253.辺境から始まる神隠し

 息子ジルを咥えた狼を小脇に抱えたベルゼビュートが飛び込んだのは、昼過ぎだった。


 のんびりしたお茶会から数日経ち、イヴはリリスと新しい保育所の見学で留守である。仕事があるので置いて行かれた魔王ルシファーは拗ねていた。そこへ、夫エリゴスを連れた獲物が飛び込めば、当然八つ当たりの対象となる。


「いいご身分だな、ノックくらいしろ」


 むすっとした顔で告げられ、ベルゼビュートは無言で踵を返した。すぐに「ココココン」と高速ノックが響き、返事をする前に扉が開く。ノックの意味が全くなかった。さすがに注意するべきか、と顔を上げたアスタロトより、彼女の方が早かった。


「ご機嫌麗しゅう、陛下。子どもの神隠しが起きたと騒動になっています」


 嫌味を兼ねた挨拶から始まった報告は「大変ですわ」が省略された。しかし後半の内容は聞き捨てならない、魔族にとっての一大事だ。


「神隠し?」


「なんだそれ」


 アスタロトとルシファーは、揃って怪訝そうな顔をする。そんな言葉はこの世界にはなかった。もちろん、日本人が持ち込んだ言葉である。


「痕跡なく子どもが行方不明になる事件を、そう呼ぶそうですわ。現在把握できているのは、辺境周辺だけです。エルフ1人、魔狼1匹、魔熊1匹、リザードマン2人。以上は子どもですが、ラミアの女性も1人行方不明とか」


 指折りながら、間違いないよう報告するベルゼビュート。総数は合っているので、ほっとした顔になった。だがルシファー達は逆に青ざめていく。


「それは一大事だ」


「もっと早く報告しなさい」


 報告しに来たのに、遮ったのは誰よ。そんな視線を向けられ、ルシファーが空咳で誤魔化す。


「ところで、エリゴスが苦しそうですが」


 軽く首が締まっていますね。冷静に指摘するアスタロトに、慌てたベルゼビュートが夫を下ろした。かなり顔色が悪いが、それでも咥えた息子を落とさない辺り、父親の鏡と言えよう。余談だが、狼姿のエリゴスは、メスである。彼女は、我が子の頬を大きな舌で舐めた。


「辺境以外は被害がないのか?」


「いえ。調査が間に合っておりませんの。先ほどすれ違ったベールに協力要請しましたわ」


 辺境を中心に見回るベルゼビュートの耳に入ったのは、担当地域の情報のみ。中央部や幻獣がいる隣の大陸の情報は入らない。そちらはベールや魔王軍の担当だった。


「ベールは何も言っておりませんでした。まさか」


「いや、それはないだろ」


 人族がいた南側で起きた事件、以前は人族の冒険者らが犯人だった。虹蛇やペガサスの子も攫われたが、今回は状況が違う。ほぼ滅びたと表現できるほど数を減らした人族が、他種族の領地に入り込んで騒動を起こす余力があるか。


 ルシファーの否定に、アスタロトも納得し掛けた。だが可能性はいつでも残しておくべきだ。排除して考えれば、後手に回ってしまう。返事をせず、曖昧に頷いたアスタロトはベルゼビュートに向き直った。


「他の種族からも情報を集めてください。数の集計は、あなたの得意とするところでしたね」


「数字の計算は得意だけど、情報収集は手が足りないわ。各種族の貴族に確認させた方が確実じゃないかしら」


「魔王権限で、戸籍との照合を行う。命令を迅速に伝達せよ」


 号令に承知の声を上げた二人は、大急ぎで動き出した。日本人が持ち込んだ知識で作ったばかりの戸籍は、毎年更新される。その年に生まれた子はまとめて記録され、公式記録として保管されていた。


 今年生まれた子は、周囲も家族も認識しているから、いなくなればすぐ分かる。転移魔法陣を利用した伝令は、コボルトが担当した。その日のうちに魔族中で「神隠し」の単語と、子どもを集めて保護する動きが広がった。

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