第27話 令和3年5月2日(日)「就職して1ヶ月」土方なつめ

 地元の桜はいまがちょうど満開だという。

 高校時代、ともにクロスカントリースキーに励んだ友人たちが集合し、淡いピンクに彩られた木々の下で映した画像を送ってくれた。


 東京に出て来て1ヶ月が経つ。

 このゴールデンウィークに帰省することも考えたが、緊急事態宣言が出た中では帰りづらかった。

 仲間たちに会いたいという気持ちは身を焦がすほど強かったけれど。


『少し休憩しましょう』


 モニター画面に映し出された上司がそう私に声を掛けた。

 今日は日曜日だが在宅ワーク中である。

 カレンダー通りに休むことも可能だったが、迷った末に仕事を入れてしまった。


 3つ歳下の上司はそれまでの厳しい表情を緩め、『仕事には慣れましたか?』と優しい口調でわたしに語り掛けた。

 彼女は高校に入学したばかりで、4月は学業を優先していた。

 こうしてじっくり話をする機会も約ひと月ぶりだ。

 私は『はい。会員の方たちとのやり取りは少しできるようになったと思います』と緊張の糸を張り詰めたまま答える。


 F-SASに寄せられる会員からの相談に対するオンライン対応が私の現在の業務だ。

 私が直接相談に答えるのではなく、マニュアル通りに返答したり、専門家を紹介したりといったことが基本となる。

 マニュアルにない相談には私が考えて回答することもあるが、いまのところほかの人にチェックを入れてもらってからアップしている。

 最近は修正を指示されることがなくなってきたので、研修期間は終わりに近づいたと言えるだろう。


 私の返答を聞いても上司の顔色は芳しくなかった。

 颯爽としたキャリアウーマンみたいな女性だが、いまは何か気掛かりなことがあるような表情をしている。

 もしかして、私、調子に乗ってた?

 できるようになったなんて思い上がりだったのかと不安になる。


『オンライン対応に関しては良い仕事をしていると聞きています。相談者に対して細やかな配慮ができる方だと。これからもそれを継続してください』


 F-SAS代表である彼女にそう言われ、私は胸をなで下ろした。

 しかし、その目元には憂慮の色が見え、不安はくすぶり続ける。

 しばらく顎に手を当て考えに沈んだあと、『少々お待ちください』と彼女はカメラの前から姿を消した。

 モニターには白い壁紙だけが映し出されている。


 社会人1年目――どころか1ヶ月目――の私からすれば周りはみんな大人で、教師と生徒という関係に近い。

 優しく接してもらっているものの、話していると息が詰まるような感覚があった。

 直接会っていれば次第に打ち解けることができただろう。

 残念ながらオンラインでのやり取りが多くて、いまだ画面の向こう側の人という意識が残っている。

 私はパソコンの横に置いていたペットボトルのミルクティーを口に含む。

 その甘さが私にリラックスした気分を与えてくれた。


 その時、モニター画面にひとりの少女が現れた。

 白人の子どもだ。

 その美しさに息を呑む。

 彼女はニッコリ微笑むと流暢な日本語で『こんにちは』と挨拶した。


『あ、こんにちは』と私は呆けた顔で応じる。


『臨玲高校1年の日々木陽稲です。よろしくお願いします』


 良く見れば幼い顔つきの中に知的な煌めきがあった。

 外国人のように見えたが、その話し方は上品ではあるものの普通の中高生に近い。


『え、あ……、F-SASの土方なつめです』


 しどろもどろになりながら私も自己紹介をする。

 彼女は優しげな笑みを浮かべたままだ。


『春から東京に来て独り暮らしをされていると聞きました。親元を離れると大変じゃありませんか?』


 突然始まった会話だが、彼女がとても親身に気遣うような態度なので私は素直に答えてしまう。

 掃除や洗濯は頑張っているが炊事が面倒でお弁当や出来合いのものを買ってしまうこと。

 父は「勘当だ」と言ったのに毎日のように心配するメールを送ってくること。

 憧れだった東京生活なのに、休みの日はだらだら寝て過ごしてしまうこと。

 始めは嬉しかった独り暮らしがだんだんと寂しく感じてしまうようになってきたこと。


 彼女は絶妙なタイミングで相づちを打ち、会話に飢えていた私の心情を巧みに刺激した。

 そう、私はこんな他愛のないお喋りがしたかったのだ。

 それまで自分で気づいていなかったことに気づかされた。


『一緒にクロカンをやっていた仲間たちともSNSでは繋がりがあるの。でも、彼女たちにも新しい生活があるし高校時代のように頻繁に連絡するのは迷惑かなって……』


 いつの間にかこの美少女に愚痴を聞いてもらっていた。

 彼女は嫌な顔ひとつ見せずに私の話につき合ってくれる。


『それに私が自分の我がままで東京に行くと決めた時に、彼女たちは背中を押してくれたの。だから、自分のダメな姿を見せたくなくて……』


 東京に出て1ヶ月。

 仕事以外で他人と話すことがまったくと言っていいほどなかった。

 地元は田舎なので近所に顔見知りが多かったし、挨拶や雑談をする相手には事欠かなかった。

 仕事の同僚は若い人でも20代半ばを過ぎているので、どのくらいの距離を取れば良いのかいまだに迷っている。

 イベント等をしていた頃は学生アルバイトを雇っていたらしいが、いまはイベントはすべてオンライン開催となってしまった。

 ひとりで上京して就職することの問題点がこんなところにもあったとはまったく想像していなかった。


『それは大変ですね』と同情してくれる少女に『だからゴールデンウィークもこうして仕事をして気を紛らわせている感じかな』と私は零してしまう。


 愛らしい笑みを絶やさず、寄り添うように彼女は『土方さんはお休みの日に何がしたいですか?』と問い掛けた。

 その言葉に私はF-SASの掲示板でもらった回答、「あなたは何がしたい?」を思い出した。


『お休みの間にしなければならないことや、しておきたいことはたくさんあるでしょう。ですが、どうしてもしたいこともあると思うんです。趣味であっても、遊びであっても、何か心からしたいことが。そういうものを持つことがより良い生活に繋がるのではないでしょうか』


 この幼く見える少女の背中から後光が差している気がした。

 代表といいこの少女といい、私の周りにいた高校生とは別の世界にいるようだ。


 掲示板の時は悩みに悩んで「東京に行きたい」という願望にたどり着いた。

 その結果、私はここにいる。

 次に私がしたいこと。

 そんなことも分からずに社会人をしているなんて、まだまだ私は一人前になれていないってことなのだろう。


『考えてみるよ』と返事をした私に、『元気が出たようで良かったです』と彼女は微笑んだ。


 自分では気がついていなかったが、元気がないように見えていたらしい。

 それで代表はこのような機会を作ってくれたのだろう。


『ありがとう。日々木さんもゴールデンウィークを楽しんでくださいね』と私がスッキリした顔で感謝の言葉を述べると、一瞬美少女の目が泳いだ。


 すぐに笑顔に戻ったからそれ以上追及しなかったものの、何かあったのだろうか。

 そんなことを思っていると、再びモニターに代表が現れた。

 お喋りに夢中になるあまり、それを代表が聞いているだろうという考えがすっかり頭から抜け落ちていた。


『いまの東京には土方さんのような悩みを抱えた人はたくさんいると思います』


 失言がなかったかビクビクしていた私に代表は事実を述べるように淡々と話す。

 言われてみれば、私の事情だけが特別ということはありえない。

 いまは人と人との接触が避けられているので尚更だ。


『そういう人たちを結び付けることができないか考えてみなさいってことでしょうか?』


 今日は代表に時間を割いてもらい、課題として与えられたマネジメントの勉強について進捗を報告していた。

 代表から教わったのは会社の中の人事といった枠組みの話ではなく、もっと大きな視点で捉えるようにということだった。


 代表は初めてニッコリと微笑んだ。

 そして、『孤独の問題について休み中に勉強をしたいのなら、いろいろと紹介しますよ』と聡明な彼女は私にマネジメントの本の山を渡した時と同じ顔をしたのだった。




††††† 登場人物紹介 †††††


土方なつめ・・・高卒でNPO法人F-SASに入ったばかり。高校時代はクロスカントリースキーの選手だった。目下、東京で独り暮らし中。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。中学生の時にNPO法人F-SASを創立し、共同代表を務めている。女子学生アスリート支援を目的としたNPOであり、現在はインターネットを中心に活動している。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。可恋と同居中の美少女。ロシア系の血を引き、日本人離れした容姿を持つ。可恋から与えられた課題クリアのためゴールデンウィークの予定は埋まっている。

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