自分の赤子同然だ。
それがズタズタに蹂躙されていた。
そういう可能性があると頭の片隅では分かっていた。
それなのに自分の作品は大丈夫だと試写が始まる瞬間まで思い込んでいたのだ。
作った人への恨みではなく、私は自分の愚かしさを呪った。
ミステリの鍵は一般的にトリックや犯人当ての部分となる。
だが、私が重視したのは犯人の心理だった。
どうしてその罪を犯さなければならなかったのか。
なぜそのトリックをするに至ったのか。
その描写に心血を注いでいた。
映画にはそういったものはまったく反映されていなかった。
トリックも改変され、ミステリとしても成り立っていなかった。
それ以来、映像化の話はすべて断ってきた。
幸いミステリ作家としてはコンスタントに評価を受けられるようになり、出版社側からの映像化を求める声にも毅然とした対応ができた。
もう未来永劫自分の作品を映像化することはないと信じていた時期もあった。
「次原監督の熱意に負けたという側面もありますが、『クリスマスの奇蹟』を初めて見た時に
次原監督はテレビドラマで頭角を現した若手ディレクターだ。
彼女は私の熱烈なファンだと公言していて、ここ数年私の作品を忠実に映像化したいと口説いていた。
その熱意にほだされて、かなり気持ちは傾いていた。
それでも了承できなかったのは、彼女がキャスティングなどすべての権限を握るには至らなかったからだ。
最後のピースとなったのが初瀬紫苑がこの役を引き受けてくれるという知らせだった。
「私にとっても千里の役は挑戦でした」と初瀬さんは女優として真摯に語る。
監督を信用してはいたが、それでも不安は募った。
毎日でも撮影現場に足を運び、すべてを確認したかった。
今回映画化された作品は私の代表作であり、もっとも思い入れの強いものだ。
これが失敗に終わればもう二度と映像化をすることはない。
それどころか小説を書くことにも悪影響が出るかもしれない。
一方、前回の失敗以降私も映画業界のことを勉強した。
小説と映像では異なるセンスが求められることも理解したつもりだ。
結局は任せるしかない。
私にはそんなセンスはないし、共同作業をまとめる能力もない。
監督や脚本家とは事前に何度も何度も話し合った。
あとはもう彼女たちのものだ。
監督をクリエイターとして、人間として信頼するしかない。
「学生らしさが足りないからって監督は期末試験を受けてこいなんて言うんですよ」
高校生でもある彼女は撮影時のエピソードを披露する。
その不満そうな表情に「それは監督の親心なのでは」と私が応じると、「必要ありません。それに、そんなことをしなくても演技の修正はできます」とキッパリ言い切った。
私の隣りにいる編集者はハラハラした顔になっているが、彼女の背後に立ったままのマネージャーは慣れたものなのか平然としている。
監督批判とも取れる言葉を掘り下げずに、私は「千里についてはどう感じました?」とヒロインの印象について尋ねた。
小説のキャラクターは歳を取らないが役者は歳を取る。
初瀬さんを見て彼女にしかこのキャラクターを演じることはできないと直感したが、同時にタイムリミットがあることにも気がついた。
彼女が大人になって貫禄を増せばもう千里の役には合わなくなる。
いまだからこそうってつけなのだ。
少女特有の不安定さや攻撃性、気高さ、潔癖さなどが詰まった存在が千里だから。
「私なら」と言ってニヤリと笑った初瀬さんは「ネタバレになるので詳しくは言えませんが、私なら彼女を救ってみせますよ」と断言した。
カシャカシャカシャとシャッター音が鳴り響く。
いつの間にか私の側に来ていた彼女のマネージャーが担当女優のいまの表情を切り取るように撮影していた。
確かに、これぞ初瀬紫苑という顔だった。
ほかの誰にも真似できない挑発的でありながら魅惑的な面容。
この対談の表紙を飾るのに相応しそうだ。
彼女のこの全能感を若さの特権と言って片づけることもできるだろう。
だが、それだけではない深みのようなものを感じた。
いまの彼女ならすべてを敵に回しても立ち向かえるという確信を持っていそうだ。
「これまでの初瀬さんには若者らしい焦りや苛立ちを感じました。直接お目にかかったからなのか、いまの初瀬さんはより強固な自信をお持ちのように見えます。それは何に裏打ちされているのでしょうか?」
予定にない質問をしてしまった。
作家としての好奇心を押しとどめることができなかったのだ。
少女は鋭い眼光を私に向けた。
私はそれを受け止め、その奥にある彼女の心の動きをじっと観察する。
にらみ合う形になったので編集者はオロオロしているが、いまはそれに構っていられない。
「忌々しいことに、人は他人の影響を受けてしまうからだと思います」
その言葉とは裏腹に、面白がっているように私の目に映った。
孤高を気取る初瀬紫苑が他人の影響を受けていると認めることは忌々しくても、影響そのものは容認しているようだ。
「人との出逢いは大切ですね。映画化に踏み切ったのも次原監督との出逢いがあったからですし、素晴らしい映画になったのも多くの方々との出逢いがあったからでしょう」
本当は別の言葉を発したかったが、これでも大人の端くれなので空気を読んだ。
その後はファンからの質問に答える形式で会談は進み、当たり障りのない会話に終始する。
会談を終え出立の準備を始める初瀬さんに「貴女に影響を与えた人物について質問してもいいかしら?」と先ほど口にしなかった言葉を投げ掛ける。
彼女は予想していたのかわずかに目を細めただけで「秘密です」と即答した。
先に出て行くふたりを見送り、私は想像を巡らす。
初瀬紫苑と彼女を取り巻く人たちのことを。
創作意欲に駆られた私はメモを取ろうとしたが、「この部屋の延長料金は目玉が飛び出るほどですよ!」とのたまう編集者に引きずり出されてしまった。
ミステリ作家なんて少々売れても食っていくだけで精一杯だ。
この映画が大ヒットしてもそれが収入に直結する訳ではない。
既刊の売り上げアップには繋がるだろうが……。
結局ホテルのラウンジに行き、頭に浮かぶイメージを次々と書き記した。
料金は自腹だが、きっと次の作品に生かせるはずだ。
せめてここの料金分は生かさないと……。
††††† 登場人物紹介 †††††
平岡薫・・・ミステリ作家。ここ10年ほどのミステリ界をリードする存在だが、一般的知名度はそう高くない。
初瀬紫苑・・・演技力が売りの映画女優。高校1年生。今回の作品が本格デビュー後3作品目となる。これまでは若者向け映画だったので彼女にとっても大きな挑戦となる作品。
次原美知子・・・テレビ局に入社しドラマの撮影で頭角を現した。人気ドラマの映画化では監督の経験がある。平岡の熱烈なファンで以前からラブコールを送っていた。今回の企画には紫苑の事務所が深く関与している。
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