236.謎解きより蟹が先

 大興奮のアベルによって、巨大蟹はすべての脚をロープで縛られた。ぐるぐる巻きの蟹を、煮えたぎった湯の中に沈める。


「やだ、残酷すぎない?」


「せめて殺してから煮ればいいのに」


 ドン引きの周囲をよそに、アベルは舌舐めずりを始めた。浮いた蟹を焼き肉用トングで押し込む。金属製のトングに伝わった熱で「あちっ」と騒ぎながら、鍋を熱心に覗き込んだ。


 騒ぎを聞きつけたイザヤが目を見開き、鍋で絶命した蟹へ駆け寄る。じっくり眺めた後、ぼそっと呟いた。


「タカアシガニじゃないか」


「この世界にもいたっすよ。食べますよね」


「もちろんだ。アンナも呼んでくる」


 その会話を聞いた魔族の共通の思いは「日本人ってゲテモノ好きなんだな」だった。ところが、まだあちこちから蜘蛛と勘違いされた蟹が発見される。


「どうして生きてたんだろ」


 ルキフェルは不思議そうに首を傾げた。一匹譲り受けた蟹をじっくり観察する。収納の亜空間は、通常生き物は入らない。過去に紫珊瑚のカルンが収納されて生存した実績があるものの、彼の場合は半分化石に近い存在なのでスルーされた。


 しかし今回の蟹は違う。ウミヘビも含め、収納に入れられたのに死ななかった理由が知りたくて、研究熱心な彼は蟹の脚を掴んでひっくり返した。


「何をしてるんだ?」


 気づいたルシファーに問われ、端的に事情を説明する。一緒に悩み始めたので、リリスはイヴを抱いて離れた。すぐ近くでエルフ達が青い顔をしている。


「どうしたの?」


「彼らはあの海の蜘蛛を食べるらしいです」


「怖いです、魔王妃殿下」


 首を傾げたリリスはくんくんと鼻をひくつかせると、迷う事なくアベルへ向かって歩み寄った。すごくいい匂いがする。たぶん、食べられるわ。その程度の感想で、無邪気に強請った。


「アベル、それ美味しいの? ひとつちょうだい」


「ん? ああ、蟹っすか。いいですよ、熱いので気をつけてください」


 茹で上がった蟹は、真っ赤な色に変わっていた。その太い脚を根本から折って、さらに関節を逆方向へ曲げた。ぽきんといい音がして、するりと抜ける。中にある透明の骨が抜けた身を取り出す。蟹を食べたことがある日本人には当たり前の剥き方だが、知らない魔族には魔法のように見えた。


「なんか、凄いわね」


「美味しいっすよ」


 差し出された身は白く、ほんのり赤い色も見えた。生の時は黒いのに、どうして赤くなったのかしら。疑問に思いながら、渡された身をぱくり。


「なんということを! 毒見もなしに……」


 悲鳴を上げたヤンの隣で、ルーサルカも慌てて止めた。


「おやめください、リリス様。アベルが腹痛で苦しむのは自業自得ですが、リリス様に何かあったら……魔王様に顔向けできません」


 もぐもぐと弾力ある身を噛んだリリスは、無言で残りの脚も口に押し込んだ。奪われる前に口に入れてしまえば勝ちだ。よく分からない理論で頬を栗鼠のように膨らました後、リリスは安全だと言い放った。


「ほへ、ほひひぃわ」


 これ、美味しいわ。そう言われても、誰もが遠巻きに見つめるだけ。大量の蟹は、そこらを歩き回らないよう脚を纏めて縛られた。一箇所に繋がれた蟹を、アベルは勇者補正の腕力で鍋に放る。淡々と作業する彼を見守るリリスは、蟹を欲しがって手を伸ばすイヴに首を横に振った。


「ダメよ、これは大人の味なんだから。まだ早いわ」


「やぁあ!」


 愛娘に食べさせないのに、剥いてもらった身をまた口に入れる魔王妃の姿は、遠巻きにしていた魔族へ影響を与える。じわじわと輪が縮まり、アベルの隣で蟹を頬張るイザヤやアンナへも注目が集まった。


「美味しいわよ」


「日本で食べたのが最後だったな」


 二人の呟きに、どうやら異世界では海の蜘蛛を食べるらしい。そんな安堵感が広がり、さらに輪は小さくなった。彼らが初めての蟹に目を輝かせるまで、もう少し。

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