70.そうじゃないでしょう、側近は頭を抱える

 呼ばれたのはドワーフの職人と、侍女の一人だ。父や母の顔を見たテッドは、さらに大泣きし始めた。魔王陛下に呼ばれたと聞き駆け付けた二人は、困惑して顔を見合わせる。それぞれに伴侶はいるが、魔王城の外で働いていた。


 そのため呼ばれたのが片親ずつになったのだが、コリーは気を失ってぐったりし、テッドは泣き止まない。状況が理解できなかった。


「魔王様? これはいったい」


「うちのガキが何かやらかしましたか」


 そうなのだが、頷きにくい。苦しそうにしゃくりあげながらも泣き止まない姿に、何もしていないのに苛めたような気分だった。変な後ろめたさに似た感傷を振り切って口を開く前に、アスタロトが一歩前に出る。


「先日の魔王城執務室における、魔法乱用及び書類の署名消失事件についてです。そちらの少年二人に嫌疑が掛かっています」


 仰々しい物言いに、ドワーフの職人は首を傾げた。だが侍女は真っ青になる。コリーの母である彼女は、侍女長アデーレの部下に当たる。この職場に勤めて長く、執務室内の掃除に魔法を使えないことを含め、その危険性を理解していた。


 つい先日、執務室の処理済み書類の署名と捺印が消えたと騒ぎになったのを知っている。あの事件で魔王の仕事が増え、魔王妃リリスの負担が増したとアデーレが嘆いた。その記憶がよぎったのだ。リリス妃が執務室で眠っており、イヴは現在ヤンとアデーレが見ている。


 魔王妃殿下が倒れた原因が我が子なら、この命に代えても助けてくださるようお願いしなくては! ばっと床に跪き、両手を組んで頭を下げた。


「魔王陛下、大公閣下。申し訳ございません。あの子の躾は私の責任です。どうぞ罰はこの母にお与えください」


 ん? 思わぬ方向へ話が進んでいないか? 眉を寄せて訂正しようとするルシファーを、アスタロトがずいっと前に立って押し留めた。何か考えがあるようなので、任せる。この辺りの信頼は、数万年に及ぶ長年の経験だろう。


「魔王陛下の署名は、我々大公3人以上の署名と同等です。その価値を理解して、あなたの命ひとつで収まると考えているのなら」


「いえ、いいえ。そのような……ただ、あの子だけは」


 最悪、夫も道連れと言い出す侍女の様子に、ドワーフの職人もようやく事態の大きさに気づいた。


「魔王様の署名消したんか? なんてことすんだ!」


「ごめんなさい、ごめん……なさ……っ、俺、そんなつもり、なくて」


 さらに涙がこぼれる姿に、アスタロトの思惑がようやく見えてきた。どうやら自分を悪役にして、ルシファーに事態を収めさせるつもりらしい。面倒なことを考えるものだと呆れながら、ルシファーがアスタロトに命じた。


「アスタロト、下がれ」


「はっ」


 珍しく公式の対応である。親相手なら魔王バージョンでいいかと口調を修正し、ルシファーは黒衣を揺らして一歩進み出た。深く頭を下げる親達の姿に、近い将来の自分を見るようで心が痛む。リリスによく似たイヴも似たような騒動を起こすだろう。そのたびにオレが頭を下げるんだよな。


 ちょっと違う方向性で同情するルシファーは、眉間に寄せた皺を指先で解す。


「子どもの名は?」


「コリーです」


「テッドですだ」


 それぞれの名を知ったルシファーは、両親に下がって待つよう伝えた。心配そうだが、言われた通り扉の近くまで下がる。怯えるテッドは、それでもコリーを抱き寄せて離さなかった。


「テッドか? それともコリーか」


「俺、が……テッド、ですっ」


 まだ苦しそうな呼吸を整え話す少年の焦げ茶の髪に手を伸ばし、びくりと肩を竦める子どもの頭を撫でた。それからコリーを見て尋ねる。


「なぜコリーを捨てて逃げなかった」


「……っ、そんなの! 友達、だから」


 友達だから守ろうとした。その言葉に笑ったルシファーが纏う気配を変える。穏やかな雰囲気でテッドとコリーを抱き上げた。ちょうど意識が戻ったコリーは硬直し、テッドは暴れようとしてやめる。


「よし、合格だ。ちょうど娘の護衛を探してたから、明日から訓練を受けろ。それを罰にする」


 親達は喜びで涙を流し、子ども達はきょとんとした顔の後で神妙に頷いた。見ていたアスタロトが片手で顔を覆い「そうじゃないでしょう」と呻いたが……ルシファーはさらりと無視する。被害を受けたのがオレだけなら、こんなもんだろ。


 この裁きが侍女やドワーフから同僚に伝わり、城下町でお芝居になるまで――わずか1ヵ月だった。お芝居は大盛況で、原作者イザヤが儲けた金をルシファーへ渡し、保育園の新しい玩具や絵本の購入費に充てられたのは、さらに数ヵ月後だったとか。

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