185.魔力を弾く透明な壁を頼む

 幼子に魔法を使うなと叫んだところで無意味だった。どんなに丁寧に言い聞かせ、最高の「はい」が返ってきても数分後には魔法を使っているからだ。叱られて反省するものの10分もすれば魔法が飛び交っている。彼や彼女にとって魔法は特別な力ではなく、手足を振り回す物理と同じくらい身近な力だった。


「というわけで、対策会議をしよう」


 処理済み書類を魔力遮断ファイルに片付け、侍従ベリアルに持ち出させる。託児所と化した魔王の執務室で魔法が飛び交うたび、影響を受けて署名と押印が消える事態が頻発した。それはもう、うんざりするほど繰り返されている。


 3時間ぶっ続けで説教しても平気なアスタロトが、叱り疲れて蜂蜜生姜入りの薬湯を飲む姿は珍しい。同じ薬湯をお茶代わりに飲みながら、魔王ルシファーは溜め息を吐いた。


「対策会議……魔力がこちらに飛んでこなければ問題はないのでは?」


「それが一番難しいと分かってるか?」


 質問に質問を返されても、アスタロトは反論しなかった。いや、反論できる筈がない。今も頭の上を風のカッターが飛んでいき、棚の一部を破壊した。直後に物理的にぬいぐるみが飛んできて、受け止めて足元に下ろす。


「返してぇ!!」


 駄々を捏ねるキャロルの声に、物理的な力で投げ返した。顔に当たって転がったが、向こうは柔らかなクッションが敷かれた安全地帯だ。問題はなかった。同じやり取りを繰り返すうちに、徐々に雑な対応になるのは仕方ないだろう。


 アスタロトも泣き出すキャロルを一瞥しただけで、苦言は呈さなかった。これが自分の孫であるリンやマーリーンであったとしても、同様の反応だと思われる。そのくらい魔王城の上層部は追い詰められていた。


 このままでは執務が滞るどころか、徹夜作業になる。昼間は幼子の託児所で世話をして、夜は必至で書類処理に追われる。そんな未来が目前まで迫っているとあって、肘をついて顎を乗せた二人は真剣に考えこんだ。


「ドワーフを呼ぼう」


「壁を作らせるのですね」


「違う、それじゃ可愛いイヴが見えないだろう」


 即答で否定する上司の頭を、軽く飛ばしたらバカが直りますかね。真剣に検討してしまうほど、アスタロトは消耗していた。話を聞いたベリアルが指示を受けて、親方を呼びに行く。


「なんだい、お前さんら……ひでぇ顔して」


「美貌の魔王にその言い草はどうかと思うぞ」


「ぶすくれといて、文句言うなや。で、何を作ればいんだ?」


 親方はけろりと話を切り替えた。ドワーフが呼ばれるのは何かが壊れた時、または新築するとき。彼らの常識ではそうなっていた。今回も間違ってはいない。


「魔力を弾く透明な壁を頼む」


「……んなもん、結界でも張りゃいい」


 いとも当然とばかり、正論が返ってきた。説明を省く上司に呆れ顔のアスタロトが補足した。


「この部屋は執務室です。魔力に反応するインクや朱肉を使いますが、子ども達の魔法が飛んできて仕事が文字通り白紙にされるので困っています。何とかしてください」


 かなり丁寧に説明したことで、アスタロトは一仕事終えた気でぐったりと椅子に懐く。だが、親方はまたもや正論で返した。


「子どもを別の部屋にやりゃいいでないか」


「魔王命令だ。透明で魔力を通さない壁を作れ、作れないなら言え」


 いろいろ飽和したことで愛想という猫をかなぐり捨てたルシファーが、脅し交じりの発言をする。これは「建造物なら何でも作れる」と豪語するドワーフの親方への挑戦状だった。作れないのか? なら尻尾を巻いて帰れ。そう言ったのも同然だ。普段なら絶対に選ばない言い方だった。


「ほぅ? ドワーフにその言葉を言ったからにゃ、責任を取ってもらうぞ!! 揃えてもらう材料はこれだ」


 近くに落ちていた白紙を拾うと、図面を描く際に使用する鉛筆のような道具でがりがりと文字を書き連ねる。厄介な材料が大量に並んだ紙片を、ほいっと投げつけた。

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