111.うっかり失言で、珍しく説教案件でした

「リンの使っている毛布です」


 毛布をじっと見つめ、ヤンは溜め息を吐いた。そうじゃない、我は犬ではないと何度も説明しているのに。だが差し出すアスタロトの表情は真剣そのものだ。反論していいか迷う。


「毛布は不要です」


 匂いで辿るのは動物、魔獣ならば魔力で追いかけることが可能だった。幼子の魔力は不安定で、残す痕跡も少ない。だが魔獣は他の魔族より追跡の能力に長けていた。その理由が、我が子の子育てにある。魔獣はもともと魔力量が少ない。それが生まれた子ども達なら尚更だった。


 人型の魔族は、魔力量が多くて成長に時間がかかる。そのため行方不明になる確率は低かった。だが魔獣の子は産まれてすぐ歩き出し、一週間もすれば野山を駆ける。子育て中の危険度合いが高いのだ。崖から落ちることもあれば、川に流される時もある。そんな我が子を追いかけるため、魔獣の親は微弱な魔力を探る術に長けていた。


「こちら、ですな」


 出口は庭へ続くテラスの扉だ。大人は通れないが、子どもなら通過できる程度の隙間があった。換気のために風通しを考えて開けたのだろう。ここをすり抜け、その先でテラスに設置された手摺りの柱の間に頭を突っ込んだ。ぎりぎりで通過したので、転がるようにして段差を落ちて……。


 ヤンが手摺りを飛び越える。軽く飛び越えた後ろを、よちよちと孫が付いてきた。リンが通った道を辿るように、ヤンの孫は手摺りの隙間を抜けていく。手足が短いフェンリルの子は、お腹を草に擦りながら進んだ。その先で何かを見つけたらしく、大喜びで尻尾が左右に揺れる。


 ばうっ! はしゃいだ孫と同じ方向へ進み、ヤンが途中から駆け出した。と、その先にある小さな泉に飛び込む。ヤンの巨体が入ると、幼児用プールのようだ。狭い湯船のようになった泉から飛び出したヤンの口に、赤子が入っていた。


 そのまま牙を立てて捕食しそうな光景だが、器用に舌で巻き取った赤子を芝の上に転がす。火が付いたように泣き出したリンは、駆け付けたアスタロトに抱き上げられた。びしょ濡れのリンは縁を這って、落ちたところだったらしい。


「大して水も飲んでいませんね。ありがとうございます、ヤン。お陰で助かりました」


 アスタロトに礼を言われ、ヤンは得意げに髭を動かす。と、追いかけてきた孫が泉に飛び込んだ。呆れ顔でヤンがそれを咥える。首根っこを噛んでから口の中に回収し、ぺっと芝の上に吐きだした。リンに対する先ほどの動きより、手荒い。


 がうっ! 抗議の声を上げた孫は、睨みつけるヤンにしょぼしょぼと尻尾を巻いた。まだ迫力も実力も敵う相手ではない。微笑ましい思いで見守るルシファーの横で、アスタロトはリンの世話を焼き始めた。母であるルーサルカがいても、ここまで大騒ぎはしないだろう。


 呆れるほど優しく乾かし、髪を整えて、服を着替えさせた。それからリンを抱いて背中をぽんぽん叩く。


「アスタロト、甘やかすときちんと育たなくなるぞ」


「ご安心ください。ルシファー様のような失敗はしません」


 この言葉に、リリスが反応した。


「ルシファー、私って失敗作なの?」


 袖を引いて首を傾げる愛らしい姿で尋ねられ、魔王の表情が強張った。言い方を間違えたと思ったアスタロトが、先に頭を下げる。


「申し訳ございません。リリス様のお話ではなく、他の養い子の話です」


 そこで、今度はヤンが振り返った。彼の先祖、初代セーレはルシファーの養い子なのだ。事実上アスタロトが面倒を見たとしても、拾ったのはルシファーだった。


「わ、我が君……初代は、失敗などでは」


「もちろんだ。安心しろ」


 ほかにもハイエルフの初代オレリアやルキフェルがいるが、どれを貶しても事件になりそうだ。外部へ話さぬよう口止めされ、アスタロトへ厳重注意をして終わった。珍しくアスタロトに説教できたルシファーだが、何となく後味が悪く自慢できなかったらしい。

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