78.戻れるはずだったんだ

「ちょっ! 待て、ルキフェ……うわっ、でたぁ!!」


「おや、失礼ですね……? 何をしたら胸がそんなに腫れるんですか。身長も少し低いようですね」


 アスタロトを見るなり指さして逃げようとしたルシファーだが、背を向けた途端に拘束された。足元の影を縫い留めたことで、動きを封じられる。影を消せばよかったと意味不明な後悔を口にするルシファーを、じっくり観察したアスタロトが首を傾げた。


「性別転換の魔法ですか? 奇妙な遊びをして、ルキフェルを困らせるのはおやめください」


 この部屋にいたメンバーを見回し、明らかにルシファーが悪いと決めつけるベール。ある意味間違っていないから凄い。ルキフェルは手短に経緯を説明した。その上で録画した映像も見せる。イヴに吸い付かれた場面の直後、ベールがイヴの口を開き「あ、まだでしたか」と歯の有無をチェックした。


 誰もが噛まれたと疑う状況で、実は吸引力が凄かっただけ……というのもエピソードとしては派手だが、元に戻れないのはもっと大事件だった。状況を聞けば聞くほど、頭を抱えて項垂れる側近達。


「すまない、戻れるはずだったんだ」


 悪さをすれば謝る。その潔さは買っている。だが……いつもながら、騒動を行さないよう行動することが出来ない主君だった。今回も、どうして行動する前に相談できないのか。まだリリスがいて、ルキフェルを呼び出しただけマシだが。


 以前ならこっそり一人でやらかして、しかも魔法陣の複写すら残っていない状況だったはず。そう、今回の失敗は映像と、複写された魔法陣の予備の確認で解決できそうだ。運が良かった。胸を撫でおろしながら、アスタロトはリリスに向き直った。


「リリス様、次はルキフェルではなく私かベールを呼んでください」


「そうね。ルシファーが女性だと、二人目を諦めないといけないわ。それは嫌だもの」


 自分の感覚で納得するリリスに、アスタロトは穏やかに念押しした。絶対ですよ。その言葉に、リリスは頷く。妻と側近の恐ろしいやり取りを止めたいが、現状口を挟める状況にいないルシファーは項垂れた。しばらく監視が厳しくなりそうだ。


「ルキフェル、複製した魔法陣を解析しましょう。ひとまず、空いている部屋に……なぜベルゼビュートがいるのですか?」


 空き部屋を使う予定のベールが眉を寄せる。同じ建物内にいれば、お互い気づく。圧倒的な魔力量を持つ同僚の気配に扉を開くと、向こうから歩いて来るピンクの美女が「やだぁ」と呟いた。


「折角の楽しい休暇が台無しじゃない。あら? 誰も魔王城の留守番がいないじゃないの。あたくし、ちょっと帰ってくるわね」


 ぱちんと指を鳴らして逃げた。同じ屋敷内にあった夫エリゴスと息子ジルも連れて、精霊女王は風のように退散する。羨ましいと心で呟き、ルシファーは大人しくソファに腰掛けた。


「どういう状況でこうなったのですか」


 詰め寄るアスタロトに、この屋敷に到着してからの経緯を説明する。故意に「勝手に出かけたこと」を避けて説明するルシファーに、視線で「知っています」と牽制しながら聞き終えた。ベールは額を押さえて呻き、淡い金髪をかき乱したアスタロトは大きな溜め息を吐く。


「っ、空き部屋を借ります。それと……ルシファー様はこちらへ。リリス様はイヴ様と一緒にお休みいただいて結構ですよ」


「あらそう? じゃあ、終わったら早く帰ってきてね。ルシファー」


「うん、頑張る」


 妻があっさり同意したため、何も言えずにルシファーはアスタロトの後ろを歩き出した。ルキフェルは録画した映像をもって、落ち込むベールの手を引いて部屋を出る。扉の閉まる音を聞きながら、はふっと欠伸をしたリリスはイヴに授乳を始めた。


「あなたのパパはおバカさんよね」


「あぶぅ」


 同意する娘の声にくすくすと笑いながら、リリスに不安はなかった。どうせけろりと元の姿で戻ってくるんだもの。心配するだけ疲れちゃうわ。前向きさが取り柄のリリスはイヴを寝かしつけ、自らも横になった。早く帰ってこないかしら。

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