第63話 令和3年6月7日(月)「OG会」湯川湊
「いきなり動いてきたね」
朝方に降った雨はすぐに上がり、放課後のこの時間はすっかり晴れ渡っている。
陽差しが出るに従い気温もグングンと高くなった。
部室棟最上階奥にある小部屋、茶道部の中でも少人数しか入ることが許されていない茶室に私はいた。
この小部屋は空調が効いていて心地よい。
しかし、私たちが置かれた状況はそんなに安閑とはしていられないものだった。
「意外でしたね。時間の大切さを理解していない人たちですから我々が卒業するまで様子見を決め込むと思っていましたのに」
皮肉をたっぷり込めてゆかりが答える。
私たちが言及しているOG会のトップの人たちは時間にルーズだ。
他人を平気で待たせるし、話は長いし、本題から外れた内容を延々と喋り続けることもある。
あんな”おばさん”にだけはなりたくないと心から思う人たちだ。
「この前の総会で顔触れが少し変わったけど、切れるヤツが加わったのか?」
彼女もOG会を嫌っている。
茶道部の幹部はOG会と接する機会が多いためそうなるのは自然なことだった。
ゆかりは「確認が必要ですね」と答えたあと、「茶道部の次期部長を白紙に戻します」と私たちに宣言する。
現在、2年生の矢板薫子に対して次の部長だと伝えている。
それを白紙に戻すということは、彼女とクラブ連盟長に就任した加賀亜早子を茶道部から切り捨てる腹づもりなのだろう。
「はしごを外すのは可哀想じゃない?」と私が庇ってみても、ゆかりは「彼女が亜早子さんと親密な間柄になったのは計算外でした。自分のミスは自分で晴らします」とにべもない。
次期部長を打診するまで薫子と亜早子の仲はそれほど良いという感じではなかった。
薫子は亜早子を買っているようだが、3年生の評価は異なる。
最初から薫子を部長と考えていた。
彼女が優秀だからではない。
ゆかりを慕っていたので、使いやすい駒になると思ってのことだ。
だが、彼女は次期部長のプレッシャーを受けてゆかりではなく亜早子を頼るようになった。
さすがのゆかりも当てが外れたといったところだろう。
暁が「はしごを外されるのに気づけないヤツが悪い」と一刀両断したのでこの方針は確定した。
私も「誰にするつもりなの?」と異議を挟まずに話を進める。
岡本さんが茶道部に入っていれば間違いなく次期部長を任していたはずだ。
だが、彼女は生徒会を選んだ。
結局2年生は繋ぎとして1年生の育成に力を入れるということで話はまとまり、改めてOG会への対応を議題に挙げる。
「校則の強化及びその徹底。スマートフォンの校内持ち込み禁止。生徒会の権限剥奪。制服着用の義務化。違反者は退学処分にすること。ほかにもよくこんな細かいことまでって指摘もあるよね」
私はOG会から理事会宛てに出された要望書の内容を口にする。
まだ正式に公表されていないが、ゆかりの祖母が我が校の理事なので事前に入手した情報だ。
「いつの時代って感じだよな」と暁は嘆く。
「高階さんの騒動がありましたからね。理事会も無碍にはできないでしょう」
ゆかりの言うように今回の要望は高階さんの件を盾にしたものだ。
再発防止を兼ねてと言われれば撥ねつけられないだろう。
「高階さん相手に何の助けにもならなかった人たちが、彼女が消えた途端に動き出すとは浅ましいにもほどがあります」と珍しく感情を露わにしてゆかりは言葉を続けた。
「尊敬している生徒会長のピンチだぜ」
セーラー服の裾をかなりたくし上げて胡座を組む暁がからかう。
正座を崩さないゆかりはすぐさま反論する。
「尊敬はしていますよ。ですから、OG会相手にも頑張ってくれると信じています」
「うちらは高みの見物か」と暁は笑うが、「あの生徒会長がそれを許すはずがないよね」と私が口出しする。
「人となりを見るために茶会に招待しましたが、油断ならない人物だとはっきり分かりました。OG会を相手にしてもうまく御してしまうかもしれません。あの高階さんを追い込んだのですから」
ゆかりが生徒会長を高く評価していることは間違いない。
彼女にとって高階さんは本当に天敵のような存在だった。
ゆかりの持つ権力だけでは対峙できない相手であり、自分の身内を高階さんから守ることしか叶わなかった。
向こうも相当ゆかりのことを警戒していた。
日野さんのように不意を打てればチャンスはあったかもしれないが、ゆかりにはそのチャンスが訪れなかった。
「どちらにもつかずに日和見って感じか」と暁が言うと、ゆかりは「茶道部のためにベストを尽くすしかありませんね」とそれを認めた。
「しっかし、OG会は何が楽しくてこんなクソつまらない要求をしてくるのかね」
「山吹さんは暇なのですよ」とゆかりが暁の言葉に応じる。
その声は氷のように冷たい。
憎悪に近い感情が垣間見えた。
「お金はあっても権力はなく、臨玲のOGとして威張ることしかできない人なのでしょう」
ゆかりは茶道部OGを酷評した。
九条山吹氏はOG会会長で臨玲高校理事を務める九条朝顔氏の娘だ。
そして、いまの臨玲OG会でもっとも力を持った人物である。
バツイチで実家に出戻り、母親のサポートを務めていると言えば聞こえは良いがただのすねかじりと一部で揶揄されている。
また現理事長とは犬猿の仲としても有名だ。
「ゆかりも似たようなもんじゃねえか」
暁の発言にゆかりは呪い殺そうというくらい激しく睨みつける。
一方の暁はどこ吹く風とその視線を受け流している。
「ほんと、そうよね」と私が暁の肩を持つと、ゆかりは押し黙って視線を落とした。
ゆかりは資産家の娘だが女である以上本家を継ぐことはできない。
古い家柄なのでバリバリ働くことも許されていない。
おそらく結婚して家庭に入り、夫や子どもをサポートしていくことが求められる。
彼女もまた将来振るうことができる権力はOG会などごく一部となってしまうだろう。
私も環境は似たようなものだ。
違うのは、私は成人したら家を捨て日本を捨てるつもりでいることだ。
私はローティーンまで母とヨーロッパを転々として暮らしてきた。
母は子どものためと思って私を日本に帰したが、この牢獄のような世界で私は逃げ出すことだけを目標に生きてきた。
暁は私の同志だ。
彼女の家は寺だし、弟がいるので将来は普通に社会人として働くことになる。
家柄に縛られることもない。
彼女は私の逃走を助けてくれると言った。
ひとりでもやり遂げる覚悟ではあるが、彼女がいれば心強い。
「理事長がどう出るか見てみましょう。あと、OG会の意思決定に変化があったのかどうか調べておきます」
腹の中はぐつぐつ煮えたぎっていそうだが、それを完全に殺して穏やかな声でゆかりが今後について要点を述べる。
私たちの前でなければポーカーフェイスを保つ彼女も、それだけでは精神的な負担が大きいのかもしれない。
私と暁を排除することも可能なのに、自分にとって耳が痛い異論であっても聞く姿勢を崩そうとしない彼女の姿勢は素晴らしいと思う。
「そうだね。私は生徒会長の動向を見ておくよ」
生徒会の動きを知るのに亜早子だけでは心もとない。
私が自ら名乗りを上げ、ゆかりは「よろしくお願いします」とそれを承認した。
「俺はのんびり果報を寝て待つよ」と言った暁に、「暁は受験勉強でしょ!」「暁の仕事は勉強ですね」と私とゆかりが声を揃える。
1対2となった暁は「へい、へい」と形だけ肩をすくめてみせる。
いつもこれだからと私は溜息を吐き、素行に問題がある暁がOG会の要望通りの校則強化で退学にならないよう少しは頑張ろうと気合を入れた。
††††† 登場人物紹介 †††††
湯川
榎本
吉田ゆかり・・・臨玲高校3年生。茶道部部長。資産家の娘。祖母はこの高校の理事を務めている。
加賀亜早子・・・臨玲高校2年生。茶道部。クラブ連盟長。本人の自己評価ほど上級生の評価は高くない。
矢板薫子・・・臨玲高校2年生。茶道部。次期部長候補だった。おとなしめの性格。
岡本真澄・・・臨玲高校2年生。生徒会会長補佐。入学時に生徒会と茶道部の両方から誘われていた。首相の娘と繋がりを持てることやすぐに活躍できると考えて生徒会を選んだが……。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。高階を退学に追い込んだ。現在は様々な臨玲の改革を目論んでいる。
椚たえ子・・・臨玲高校理事長。母親の急逝に伴い理事長に就任したが学園長との権力闘争となり劣勢を強いられていた。学園長は排除したがその後も一枚岩とはいかず苦しい学校運営を行っている。
九条朝顔・・・臨玲高校理事。OG会会長。
九条山吹・・・朝顔の娘。理事長の椚とは同世代で、当時から仲が悪かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます