第66話 令和3年6月10日(木)「手のひら返し」矢板薫子

 部活が終わって、わたしは勇気を出してみなと様に声を掛けた。

 同じ3年生の部長は丁寧な言葉遣いだが、どこかそら恐ろしいところがある。

 目の奥の冷徹さであるとか、相手を丸裸にするような眼光であるとか、敬愛していても彼女の前に立つと居竦むことがある。

 それに比べると湊様は穏やかな性格なので話し掛けやすい。


「あの……」


「どうしたの?」


「昨日、例会があったのですか?」


 部室棟最上階の奥の茶室で3年生の幹部だけが集まって話し合いを行うのはよくあることだ。

 だが、昨日は部活動が休みだったにもかかわらず何人かの1、2年生が部長たちに呼ばれたようだった。


「ちょっと聞きたいことがあって何人かに来てもらっただけだよ」


 湊様の声に動揺はまったくない。

 表情もいつものままだ。

 少なくともわたしには嘘をついているようには見えなかった。


「そうですか」と告げると先輩はニコリと微笑む。


「お手間を取らせてしまい申し訳ありません」と深々と一礼すると、「気にしなくていいよ」と言ってわたしの前から立ち去った。


 それでも彼女の言葉には疑念が残る。

 昨日の放課後、私と亜早子は学校に残っていた。

 今後について教室で語り合っていたのだ。

 秋に行われる臨玲祭のあと、わたしは部長の職を引き継ぐ予定となっている。

 まだ先の話ではあるが茶道部の部長という重責を全うするには相当の準備が必要だ。

 亜早子はクラブ連盟長として多忙なので、これからこの部を担っていくわたしたちは時間を大切に使いながら連携を取っていく必要があった。


 ……わたしたちのことを聞いて回っているのかな。


 その可能性は否定できないが、3年生たちならわたしたちに気づかれずにやりそうでもある。

 隠す気がないというのはどういうことだろう。

 わたしはそんなことを考えながら、自分が周囲から次期部長としてどう評価されているのか気にせずにはいられなかった。


 帰ろうとしたタイミングでスマートフォンに着信があった。

 今日は生徒会に参加している亜早子からだ。


『どうしたの?』


『大変よ!』と語る彼女の声には焦りの色が感じられた。


『部活、終わったけど』


『家まで送るから車の中で話そう』


『分かった』と答えたわたしは足早に階段を駆け下りた。


 亜早子の家の車が本館の玄関前に横付けになっている。

 黒塗りのセダンの前には亜早子がこちらを向いて立っていた。

 挨拶もそこそこに彼女は「乗って」と自分でドアを開けた。

 わたしが先に乗り込み、続いて亜早子が乗ってドアを閉める。

 普段見られない乱暴な行動に彼女の気持ちが表れているようだった。


 滑るように車が発進した。

 わたしは亜早子の顔だけを見ていた。


「昨日、理事長宛にOG会から要望書が届いたの」


 亜早子の発言にわたしははしたなくも思わず声を出してしまう。

 慌ててマスクの上から口を押さえ、小声で「内容は?」と尋ねた。

 亜早子は自分の鞄から何枚かの紙を取り出した。

 どうやら要望書のコピーのようだ。

 わたしはそれを受け取ると、書き込まれた小さな文字を丹念に読んでいった。


「昨日部長たちが1、2年生を何人か呼んで話をしていたの」


 読み終えたあとのわたしの言葉に今度は亜早子が驚く番だった。

 今日の部活に参加しなかった彼女にこの情報は届いていなかったみたいだ。


「湊様が認めたので間違いないよ。部長たちがOG会の動きを知らなかったはずはないよね」


「どういうことよ?」と亜早子は疑問形で問うが、彼女も分かったはずだ。


「部長たちは生徒会と距離を置くことを選んだのかもしれない」


 つい先日、部長は現在の生徒会長を尊敬するとまで言った。

 3年生が1年生を相手にそこまで言うのかと衝撃を受けたが、その舌の根も乾かないうちにもう裏切ろうとしている。

 亜早子とわたしを切り捨てて。


「……どうすればいいのよ」


 亜早子の呟きは車の流れ行く速さに逆らってわたしたちの間に漂っていた。

 そして、それはわたしの家にたどり着くまで消えることはなかった。


 帰宅するとゆっくり休む間もなく夕食の時間となった。

 母を待たせる訳にはいかないからだ。

 以前は毎日のように夜はパーティーに出席し、家で食事を摂ることは月に数回程度だった母が、いまは週の半分以上わたしと一緒に夕食の席に着く。

 わたしは急いで着替えを済ませると、ダイニングルームに向かった。


「ただいま戻りました」


「今日は加賀の娘に送ってもらったのね」


「はい」と返事をしてわたしは母の向かいに着席する。


 夕食の時間はほぼ母の独演会だ。

 お喋り好きでものの5分も黙っていることができない人だからだ。

 わたしは相づちを打ちながら話を聞く。

 ちゃんと聞いていないと母が怒るので席を立つまでは話を覚えている必要があった。


「ところで、最近のOG会はいかがですか?」


 話題が切れたタイミングでわたしは探りを入れる。

 母は臨玲高校の卒業生で、わたしが幼い頃から臨玲に入学させることを決めていた。

 OG会でも活躍しているようだ。

 わたしが茶道部の例会のメンバーになったときはわたしよりも喜んでいた。

 次期部長の話はまだしていないが、わたしが部長になればOG会で得意げに吹聴して回るだろう。


「そうね。この前の総会は参加者が少なかったけど、懐かしい人たちに会えて良かったわ」


 母は途切れることなく話しているのに食べるスピードはわたしと遜色がない。

 具体的なエピソードを感情表現たっぷりに話すので、わたしは笑みを浮かべて愛想たっぷりに聞き入る振りをした。


「あと、そうだわ。若竹クレアが帰国していたの」


「若竹様ですか」とわたしは初めて聞く名前を母に確認する。


「薫子は知らないわね。臨玲高校在学中にモデルとして活躍した子なの。テレビのCMにも出ていてかなり知名度があったのよ」


 母より2学年下だったそうで、いまの初瀬紫苑ほどではないもののかなり騒がれたらしい。

 彼女は二十歳を過ぎた頃に海外へ行き、それを期に芸能界から引退したと母は語った。


「九条さんと仲が良くて、当時の臨玲はふたりを中心に動いていたと言ってもいいくらいだったわ」


 ブランドもので身を飾り、ふたりは校内を闊歩していた。

 若竹さんは家格は高くないが、モデルということで特例として茶道部への入部を許された。

 バブルは弾けたあとだったが、豊かさの片鱗はまだ残っていたようだ。

 母は懐かしむように思い出話を次々と口にする。

 若竹さんが要望書に関与したかどうかは分からない。

 だが、かなり好き勝手な学生時代を過ごしていた九条様がいま厳しい校則を遵守するよう迫っていることにわだかまりを感じずにはいられなかった。


「お会いしてみたいですね」と話の流れでわたしは言ったが、母は本気にしたようで「クレアのことは一部の人しかまだ知らないようだけど、うちに呼んで帰国のお披露目をするというのも悪くないわね」と乗り気になった。


 わたしは自分の失言を悔やむ。

 こうなった母を止められる気はしない。

 ただ、わたしが茶道部で生き残るためにこの情報は重要かもしれない。

 問題はこれをどう扱うかだ。

 わたしひとりでは絶対に持て余す。

 食べ終えて急いで席を立つ母を眺めながら、わたしは誰に相談すべきか頭を悩ませていた。




††††† 登場人物紹介 †††††


矢板薫子・・・臨玲高校2年生。家格の高い生徒のみが入部を許される茶道部で例会のメンバーに選ばれている。次期部長と言われていたが……。


加賀亜早子・・・臨玲高校2年生。茶道部。生徒会・クラブ連盟長。部活改革に取り組むよう生徒会長から期待されている。


湯川みなと・・・臨玲高校3年生。茶道部。例会メンバー。


吉田ゆかり・・・臨玲高校3年生。茶道部部長。祖母は臨玲の理事。


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。同世代にカリスマ的人気を誇る映画女優。メディアへの露出が非常に少ないので多くのOGから自慢のために接触の機会を求められている。


九条山吹・・・この学校の理事でOG会会長である朝顔の娘。バツイチ。現在OG会の中心人物となっている。


若竹クレア・・・高校時代にJKモデルとして活躍した。長く海外で暮らしていたが最近帰国。

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