第138話 令和3年8月21日(土)「雌伏の時」高月怜南

 サラサラした髪。

 日に焼けた肌はあまり手入れをしているようには見えないのに染みひとつない。

 不公平だと思いながら「何か良いことでもあったの?」と尋ねると、相手は髪をかき上げて答えた。


「日々木さんの婚約者になったよ」


 突拍子もない発言に思わず「はあ?」と声が漏れる。

 絶対にあり得ないことだが、あまりに自信満々の言い様だった。


 中性的な顔立ちで、キリッとした目元だけでも多くの人の視線を集めそうだ。

 ジョギング帰りといった感じのただスポーティーなだけのジャージ姿なのにスタイリッシュに見える。

 ツーショット写真を撮って彼氏と言えばクラスメイトに自慢できてしまいそうだ。

 自称天才とバカにしていたが、ろくに勉強しなくても進学校に通う私より学力が上だ。

 文武両道眉目秀麗なこの人物が、ファミレスの窓際の席という少し場違いな場所で悦に入った顔をしている。


「冗談よね?」と問うと「決めつけるのは良くないよ」と微笑んだが、「日野さんに言うよ」と脅すと肩をすくめて「役柄の話だよ」とネタばらしをした。


「生徒会で映画を撮ることになったんだ。日々木さんが主演を務め、初瀬紫苑が監督」


「マジ?」と大きな声を上げてしまった。


 ファミレス内にいる客が不審そうにこちらを見ている。

 こんなところで美男美女のデートかよという視線を感じるが、言い訳をさせてもらえるのならデートではないし相手は男ではないと主張しただろう。


「学園祭で公開したあと、学校の宣伝目的でウェブでも公開するみたい。細々と書かれた契約書みたいなのにサインをさせられたよ」


 後半はともかく、前半は大ニュースだ。

 芸能人にあまり興味がない私ですら初瀬紫苑の顔と名前は知っている。

 というか、大半の芸能人のことはバカにしているが彼女は特別だ。

 売れるために作られたキャラではなく、もの凄い個性を持っている。

 危なっかしい発言にハラハラするが、それだって自分の気持ちを飾らない言葉で誠実に伝えようとしているからだろう。

 大人への反抗というようなスタイルではなく、あくまでも自然体。

 ただ自分の夢を追っているうちに売れてしまったという印象だ。

 ファンに媚びず、迎合せず、それでいて”初瀬紫苑”への憧れを絶対に裏切らないという強い意志を感じる。

 その初瀬紫苑が映画を撮るのだ。

 興味を引かない訳がない。


「史実を基にした設定なんだけどね。メインとなるダンスパーティーの時点ではボクは死んでいるんだよ。だから出番がないから来なくていいって言われてさ」


 彼女は不満を口にする。

 中学時代の同級生、澤田愛梨から会いたいと連絡が来たのは昨夜のことだ。

 彼女には残念なところがあり、それを観察することは受験勉強の息抜きに最適だった。

 しかし、別々の高校に進学し、私は目の前の学校生活に追われ連絡を取らなくなった。

 いまさら会ったところでという思いもあったが、珍しいことだったので気まぐれが働いた。


「貴女から会いたいって言われるなんて天変地異の前触れかと思ったけど、そんな理由だったのね」


 中学生の頃も彼女から会いたいなんて言われた記憶にない。

 私が一方的にからかっていたから当然と言えば当然だ。


「もしかして友だちいないの?」


「そんなことはないさ。ただ、そうだな。愚痴を零せる相手となると高月以外の顔が浮かばなかったのは確かだな」


「愚痴、ね……」


 自称天才の彼女はいつも自信満々で愚痴など零すイメージは……結構あった。

 確かに勉強も運動も人並み以上にできるが、だからといって何でも完璧にこなせるとは限らない。

 特に人間関係においては。

 日々木さんに相手にされないことへの愚痴は以前から零していた。

 そうした愚痴は誰彼構わず言えることではない。


 しかし、彼女が最初に語った内容は日々木さんの話ではなかった。

 中学時代よりも大人びた表情で彼女は口を開く。


「宇野がインハイに行ったんだよ」


 宇野さんは中学のクラスメイトで陸上部のエースだった子だ。

 澤田さんも陸上部に所属し、宇野さんの次の二番手という位置づけだった。

 当時もそれなりに差はあったが、この自称天才は本気を出せばすぐに追いつくと豪語していた。


「向こうは陸上の強豪校、こっちは中学の時よりレベルが低い感じだから当然なのかもしれないけど」


 そう自嘲した彼女は「日野からは自分の力で環境を整えろって言われてさ。その能力がボクにあるって。そして3年になったら抜き返せって」と言葉を続けた。

 そうした改革を行うためにクラブ連盟副長という生徒会の役員に就いたそうだ。

 日野さんからうまく仕事を押しつけられた気がしないでもないが、それを指摘するのは彼女の顔がちらついたので控えておく。


 競技は違うが安藤さんがインターハイで優勝したことも刺激になったらしい。

 改革は簡単には前に進まず苦労しているようだが、何としてでもやり遂げると固く決意しているようだ。


「そんなに陸上が好きだったんだ」


 もっと醒めた印象を持っていた。

 そして彼女自身もそれを認めた。


「別に好きじゃなかったよ。いまでも好きとは違うかもしれない。宇野のように走ることが楽しくて仕方がないってことはないからね」


「じゃあ、どうして?」


「ボクは天才だと知られると煩わしいからそれを隠していた。その間は何ごともほどほどにして本気で何かに打ち込むことはなかった。いまになってその時間が無駄だったと思う。勉強でも何でも天才のボクでさえ追いつくのが大変になってしまった」


「大学に入るまで本気を出さないつもりだったって言っていたよね。そうしてくれたら、私が大学生になった頃にはひっくり返せない差をつけられたのに」


 私の冗談めかした言葉にムキになって反論するかと思ったが、彼女は「そうかもしれない」と素直に肯定した。

 フッと笑って「高月は努力家だから」とつけ加える。


「努力をひけらかすのはダサいけど、努力しても無駄だと嘯いて何もしないのはもっとダサいから」と私はそっぽを向いて言い訳する。


「日野は天才のボクにしても高い壁だ。だけど、諦めないよ」


 私は自分の身の丈以上の進学校に入学し、勉強についていくのがやっとの状態だ。

 周りはつまらない優等生タイプが多い。

 だが、そんな風に言えるのは成績を追い越してからだろう。

 いまは心置きなく遊べるご時世でもないので、高校時代は勉強に力を入れ青春を謳歌するのは大学に入ってからだと目論んでいる。

 まあ、いまも見目の良さを生かしてクラスメイトからはチヤホヤされているけどね。


「愛梨ちゃんの決意表明なんてどうでもいいから、もっと初瀬さんの情報を教えてよ」


 ムッとする彼女の顔を見ながら、学校の友人との会話では得られない楽しさを私は噛み締める。

 初瀬紫苑の情報以外にも、あまり認めたくはないが刺激を受けたことは事実だ。

 今日彼女と会って良かったと私は感じていた。




††††† 登場人物紹介 †††††


高月怜南れな・・・高校1年生。県内有数の進学校に通っている。愛梨、陽稲、可恋、都古は中学3年時のクラスメイト。小学生の頃から他人を誘導してトラブルを起こさせ、それを見て楽しんでいた。


澤田愛梨・・・臨玲高校1年生。自称天才。他人を見下し、周囲の嫉妬を嫌って能力を隠すようになった。中学3年生の時に陽稲に興味を持ち、彼女に認めてもらおうとしたが果たせず。同じ高校に進学し、まだ諦めていない模様。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。日本人離れをした容姿の美少女だが、女神のような慈悲深い性格の持ち主でもあり多くの人に慕われている。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。中学時代は魔王とも呼ばれていた。学校の成績とは別の次元でも優秀さを示す存在。


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。同世代に圧倒的人気を誇る映画女優。メディアへの露出が少ないので情報は貴重。


宇野都古・・・高校1年生。推薦で陸上の強豪校に進学した。陽稲と仲が良い。


安藤純・・・臨玲高校1年生。競泳選手。体格の良さから期待されていたが、ようやくインハイ優勝という成果を出すことができた。陽稲の幼なじみ。

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