第30話 令和3年5月5日(水)「前哨戦」初瀬紫苑

『本当に来たの』


 マンションのオートロックを開けて欲しいと頼んだら、何とも嫌そうな声がスピーカーから聞こえてきた。

 私は「来てあげたの。早く通して」と告げる。

 返事はなかったが、開錠音が耳に届いた。


 私が運転手役を務めたマネージャーに「夕方に迎えに来て」と伝えていると、『お茶でいいならお出ししますよ』と可恋の声がした。

 マネージャーは「お言葉に甘えさせていただきます」と応答して、私の頭越しに決めてしまう。

 同行者をひと睨みしてから、私たちはマンション内部に進入した。


 先日、日々木を自宅まで送り届けたことがあった。

 その礼を可恋に求めていた。

 彼女はプレゼントや食事を提案したが、私は自宅訪問を要求したのだ。

 かなり抵抗していたが、最後は渋々ながら受け入れた。


 玄関で出迎えたのは日々木だった。

 笑顔を浮かべているのに、迷惑だというオーラを身体全体から漂わせている。

 白のドレスはどこか戦闘服を連想させるものだった。


「出迎え、ご苦労様」と私は上から見下ろす。


「先日はありがとうございました」とマネージャーに挨拶した日々木はスカートの裾を持ち上げエレガントなカーテシーをして見せた。


「いえ、こちらこそいつも初瀬が大変お世話になっております」と私の連れが辞儀を返す。


「そういう挨拶は他所でやって!」と私は怒鳴りつけた。


 日々木の指示に従い手洗いや消毒を徹底的にやらされ、ようやくリビングに案内される。

 かなり広々とした部屋だ。

 個人の住宅としては圧倒されるほどの解放感であり、広さそのものがゴージャスだと感じる。

 全体的に飾り気は少なくシンプルな印象だが、要所にスタイリッシュな装飾が施されていた。


 私は室内を見回すと不快さを隠すことなく眉間に皺を寄せる。

 そして、部屋の中央に置かれた応接テーブルの向こう側に立つ可恋に向かって、「これ、日々木の趣味でしょう?」と問い質した。


「ふたりの趣味と言うのが正確かしら」と彼女は笑みをたたえる。


 その服装は日々木とは異なり、客を迎えるのにギリギリのフォーマルさといったところだ。

 寛いだ雰囲気のカーディガンやスラックスはよく似合っているが、私が客として訪れているのだからもっと着飾っても罰は当たらない。


 私はマネージャーが手土産のやり取りをするのを横目で見ながら可恋の前の椅子に腰掛ける。

 可恋は自らキッチンに向かい、トレイにティーセットを載せて戻って来た。


「お持たせで失礼ですが」と可恋は手土産として渡した菓子を上品な小皿に取り分けて着席した私たちの前に出した。


 そして慣れた手つきで紅茶を人数分のカップに注いでいく。

 私の鼻腔にもその優しい香りが届いた。


「私が勝てばどんな条件でも飲んでくれるのよね?」


 目の前に置かれたティーカップに手をつける前に確認しておく。

 彼女は無謀にも私にミス臨玲コンテストという勝負を挑んだ。

 実際に対決するのは日々木だが、彼女は可恋の駒に過ぎない。

 乗り気ではなかった私を引きずり出すために、可恋は「何でも言うことを聞く」と明言したのだ。


「願い事はひとつだけ。永遠に関するものは受け付けない。犯罪になるようなことも却下する。そんなところかしら」


 彼女もまた紅茶に口をつける前に回答した。

 その表情からは内心は窺えない。

 もっとたくさんの条件をつけてくるかと思ったが、意外と少なかった。


「いいわ。それで」と私は笑顔で応じる。


 可恋の横に座る日々木は心配そうな表情を浮かべている。

 私はそれを一瞥すると、マスクを外して優雅にカップを持ち上げた。

 カメラが回っている時のように全身に意識を集中させる。


 紅茶を飲むという誰もが自然に行う動作を芝居として演技する。

 それはほんの些細な違いかもしれないが、見る者の目を奪うことができる。

 私はふたりの視線がこちらに釘付けになっていることを見届けてから、ゆっくりとカップをソーサーに戻した。

 主導権を握るためのちょっとしたテクニックだ。

 可恋の表情に変化はないが、日々木の顔は赤く染まっている。


 この程度で可恋を堕とせるとは思っていない。

 ふたりきりで、もっとムードのある場所でないと難しいだろう。

 そんな機会さえ作ることができれば可恋であっても魅了する自信はある。

 そしてその機会は勝利すれば容易に作ることができるだろう。


「さすが女優ね」と可恋が警戒するような視線を投げ掛けた。


「可恋は身も心も私に委ねてくれたらいいわ。悪いようにはしないから」と陶然と微笑む。


「まるでサキュバスね」


「それがお仕事だもの。人を魅了し、ひとときの夢を見せるのが、ね」


 私は右手を可恋の方へと伸ばし、「魔王と淫魔、良いコンビじゃない?」と誘惑する。

 彼女の漆黒の瞳に揺らぎは見えたが、すぐに目を伏せてしまった。

 あと一押しかもしれないが、慌てる必要はない。

 じっくりじわじわ攻略していけばいい。

 その過程こそがいちばん楽しいのだ。


 弾むような会話はなかったが、私ひとりが満足した歓談の時間が幕を閉じる。

 可恋はわざわざコンテストの結果についての取り決めを定めた契約書を宣言通り用意していた。

 私は一項目一項目確認を取りながら目を通していく。


「慎重ね」と可恋は口にするが、「用心するに越したことはないわ」と私は言葉を返す。


 彼女の深謀遠慮はすでに目にしている。

 絶対に侮ってはいけない相手であることは間違いない。

 その表情にはまだ自信が見られる。

 事前に様々な手を打っているはずだ。


 ……こちらの手の内はどれくらいバレているのかしら。


「ところで、私が負けた場合のことが書かれていないんだけど」


 私の発言に可恋は目を細めた。

 彼女は「参加してくれるだけで感謝しているから」と語ったがどこか含みがありそうだった。


「条件は対等の方がいいでしょ? あとで難癖をつけられたくはないし」


「そうね」と頷いた可恋は「どんな条件にする?」と私に尋ねた。


 私は可恋の隣りで息を潜めていた日々木に視線を向け、「勝者の願いをひとつ聞くというのはどう?」と提案する。

 万が一私が負けるとすればこの反則級の容姿を持つ少女以外にはあり得ない。

 この1ヶ月彼女と接してみて、無茶な要求をするような性格ではないと把握している。


「ひぃな、それでいい?」と可恋が同意を求め、日々木は迷うことなく首を縦に振った。


 可恋はすぐさま契約書に新しい条項をつけ加える。

 ミス臨玲コンテスト。

 その戦いの火蓋が切られようとしていた。




††††† 登場人物紹介 †††††


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。映画女優として若い世代から圧倒的な支持を得ている。一方で、奔放な言動によりメディアに対する露出を徹底的に制限している。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。次期生徒会長。紫苑とはクラスメイト。入学に際し理事長から生徒会改革の要請を受け、それに取り組んでいる。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。可恋の同居人。ロシア系の血を引く美少女。ミス臨玲コンテストに参加予定。

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