第36話 令和3年5月11日(火)「理事長の命運」北条真純
「クラス替えですか?」
放課後の理事長室にはこの部屋の主と、その向かいに座る少女と呼ぶには風格があり過ぎる生徒、そして私の3人がいた。
理事長の横に立つ私の発言に「正確を期すなら習熟度別クラスの導入ですね」と落ち着き払った態度でその生徒――次期生徒会長である日野さんが答える。
「臨玲高校はよくお嬢様学校と言われますが、ご存知のように現在は多種多様な生徒が在籍しています。学力も一般の高校と比較して非常に幅広く混在する状態だと思われます」
公にはできないが現在の臨玲高校には一定額の寄付金やOG会のコネなどで学力を問われずに入学した生徒が存在している。
また専願はかなり低い偏差値で合格する一方、二次募集組はそれなりに高い偏差値が求められるという状況だ。
高校授業料無償化などによってこれまでは入学できなかった経済力の家庭出身者も増加している。
理事長は臨玲再建の方針として学力向上を目指し、優秀な教師の確保に力を注いでいる。
その投資はこれまでのところ目立った成果に繋がっていない。
「高校生ともなれば勉強しないことを他人のせいにはできません。しかし、現在の臨玲には動機付けに至る仕掛けがなく、ごく一部の生徒を除いてモチベーションの向上は期待できません。教室内を観察する限り、人は低きに流れ、それを食い止めるのは容易ではありません」
日野さんは反理事長派の中核だった生徒会を改革するよう望まれて入学した。
入学前に半年間の準備期間があったとはいえ、1ヶ月と経たずにそれを成し遂げてしまった。
我々もサポートはしていたが、それでも1年は掛かると予測していた。
ここまでの手際の良さには呆然とするばかりだ。
今日の定例の会合は本来であれば生徒会への対策が話し合われるはずだったが、その件は俎上に乗らなくなった。
代わって議題となったのは1ヶ月間生徒の視点から得た学校生活の実態だ。
特に、このままでは理事長が望む学力向上の目標は達成できないと訴えられた。
その解決策として彼女が提示したのが”習熟度別クラスの導入”である。
「しかし、たとえ効果があるとしてもすぐに導入することは不可能です。何ごとにも事前の態勢作りが必要です」
理事長が鶴の一声でやると言い出す前に止めなければならない。
実際の業務を担当するのは私なのだから。
「早ければ早いほど良いですよ。遅れを取り戻すのは困難ですから」と日野さんは簡単に話すが突然言われてもすぐには対応できない。
「導入に最低でも1年は掛かるでしょう」
「何も全学年で行わなくてもいいと思います。1年生だけなら2学期からできませんか?」
私は自信満々の日野さんの視線を感じながら頭の中で計算をする。
生徒会対策として用意していたリソースは不要になった。
1年生を担当している教師の中にはガチガチの反理事長派はいないので、サボタージュといった抵抗は心配せずに済みそうだ。
夏休み中に頑張れば間に合うかもしれない。
「分かりました。前向きに検討したいと思います」
だが、彼女は2学期からと言った舌の根も乾かぬうちに「中間試験の結果を元に試験導入しましょう」と言い出した。
1学期の中間試験は目前に迫っている。
「無理です!」という私の言葉に耳を貸さず、日野さんは理事長を見据えて「改革にはスピード感が重要です」と煽った。
「確かに。日野君は瞬く間に生徒会を掌握したのだから、今度は我々が力を見せる番だ」
……”我々が”ではなくて”部下が”の間違いでしょ。
直属の上司にそうツッコミを入れたかったが、私は息をひとつ吐くと「理事会の承認が必要だと思われますが」と切り口を変えた。
こちらを振り向いて嫌そうな顔をした理事長に日野さんが助け船を出す。
「まだテストケースですし、今後緊急事態宣言がここ神奈川に出された時に備えた準備の一環ということなら報告だけで済むのではないでしょうか?」
私は発言者を睨むがまったく動じない。
余裕の笑みを浮かべたままだ。
「教師陣が従うかどうか分かりません」と別の口実を提示する。
昨年の一斉休校時にオンライン授業が上手くいかなかったのはそれが原因だ。
学校職員はほぼ掌握しているものの、教師は結束が固く理事長の指示を聞き入れないことが多い。
「授業を受けた限りでは優れた教師が多い印象でした。理事長派かどうかに関わらず仕事内容だけを見て評価していけば良いのでは?」
今度は理事長が不快な表情になった。
彼女の権力を持ってしても辞めさせられない教師は少なくない。
過去にそういう人たちに何度も痛い目に遭っている。
改革が進まないのもそんな抵抗勢力がいるせいだ。
反理事長派が自分から辞めたいと言い出すように圧力を掛け続けているものの、向こうも様々な手口を使ってそれに対抗している。
生徒会を奪ったいま、更なる攻勢に転じようとしているところなのだ。
「敵に回る奴らには容赦しない」と理事長は本心を口に出した。
「敵であっても有効活用するのが上に立つ者の度量でしょう」
残念ながら理事長はこの高校1年生に人としてのスケールで負けている。
日野さんが相手なら理事長が見劣りするのは仕方ないとも言えるが、見えているものが違いすぎる。
「どれほど能力が高い教師であっても様々な学力の生徒を同時に教えようとすれば、平均点の授業しかできません。教師の実力を引き出すのも管理者の役割だと思います。そして、そうした姿勢を続けていけば派閥は形骸化するんじゃないですか。もう学園長派は存在していないのですから」
学園長が失脚してコアな学園長派の教師は数を減らした。
まだ当時の残党はいるが、それぞれが反理事長派として緩やかに繋がっているような状況だ。
生徒会の裏帳簿を手に入れたことで、何人かの教師は辞職に追い込めるだろう。
あとの反理事長派は理事長の強引な手法に反発しているだけであって、日野さんが言うように対立より融和を心掛けていけば風向きは変わるかもしれない。
「椚理事長」と私が呼び掛けると、彼女はブスッとした顔でこちらを見上げた。
「私は理事長だ。敵は……」と駄々っ子のように話し始めた上司にもう一度「椚理事長」と諭すように呼び掛けた。
「現在、私たちにとって最大の脅威は目の前の生徒です。彼女が理事長に失望して敵に回れば私たちは勝つことができません」
16歳だからと甘く見てはいけない。
すでに理事会のメンバーと接触しているという情報をつかんでいる。
それは理事長や私にプレッシャーを与えるためなのか、本気で対決するつもりなのかまでは分からない。
だが、私たちよりも先を読んで動いていることは間違いないだろう。
……派閥争いがこのまま解消されれば、私は時間的な余裕ができて日野さんに対抗する策が取れたかもしれない。
しかし、習熟度別クラスの導入となればそんな余裕は逆立ちしたって生じない。
これがそこまで考えての提案だったとしても驚くことではない。
私に脅威と呼ばれた少女は悠然と我が校トップのやり取りを眺めている。
知り合って半年ちょっと経つが、その間にも貫禄は増している。
一方、理事長はいい歳をした大人だが、内面はまったくもって子どものままだ。
それを知っていたから元学園長は反旗を翻したのだろう。
憤った顔つきのまま理事長は口を開きかけた。
「理事長」と先に声を上げたのは日野さんだ。
「信頼する人を失わないようにお気をつけてください」
呼び掛けられて日野さんの方を向いた理事長が慌ててこちらに視線を送った。
その瞳は揺らいで、迷子になった子どものようだ。
私は彼女に頷きかけると、日野さんに向き直る。
「習熟度別クラスの件は要望に添えるよう全力で取り組みます」
この高校生は役に立たないと思えば躊躇うことなく理事長を切り捨てるに違いない。
元学園長との対立では相手よりマシという理由で支持してくれた理事たちも日野さんの工作に掛かれば反理事長で結束する可能性が高い。
それにどう対処するのか。
現状では、対立して勝ち目があるとは思えない。
日野さん側につくという選択肢の方が現実的だ。
今回決定的な対立を回避したのは、私が上司の手綱を取り、その上で日野さんが求める改革を実践していくことができると踏んだからだろう。
お互いにとってもっとも平穏な道ではある。
その皺寄せが来る私の労働環境のことを考えなければ。
††††† 登場人物紹介 †††††
北条真純・・・臨玲高校主幹。あくまでも事務方のトップに過ぎないが、理事長の右腕として学校全体のあらゆる事柄に関与している。現在の学園長は飾りであり、習熟度別クラスの導入も北条主体で進めていくこととなる。
椚たえ子・・・臨玲高校理事長。母親の急逝を受けて理事長の座を引き継いだ。人望は皆無で、一時は学園長により追放されそうになったが北条を腹心として引き入れたことで逆襲に成功した。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。次期生徒会長の信任を得ている。入学前から理事長といくつかの取り引きを行い、優遇措置を得る代わりに困難なミッションを引き受けた。それを成し遂げたいま、彼女もまた臨玲改革を目論んでいる。
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