430.悩み深き魔王の頬に赤い紅葉

 魔王ルシファーの頬に立派な紅葉もみじ模様――愛娘イヴの平手打ちである。最強の純白魔王の結界をあっさり突破する彼女は、ちょっかい出されてキレた。


 叩いて満足したのか、保育園へ入る時は笑顔で「ばいばい」と手を振る余裕があった。笑顔で手を振り返したルシファーだが、執務室へ転移した直後から無言である。真剣な顔で悩んでいた。


 一人娘だった可愛いイヴには、かなり自由にさせてきた。リリスの時と同じように、大切に育てている。だがリリスを育てした過程で起きなかった変化が、イヴに襲いかかったのだ。


 弟の誕生である。シャイターンが生まれたことで、親の意識は自然と赤子へ向かう。より弱い者を守ろうとするのは、本能に近かった。二人が同時に泣いたら、シャイターンの確認を優先する。イヴはある程度自分で意思表示が可能だからだ。


 本当はリリスとルシファーが手分けして対応すれば問題ない。だが、イヴは泣きつく相手を選ぶのだ。転んだ痛みを堪えて涙ぐむ時はリリスがいいのに、寂しいときはルシファーでも構わない。その違いがよく分からなかった。


 手を伸ばして拒絶されるのは辛い。大人も子どもも関係なく、傷つく。自分が傷つくなら我慢するが、イヴに我慢させるのは違うと思った。今日の失敗を示す頬の手型を癒すこともせず、机でじっくり考え込む。


 魔族の頂点に立つ王の頬に立派な平手の跡、それも冷やすでも治癒魔法を使うでもなく、真剣に悩んでいるとなれば……周囲は色めきたった。


 イヴの仕業だと推測出来るが、治さない理由は不明だった。変な性癖があるなら別なのだが、過去にそういった事例もない。となれば、反省しているのだろうと結論づけた。侍従のコボルト達が心配する中、彼らの上司であるベリアルが代表して動く。


「魔王陛下、顔の傷を……その、治されてはいかがでしょう」


「ん? あ、そうか。忘れてた」


 言葉通り、本当に忘れていただけ。いつもならアスタロトが口に出し、苦笑いしながら治し終えている。ただ注意する部下が不在だったのだ。


 気づけば傷は一瞬で消せる。だが娘に関する悩みは、そう簡単に消えることはなかった。


「あのさ、ちょっと聞いてくれ。ベリアル……確か弟がいたよな」


「あ、はい。弟が二人います」


「弟が生まれた時、ヤキモチ妬いたか? 親の愛情を取られたとか、そういう意識は皆持つのかな」


 ベリアルはぱちくりと瞬き、イヴ姫の話に違いないと考える。答えようとして、自分の記憶を辿り……思わぬ事態に固まった。確かに弟はいる。だが、近い方の弟は年齢差が二桁年数だった。きちんと表現するなら26歳差だ。コボルトの成人は18歳なので、成人後に生まれた弟に嫉妬はなかった。末の弟はさらに8歳も年下である。


 主君ルシファーの疑問は理解できるが、答える材料がない。迷った末、彼は正直に白状した。弟達は成人後に生まれたので、そういった感情は持たなかった。参考にならなくてすみません、と。


「そうか」


 あまりにガッカリされたので、扉の隙間から覗くコボルト達に声をかけた。


「誰か、歳の近い弟妹がいる人〜!」


「「はい」」


 二人が名乗りをあげた。その二人の説明を交互に聞いて、ルシファーは結論を出した。


 ――子どもの成長過程のひとつだから、優しく見守る。きちんと不満を聞いてあげる。これを忘れないこと……ん? それってレラジェやルキフェルがしてなかったか?

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