第2話 令和3年4月7日(水)「わたしのもの」日々木陽稲

「あなた、私のものになりなさい」


 わたしの目の前に座っていた少女が立ち上がり、まるで映画の一シーンのようなセリフを吐いた。

 彼女の名は初瀬紫苑。

 若者なら誰もが名前を知っているような人気女優だ。


 わたしは咄嗟に反応した。

 ふたりの間に割って入る。

 大きく両手を広げて、初瀬さんに向かい合った。

 意志の強そうな瞳を見つめて口を開く。


「ダメ! 可恋はわたしのものよ!」と。


 その言葉で美女は初めてこちらに視線を向けた。

 彼女は値踏みするようにわたしをジロジロと見下ろした。

 そして、不敵に微笑む。


「こんなのが良いの? あなた、ロリコン?」と顔を上げて、わたしの背後にいる可恋に問い掛ける。


「等身大のドールでも買ってあげましょうか?」と言葉を続ける初瀬さんに、わたしが反論しようとしたタイミングで肩に手が置かれた。


 両方の肩に可恋の温もりを感じて、わたしは強張っていた肩の力が抜けた。

 背後からは淡々とした可恋の声が聞こえてくる。


「私は誰のものでもないし、誰のものにもならないわ」


 初瀬さんは可恋の方しか見ていない。

 スクリーンで見たのと同じ顔立ちには美しさだけでなく強さがあった。

 その唇が動く直前、「みなさん、教室に行きますよ」という声が掛かった。

 気がつけば、わたしたちを取り囲むように臨玲の制服を着た生徒たちが立ち並んでいる。

 その人垣をかき分けて小柄な女性が姿を現した。


「入学式は終わりました。教室に向かってください」


 初瀬さんとのやり取りはこれで終了した。

 教室で彼女はわたしたちに声を掛けてこなかった。

 今後のスケジュールについて、先ほどの女性――わたしたちの担任教師から説明があり、それが終わると昨日は解散となった。


 それから1日が経つ。

 入学式から帰ったあと、可恋は忙しそうにあちこちと連絡を取っていた。

 だから、昨日のことについてゆっくり話をすることができていない。

 わたしは悶々とするだけで、気持ちをうまく言葉にできないでいた。

 今日は学校はお休みで、明日から新学期が始まる。

 ほんの少し気持ちを立て直した午後、可恋から声が掛かった。


「お茶にしようか」


 わたしと可恋がふたりで暮らすマンション、その学校の教室よりも遥かに広いリビングダイニングで向き合ってソファに座る。

 ふたりの間にあるアクリルのテーブルに可恋が淹れてくれた紅茶が置かれ香しい匂いを漂わせている。

 ようやく一段落がついたという表情の可恋は優しい目でわたしを見つめていた。


「改めて、臨玲高校の状況について説明しておくね」と可恋は軽い口調で喋り始めた。


 臨玲高校は昨日わたしたちが入学式に出席したお嬢様学校だ。

 創立は明治時代。

 関東では知らない人がいないくらい有名な女子高だった。


 だが、平成に入った頃から人気に陰りが見えてくる。

 そこに追い討ちを掛けたのが理事長の急逝だった。


「十分な引き継ぎができていれば良かったのだけど、突然のことでそれができなかったみたい。理事長はまだ若い実の娘が引き継ぎ、学校のことは亡くなった理事長の信頼できる右腕だった学園長が引き続き担うことになった」


 それだけを聞けば妥当な判断だったように感じる。

 しかし、可恋は辛辣だ。


「社会経験に乏しくコミュニケーション能力に難のある新理事長は人の上に立つ器ではなかった。強大な権力を手に入れた学園長にはビジョンがなく、その権力を守ることばかりに関心を持つようになった」


 結果的に学園長の周りにはイエスマンが集まり利権を独占していく。

 臨玲は名門だけあって様々な寄付も多い。

 癒着や不正が蔓延っていったらしい。

 改革を唱える理事長の声は虚しく響くだけだったそうだ。

 ついに目障りになった理事長排除へと学園長が動き、窮地に陥った理事長は起死回生の手を打つ。

 それが有能な人材の登用だった。


「外資系に勤めていた北条さんを三顧の礼で迎えたというのは大げさかもしれないけど、そんな感じだったらしいわ。北条さんは学園長を快く思っていなかった理事たちをまとめあげ、事務方のトップとして学園長の不正を徹底的に追及した。そして、学園長を更迭することに成功したの」


「それでめでたしめでたしだったら良かったのにね」


「それほど現実は単純じゃなかったってことね」と可恋が息を吐く。


 明らかに不正に関与した人物は排除できたが、学園長派の教師の多くはそこまで至らなかった。

 また、理事長が改革を前面に打ち出したことで中立派の反発を買うことになる。

 学園長がいなくなって協力的だったほかの理事たちも理事長から距離を置くようになった。

 そして、もうひとつ大きな問題があった。

 生徒会だ。


「学園長は有力な家柄の生徒を集めて生徒会に入れた。そこに強力な権限を与えて、生徒たちの歓心を買った。それによってその保護者たちと繋がりを持つために」


 臨玲ではOG会やその保護者たちの力が強い。

 学園長は生徒会を餌にそこと太いパイプを持った。

 そのツケがいまも学校運営に大きな影響を与えている。

 生徒会が関わると生徒の処分もままならないらしい。


「緊急事態宣言下に臨玲の制服姿のまま横浜の繁華街で遊び歩いていた生徒が複数いたという情報があるんだけど、生徒会関係者には処分が下せなかったの」


 現在の生徒会長はなんと現職総理大臣の実の娘だ。

 学校側もおいそれと手が出せる相手ではない。


「そこで、理事長の協力者が生徒会長選挙に立候補して勝利するというシナリオができた訳ね」


 その白羽の矢が立ったのが可恋だった。

 昨年の夏のうちに北条さんを通じて協力を要請された。


「でも、入学式であんなに派手にやり合って良かったの?」


「生徒会を乗っ取るだけなら裏で手を回した方が確実だろうね」と可恋は平然と答える。


「だけど、目標は臨玲の改革だから。そのためには生徒の意識を変えなきゃいけない。現在の生徒会の体制をはっきりと打破することが彼女たちを目覚めさせる第一歩になるんじゃないかな」


 すでに可恋は生徒会長選挙ではなくその先を見据えていた。

 その自信に満ちた表情からは自分が負けることなんてこれっぽっちも考えていないように見える。


「あと、あれだけやれば生徒会長がおとなしくしているはずがないよね。彼女の下で誰がどう動くのか、しっかり観察しておきたいの」


 生徒会長選挙は5月なので時間はあまりない。

 様々な形で生徒の情報収集を行っている可恋だが、それでも十分とは言えないそうだ。


 わたしは可恋ほど秘密を態度に出さないということができない。

 そのためある程度の情報共有はされても、細部までは教えてもらえなかったりする。

 昨日の入学生宣誓でのやり取りもそうだった。

 それに……。


「可恋は初瀬紫苑さんが入学することを知っていたんだよね?」


 可恋は冷めかけの紅茶を口に含み、微笑むだけで答えない。

 わたしが責めるような視線を送ると、「聞かれなかったから」と言い訳をした。

 落ち目の臨玲にあんな人気女優が入学するなんて夢にも思わない。

 そんなこと聞くはずがないじゃない。


「ほかの有名人は入学していないの?」


「本人が、という話なら、私が彼女の次でしょうね。臨玲で私を知っている生徒なんて何人もいないでしょうけど」


 可恋は女子学生アスリート支援のNPO法人共同代表を務めている。

 テレビのニュース番組に出演したこともある。

 初瀬さんには比ぶべくもないが、ただの高校生でないことは確かだ。


「ひぃなだって年商1億をあげたらそれなりのものよ」と可恋が慰めてくれる。


 先日のわたしの誕生日に、可恋が高校生のうちに起業して年商1億を目指すようにと言った。

 始めはとんでもない話だと尻込みしたが、その道のりを示してもらい、いまはわたしの目標となっている。

 初瀬さんから「こんなの」扱いされ、早くわたしにも実績として誇れるものが欲しいと思うようになった。


「それにしても、スキャンダルを恐れるはずの芸能人が権力闘争に関わってくるとは予想外だよ。彼女の情報も集めようとしたけどガードが堅くてね」


 人の口に戸は立てられぬの言葉通り、外部に情報が漏れる可能性がないとは言えない。

 総理の娘に人気若手女優、可恋だって著名な大学教授の娘だ。

 そんな人たちが有名女子高で争うとなればマスコミの絶好のネタになりかねない。


「さすがに、いま彼女を敵に回したくはないかな。生徒会長と組まれたら面倒だから」


 おそらく昨日初瀬さんから「私のものになりなさい」と言われた時、どう対処すべきかのシミュレーションを高速でしていたのだろう。

 可恋にとっても頭が痛い問題のようだが、その姿を見てわたしは少しだけ安心した。


 わたしは祖父”じぃじ”の願いを聞いて臨玲に進学することを決めた。

 可恋はそんなわたしを守るために臨玲に来てくれた。

 そして、わたしが安心して過ごせるようにこの高校の改革に乗り出している。


「可恋をわたしのものだなんて言ってごめんね。むしろ、わたしが可恋のものだよね」


 昨夜、寝つけなかった時に可恋の背中に油性のペンでわたしの名前を書きたくなったのは内緒だ。

 可恋はすべてを見透かすような笑みを浮かべると、「光栄だよ」と甘い声で囁いた。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・高校1年生。ロシア系の血を引き隔世遺伝によりその特徴が強く出ている。天使や妖精と称されることが多い。小学生並みの身長を気にしている。訳あって昨年の一斉休校時から可恋とふたりで暮らすようになった。


日野可恋・・・高校1年生。母親は東京の超有名私立大学の教授。生まれてすぐに両親が離婚した。父親も大学教授で、養育費はキチンと振り込まれている。それを元手に投資をして莫大な利益を上げていることは父親には知らせていない。


初瀬紫苑・・・高校1年生。一昨年のクリスマス映画でブレイクした若手女優。映画一本に絞っているため露出は少ない。


椚・・・臨玲高校理事長。人望がまったくないため学園長失脚後も改革は滞っている。北条だけが頼り。


北条・・・臨玲高校主幹。事務方のトップを務めている。反理事長派の教師の多くが生徒会と繋がっているため、生徒会の権限縮小を目論んでいる。可恋と陽稲の中学時代の恩師である小野田は彼女の元担任で、その繋がりから可恋の協力を求めるようになった。


芳場美優希・・・高校3年生。臨玲高校生徒会長を務めている。父親は現職の総理大臣。三人姉妹の三女。

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