237.食べる勇者と蟹食べ放題

 未知なる食べ物に遭遇すると、まず用心する。その食材を口に入れる勇者が現れ、一般的な民が続く。やがて料理と食材は、人々の日常に溶け込んでいくのが順番だった。この場合の勇者は、恐れを知らぬ者であり……実際に勇者の称号を得ている必要はない。稀に勇者はそのまま帰らぬ人となることもあるのだが。


 今回は美味しく頂く幸せそうな姿で終わった。魔王妃であるリリスが味を保証したことも手伝い、その日のうちに蟹の釜茹では受け入れられた。赤くなった状態が、あの黒い生き物と一致しない者も出たくらいで、腹を壊す者もない。


「魔力がないから、魔物でもないな」


 せっせと妻の為に蟹の脚を折り、身を取り出すルシファーは、大量に剥いた身を近くの子どもにも振る舞い始めた。あれこれ試した結果、蟹の身を取り出す魔法陣まで作成している。


「この魔法陣、人気が出そうね」


「特殊だけど、意外とイケるかな。城門前で売り出してみるか」


「売り出すなら、海の近くのリゾート地の方がいいわ」


 ルシファーは餌付けするように、最愛の妻の口へ身を運ぶ。膝の上で唸るイヴも、ルシファー公認で小さな身を口に入れてもらった。まだ歯が揃っていないので、もぐもぐと歯茎で噛んで口を開ける。


「ん? 味がしなくなったか。待ってろ、交換してやるぞ」


 ある意味、イヴの味わい方は贅沢である。何度も口の中で潰してエキスを啜り、食べ終えたガム状態の蟹はルシファーが引き取った。ひょいっと摘んで取り上げ、ぱくり。うっかり通りかかったイポスが「私には出来ない」とショックを受けて膝を突いた。


 新しい蟹を味わうイヴは、眉間に皺を寄せ真剣だった。その皺を指先で突きながら、リリスが溜め息を吐く。


「贅沢なのよ、もう。ルシファーが甘やかすのは良くないわ」


「そうか? だが仲間外れは出来ないだろ。それに残った身はオレが食べるから、無駄にしてないよな。イヴ」


 膨らんだ頬を指先でつつくルシファーへ、イヴは「あう゛!」と吠えた。全身を揺らして父に味方する。


「それに甘やかすというなら、リリスの時の方が凄かったぞ」


「あれは……確かにやりすぎでしたな、我が君」


 のそりと現れ、ルシファーが剥いた蟹を頬張っていた孫の首根っこを押さえたヤンが笑う。食べ過ぎだと叱って放り出した。少し先で、ルシファーが作った魔法陣を活用するルキフェルを発見し、尻尾を振りながら走っていく。


 あんなにたくさんいた蟹は、ほぼ食べ尽くされてしまった。大量の殻が積まれているが、後で纏めて捨てる予定である。彼らの最終処分場はマグマの海であり、何でも溶かして取り込んだ。蟹の大量の殻など一瞬だろう。


「蟹だっけ? これが船にいた理由も判明したぞ。海水ごと纏めて収納したせいらしい」


 ルキフェルの疑問に答えるべく、あれこれ試行錯誤した結果、生き物を無機物で包んだ状態ならば、収納空間は「無機物」と判定する。この場合の生き物は蟹であり、無機物が海水だった。


「じゃあ、海水に入れておくと、魚や蟹は生きたまま持ち帰れるのね」


「……というか、前に持ち帰っていた」


 リリスと一緒に転移して、うっかり海底の岩に足を埋めた時、彼女が喜ぶので魚を持ち帰った。あの時は食べるなら死んでいてもいいと考え、収納へ海水ごと放り込んだが……厨房で取り出した時に魚が生きていた。海水で汚れた厨房を掃除し、魚を捌いた料理長イフリートの話なので、真実だろう。


「新しい発見なの?」


「そうかな? 今後は海産物を生きたまま内陸へ運べるぞ」


 後日、あちこちで土産として蟹入りの海水が持ち込まれ、地上の塩害が問題になるのだが、それは数年先の話だ。滅多に仕事のない災害担当大臣アムドゥスキアスは、そんな未来を知らず、妻の膝で蟹を堪能してた。

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