196.あの男が照れている、だと?!

 翌朝、執務室に入りぐるりと見回す。子ども達が遊ぶスペースとの間に、水色の壁が出来ていた。ぺたぺたと撫でていく。特に問題はなさそうだし、軽く魔法をぶつけたが吸収された。予定通りの効果だ。


 一部だけ色の濃い壁に気づき、右手で触れてみる。扉のようで、ガタガタするものの開かない。ノブも見つからないので首を傾げた。


「おはようございます。今日もお願いします」


 レライエが一番乗りで我が子ゴルティーを預けに来る。挨拶を交わす間にすたすた近づいた彼女は、がらりと扉を横に引いた。濃い青の壁が横にスライドし、中にゴルティーが放たれる。


「いい子にしていろ」


「きゅー」


 親子の会話として正しいのか。ゴルティーは敬礼して母レライエを見送った。お疲れさんと声をかけて、扉を開けたり閉めたりしてみる。なんだ、引き戸だったのか。誰かに聞かなくて良かった。ほっと胸を撫で下ろし、ルシファーは己の執務机に向かう。


 今日も両親共働きの家庭は忙しいらしく、シトリーが娘のキャロルを置いて行った。その間もペンを走らせ、スムーズに執務を進める。間の壁があるおかげで、魔法が飛んでこない環境は快適だった。


「うちの子もお願いいたします」


 ルーシアの次女アイカも、青い引き戸の向こうへ入っていった。まだ保育園や学校に通えない年代の幼子ばかり。それも魔王城の重鎮の家庭の子が集まる。両親が魔王城に住んでいるため、祖父母に預けることが難しい。転移魔法陣が張り巡らされているが、やはり迎えの関係もあって魔王城内にスペースがあれば預けたいのが本音だろう。


 それは構わないが、水色の壁の向こうから聞こえてくる騒ぎは凄まじかった。音量を半減させる効果がある壁だが、それでも騒ぎの遮断はできない。もし遮音してしまったら、ケガをして泣いた時に気づけない可能性があった。安全性を考え、防音効果は半減程度に抑えていた。


 ドワーフは用途を聞いて、それに合わせた設計をすることが得意だ。子ども達を見守りながら、最低限執務ができる環境を整えたのだ。後で別途褒美が必要か。何しろ、予期せぬ事態で一晩中アスタロトと閉じ込めてしまったことだし。


 詫びも兼ねた報酬を申請する書類を作成して、署名した。承認済みの箱へ放り込む。


「失礼します」


 部屋に書類を運ぶアベルが、処理された書類を預かって代わりに未処理の書類を積んだ。


「今日はこれで終わりです」


「お疲れさん」


 顔を上げたルシファーは、そこで凍りついた。いないはずの者が、しごく当たり前のような顔をして立っている。目を擦り、瞬きして確認した後、尋ねた。


「どうしたんだ?」


「何がですか」


「今日まで休みを与えたんだが?」


 にっこり笑うアスタロトは、いつも通りのローブ姿で一礼した。


「貴重なお休みをありがとうございました。アデーレは今日も休んでおりますが、私は自主出勤させていただきますね。その分の休日を妻に与えていただければと思います」


 なぜか断る要素を排除した早口で詰め寄られ、曖昧に頷いた。実はアスタロトの監視がない方が進むなんて、口にできない。アデーレが休むのに、アスタロトは出勤? 仕事の虫だから、自主的に休日返上は珍しくないが……。


「あ、もしかして奥さんを抱き潰しちゃったんすか。やるじゃないっすか!」


 アベル、その勇気は本当に勇者だ。心の底から感心するし、愚かだと憐れんでしまう。彼の口はいつも災いの元だった。絶対にアスタロトに消される。その心配をしながら仲裁に入ろうと立ち上がったルシファーは、見たことがない配下の姿に固まった。


 あのアスタロトが照れている? 本当に、本気で、絶対に、間違いなく?? あまりに凝視したため、アスタロトの機嫌を損ねてしまった。言うだけ言って出て行ったアベルは被害に遭わず、釈然としない思いが残るルシファーだった。


「なんでオレだけ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る