230.軍事拠点? いえ、リゾートです

「私に貸して」


 慣れた手つきで泣き止ませ、イヴと一緒に保育室へ放り込んだリリスは、奥様会へ出席するため外出した。貸してと自信満々に言い切ったが、最後に面倒を見るのは結局ルシファーである。次々と連れ込まれる幼子の数は増え続け、ルシファーは肘をついてアスタロトに提案した。


「なあ、保育園の入園基準を下げないか?」


「奇遇ですね、私も同様のことを考えておりました」


 互いを踏みつけ、蹴飛ばしながら這い回る幼子の群れに、魔王城の上層部は降参を表明した。


 保育はその道のプロに任せるべし。ここで何か事故が起きたら大変だ。保育園側もこの透明壁を参考に、園内施設の補強を行った。たっぷり予算を弾んで施工したので、力が強いこの子らを預けても問題ないはず。自分達にそう言い聞かせ、シトリーに要請を出した。


「奥様会があると言ってたから、リリスに伝言を頼む方が早かったか」


「まあそうですが、今から乱入する勇気はありませんね」


「同感だ」


 魔族は基本的に女性の立場が強い。大切な子孫を産み、育て、慈しむのはいつだって女性だった。夫や父、兄弟はそんな女性を守り、外敵から女性を遠ざけるために存在すると言ってもいい。極端な話、男性は一人いれば用が足りるが、女性は複数人いないと一族が亡びてしまうのだ。


 これらの考え方が浸透していることもあり、女性への暴力や蔑む行為は魔族において嫌われる。人族がまったく正反対の国家を建設したのは、意外だと受け取られた。女性の協力を得ずに、どうやって国を存続せせるのかと研究する魔族まで現れたほどだ。


 結果は、男が国を独占して女性から搾取したことで、魔族に滅ぼされたのだが……。


 ドワーフの奥方はあの頃「男に権力や財布を握らせたらダメよ」と言い放ち、ドラゴン種の女性達も「馬鹿ね、女性を敬わない種族なんて滅びるだけなのに」と苦笑いした。滅ぼした魔王としては複雑だが、女性を大切に保護することは当然だと思っている。


 実際、魔王ルシファーが人族の存亡を決めたのは「最愛のリリスに危害を加えた」ことが要因だったのだから。女性が世界や種族の命運を握るという理論は、間違っていなかった。


「シトリーが来たら保育所の業務拡張の手続きを始めるか」


 アスタロトは手際よく数枚の書類を作り始める。ルシファーへも回ってきた。保育園の予算増強に、新たな職員の採用試験の予定、追加する建物の建設予定地域と……あれ?


「おい、オレの庭がひとつ提供されてるんだが?」


「可愛い愛娘のために、庭のひとつくらい提供しなさい。ケチ臭いですね」


 散々な言われようである。罵られたと言い換えても過言ではない口撃に、ルシファーは溜め息をついて署名した。知らない間に庭が提供されたことが問題なのであって、庭が惜しいのではない。そこだけはきっちり言い訳しておいた。


 予算は予備費が膨大な額になっているので、ここから出せばいい。先日のリゾート開発も含め、娯楽や民の助けになる施設やサービスの提供を検討するか。脱線する魔王は、白紙を取り出してさらさらと計画案をまとめ始めた。


「リゾートですか。まあ余らせても意味のない予算ですから、使うのは問題ありません」


 同意するアスタロトが「ん?」と眉を寄せて考え込んだ。ぽんぽんと指先が机の端を叩き、音が止まると同時に振り返る。


「先日のミヒャール湖周辺の開発ですが……まさか」


「どうした? あれはもう予算も通って建設も終わる頃だろ。リリスやイヴと遊びに行くのに寂しいからな。観光地なのだし、休憩や宿泊に必要な施設は大事だ。景観重視で、木造にしてもらったぞ」


 得意げに胸を張るルシファーに悪びれた様子はない。心の底からいいことをしたと思っているらしい。確かに悪いことではないが……あれは、海に対する軍事拠点だと認識していた。


 ベールとアスタロトの考えはここで完全に一致している。だが、あの時ベルゼビュートが口にした「観光都市?」という発言が、確信を突いていた。


「リリス、喜んでくれるかな」


 妻への機嫌取りで、国の予算を使わないでください。そんな文句が口から零れそうになり、アスタロトは深呼吸して飲み込んだ。民にバレなければいいのです。私やベールがきちんとしていれば、軍事拠点として利用できる筈。手の中のペンがミチミチと悲鳴を上げ、やがてペキンと音を立てて寿命を全うした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る