442.あの子を飼いたいの!

 過去にあれこれ問題を起こしたアスモデウスだが、子犬になってしまえば何も出来ない。魔力も失い、言語も奪われた。魔獣と意思疎通は可能だが、会話ほど詳細な内容は伝えられなかった。


 せいぜいが「お腹すいた」「眠い」「敵じゃないよ」などの意思表示程度だ。この辺はリリンがうまいのだろう。余計な知恵や記憶を流出させることなく、犬として生きて死ねと命じた罰だった。


「犬ならば首輪は……そうですね。あなたの大嫌いな銀色にしましょう」


 にこにこしながら過去の宿敵を甚振るアスタロトは、後日、いいストレス解消になりますと笑った。漆黒城の床を逃げ回る子犬は、今日も元気に鳴いて走っている。殺される未来はなさそうなので、ルシファーも静観することにした。


 魔王城で飼う気はないし、元々気に入らないのだから助ける必要も感じない。ところが、アスタロトが子犬を飼ったと聞いて、イヴがペットを欲しがった。


「ダメだ、自分のこともちゃんと出来ないのにペットは無理」


 ルシファーに拒絶され、半泣きで母リリスに抱き付く。しゃくりあげながら、ペットが欲しいと訴えた。


「ヤンがいるじゃない」


「違う、もん……ヤン、違う」


 あっさりリリスにかわされ、泣きながら抗議するも届かない。ヤンが長期休暇中で良かった、ルシファーは胸を撫で下ろした。今の発言を聞いたら、勘違いして「我はもう無用なのですか」と大騒ぎするだろう。


「違う、ですと?! 我が君、我は何か失態を……イヴ姫に嫌われるなど……」


 そう、こんな感じで……ん? 後ろに感じた魔力は間違いなくヤンだ。どうやら休暇中に寄ったらしい。親戚の子狼を大量に引き連れ、ヤンはかっと目を見開いた。


「我は……違うの、ですな?」


 がくりと項垂れる姿に、イヴが駆け寄る。


「違う、ヤンは、いい子……ペット、違う」


 しゃくりあげるたびに言葉が切れるので、聞き取りづらい。だがヤンは、言葉に不自由な魔獣との会話に慣れている。ほぼ正確に内容を理解した。


「確かに我はペットではありませぬな。ほっとしましたぞ、イヴ姫」


 嫌われていないと判断し、ヤンはぺろりとイヴの頬を舐めた。大きな舌は顔中舐めまわした形になる。


「ヤン、イヴとキスしなかったか?」


「いいえ、我が君。これはフェンリルの愛情表現ですぞ」


「愛情? まさか、イヴを好きだとか」


「家族としての愛情です」


 ルシファーはリリスの時も同じ暴走をした。娘や妻のことになると、勘違いが派手に迷惑を撒き散らす魔王の対応は、嫌でも慣れている。淡々と否定するヤンの様子に、ルシファーも冷静になった。


「悪かった」


「いえいえ。我が一族もこの通り、多くの子を授かりました。是非とも我が君の祝福をいただきたく」


「よかろう、詫びも兼ねて盛大に祝福してやる」


 魔王バージョンで鷹揚に頷いた。


 新たに生まれた子に、魔王の魔力を浴びせる。これは一種の宗教がかった行事になっていた。普段は10年に一度の即位記念祭で纏めて浴びせるのだが、今回は特別だ。お詫びも兼ねて二重に魔力を浴びせておいた。


 怯える子が多い中、一匹の子狼はぶんぶんと尻尾を振った。度胸があるのか、怖いもの知らずなだけか。本能が警告の仕事をサボったらしい。


「パッパ、あの子がいい」


「うん?」


「あれを飼うの」


 イヴは諦めていなかった。魔王の前で平然としている大きな犬、あれをペットにしたい。今のイヴから見れば、大型犬サイズだ。フェンリルのヤンなら、一口で飲み込む赤子だった。


「ダメだ」


「どうして?」


「あの子は両親がいる。それに後日大きくなったら飼えないだろう。そもそも動物ではなく魔族だぞ」


「ふーん」


 納得していない答えだが、引き下がってくれた。ルシファーはこの時、娘の性格を甘く見ていた。

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